第11話-1◆横穴の先に
「馬車の外套と、同じ布です」
横穴の奥から届いたリリィの声は、井戸の底で少し遅れて広がった。
同じ布。
――布。
俺は縄を握る指に力を入れた。
「触るな」
「まだ触ってません」
「まだ、が余計だ」
「見てます。ちゃんと見てます」
返事は近い。だが、姿は見えない。
横穴は低く、狭い。俺が肩を入れれば、それだけで石を押し広げることになる。押し広げたら崩れる。崩れたら、リリィは中で潰れる。
力でどうにかするには、場所が悪すぎた。
面倒だな。
俺は右耳の欠けをかこうとして、やめた。縄を離す気になれない。
エイヴァの小さな明かりが、横穴の奥でふらふら動いている。白い羽に灯った豆粒ほどの光だ。頼りないが、あれ以上強くするとエイヴァが落ちる。さっきから羽の形が丸いというより、しぼんだ綿みたいになっていた。
「エイヴァ」
「見えてるよ」
奥から、いつもより細い声が返る。
「白布。古い。けれど、吊り直されたのは最近だね。埃のつき方が違う」
「仕掛けは」
「あるに決まってるだろう。こういう場所で何もない方が失礼だよ」
「礼儀はいらん」
「アタシもそう思うねえ」
リリィが小さく息を吸った音がした。
「布の端に、糸が混じってます。青い糸です。わたしの持ってる布片の糸より、少し薄いです」
「近づきすぎるな」
「近づかないと見えません」
「言い返しが早い」
「グローさんが、ちゃんと見ろって言いました」
「俺は、危ないところへ鼻を突っ込めとは言ってない」
「鼻じゃなくて目で見てます」
横でバランが肩を震わせた。
笑うな、と言う前にベルニーが足元を弓の先で突いた。バランは声を出さずに咳払いだけで済ませる。
偉い。いや、偉くはない。ようやく普通だ。
ベルニーは横穴の入口近くに膝をつき、石組みの端を見ていた。俺と違って、こういう時に余計な音を立てない。バランの連れとしては不思議なくらい静かだ。
「この石、支えが弱い」
「崩れるか」
「リリィが奥で強く押したら、たぶん」
ベルニーは短く言う。
俺は片手で縄を持ったまま、もう片方の手を横穴の上の石へ当てた。軽く押す。動く。嫌な動きだ。
「俺が支える」
「無理をすると、入口ごと落ちる」
「無理じゃない程度にする」
「それが一番信用できない」
ベルニーの目は俺ではなく、石を見たままだった。
悪くない返しだ。腹は立たない。必要な話だからだ。
バランが腰の剣に手をかけた。
「なら、横を広げよう。ぼくの剣なら石の継ぎ目を――」
「やめろ」
「まだ抜いてもいないのに」
「抜く顔だった」
「顔で止められるのは不本意だね」
「足でも止めるぞ」
「それはもっと不本意だ」
ベルニーが短く言った。
「罠」
バランの手が止まる。
ベルニーは横穴とは別の、少し上にある黒い隙間を指した。そこにも白い布の切れ端が結ばれている。あからさまに、人の目を引く場所だ。
「そっちはたぶん囮。布が新しすぎる。石の粉が下に落ちてない。誰かに壊させるため」
「なるほど。ぼくを誘っているわけか」
「すごく誘われてた」
「ベルニー、そこはもう少し柔らかく」
「無理」
バランが少しだけ傷ついた顔をした。
リリィの小さな笑い声が横穴の奥から聞こえた。
笑えるなら、まだ余裕はある。そう思った瞬間、奥でかすかな石擦れの音がした。
「リリィ」
「ごめんなさい。膝が当たりました」
「痛いか」
「少し」
「戻るか」
「戻りません」
声が早い。
怖がっていないわけじゃない。早すぎる返事は、だいたい怖い時のものだ。だが、無理に引けば、リリィはたぶん納得しない。納得しないまま引き戻すと、次に勝手に動く。
それが一番まずい。
「じゃあ、膝の位置を変えろ。左に古い溝があるはずだ」
「あります」
「そこに体重をかけるな。崩れる」
「うん」
俺は縄を一度だけ軽く引いた。
「合図を決めるぞ。一回引いたら止まれ。二回なら戻れ。強く引いたら何を見ていても戻れ」
「はい」
「はいじゃなくて、言い返せ」
「え?」
「覚えたか確認だ」
「あ、えっと。一回で止まる。二回で戻る。強く引かれたら、何を見ていても戻る」
「いい」
リリィが少し黙った。
「今の、ほめました?」
「確認した」
「ほめたみたいでした」
「なら、そういうことでいい」
エイヴァが奥で「ちちっ」と鳴いた。
「君たち、こんな穴の中でもいつも通りだねえ」
「穴の中だからいつも通りにしてる」
「それはまあ、正しいね」
エイヴァの明かりが少し奥へ進んだ。
白い布の向こうに、何かがある。
俺には見えない。だが、縄を通じてリリィの動きはわかる。進むたびに少し止まる。石に手を置く。膝をずらす。息を整える。小さい体で、狭い場所の中を考えながら進んでいる。
守られるだけの子供ではない。
だが、子供だ。
その両方を忘れると、たぶん間違える。




