第11話-2◆小さい手だけが届く
「布の下に、扉があります」
リリィが言った。
「木か」
「石です。薄い石板みたいな扉。真ん中に、欠けた翼の印があります」
エイヴァが鋭く鳴いた。
「リリィ、触るんじゃないよ」
「うん。触ってません」
「近くに掛け金は」
「裏側です。手を入れる隙間があります。でも、わたしの手じゃないと届かないかも」
俺は歯を噛んだ。
そう来るか。
小さい手だけが届く場所。大人の力ではなく、子供の体だから進める仕掛け。
気に食わない。
「戻れ」
俺は言った。
リリィは答えなかった。
「リリィ」
「……戻ったら、開けられません」
「開けなくていい」
「でも、ここまで来ました」
「命と扉を並べるな」
「並べてません」
リリィの声が少し震えた。
「でも、わたしじゃないと届かないなら、わたしがやる場所です」
井戸の底が、その声を遅れて返す。
わたしがやる場所です。
――場所です。
俺は一瞬、縄を強く引きそうになった。
引けば戻せる。たぶん。
だが、それは今のリリィの言葉を全部潰すことになる。
俺は石の上に手を置き、横穴の入口を支えた。肩を入れる。石が少し鳴る。重さが腕に乗った。すぐには崩れない。だが、長くは保たない。
「勝手に触るな」
「うん」
「エイヴァ、印は何だ」
「測り石の親戚みたいなものだよ。けれど、古い。ずっと悪趣味だ」
「開け方は」
「たぶん、印に魔力か体温か、そういうものを拾わせる。扉じゃなくて、通る者を見ている」
「最悪だな」
「アタシもそう思う」
リリィが奥で小さく息を吸った。
「わたし、触ります」
「まだだ」
「でも」
「順番を決める。エイヴァはリリィの指を見る。ベルニーは罠を見ろ。バランは黙って周りを見ろ」
「ぼくの役割だけ妙に雑じゃないかい?」
「声を出さないのが役割だ」
「それは役割ではなく禁止事項では?」
「同じだ」
ベルニーが短く言った。
「右上に紐」
俺は視線を動かす。
横穴の入口からは見えない。だが、ベルニーには見えるらしい。彼女は弓をゆっくり構えた。矢を番える音すら小さい。
「リリィ。右手を出す前に止まって」
「はい」
「バラン、光」
「任せたまえ」
バランが腰の小さな照明石を掲げる。本人の顔を照らす角度になっていた。
「石を照らせ。自分じゃない」
「……わかっているとも」
「今直した」
「細かいね、君は」
「命がかかってる時は細かい」
バランは少しだけ笑い、今度はまともに横穴の上を照らした。
ベルニーの矢が飛ぶ。
ひゅ、と短い音。
井戸の底で遅れて音が返る前に、どこかで古い紐が切れた。乾いた音が一つ。石の奥で何かが緩む。
「今」
ベルニーが言う。
リリィの息が止まった気配がした。
「リリィ。触れ。すぐ離せるように」
「うん」
縄がわずかに進む。
奥で、リリィの小さな手が石に触れたのだろう。
次の瞬間、横穴の中から白い光がにじんだ。
強くはない。眩しいほどでもない。だが、井戸の底にある暗さを、内側から薄くめくるような光だった。
リリィが息を飲む。
「冷たい……」
「離せ」
「まだ、掛け金が」
「離せと言った」
「届きます。あと少し」
縄が震える。
石が鳴る。
俺は横穴の上の石を押さえ込んだ。肩から腕に重さが乗る。足元が滑る。水たまりの縁を踏んだ。井戸の底が、こん、と鳴る。
バランが俺の反対側へ回り、別の石を押さえた。
「こうかい?」
「喋るな。押せ」
「了解した」
「喋るなと言った」
「今のは短い」
ベルニーが無言でバランの足元を蹴った。
バランは口を閉じた。押す力は悪くない。華ばかりの男ではない。実力はある。腹は立つが、助かる。
奥でエイヴァが叫んだ。
「リリィ、目を閉じすぎるんじゃないよ! 指の位置を見な!」
「うん……!」
「怖いなら怖いって言いな!」
「怖い!」
リリィの声がはっきり震えた。
井戸の底がそれを返す。
怖い。
――怖い。
俺は石を支えたまま、低く言った。
「それでいい。怖いままやれ」
「はい……!」
「手を離したくなったら言え」
「離したい!」
「なら、離す準備をしてから、あと一つだけ動かせ」
「むずかしいです!」
「知ってる」
「グローさん、そういうところ!」
「あとで怒れ。今は掛け金だ」
奥で、かち、と小さな音がした。
リリィが短く息を吐く。
「動きました!」
「離せ」
「まだ開いて――」
「離せ」
今度は強く言った。
縄を一回、強く引く。
リリィの手が石から離れた瞬間、白い光が細くなった。だが、完全には消えない。印の周りに、薄い線だけが残る。
エイヴァの羽音が乱れた。
「まずいね」
「何が」
「測った」
その一言で、腹の底が冷えた。




