第10話-3◆横穴
エイヴァは軽く言ったが、羽はさらにしぼんだ。明かりを保ちながら、音まで見ている。小鳥の体には重いはずだ。
「無理するな」
「無理をしてるほど若くないよ」
「若くないなら余計だ」
「言い方」
リリィが心配そうにエイヴァを見た。
「エイヴァ、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ、と言いたいところだけどね。少し眠い」
「それ、だいじょうぶじゃない時の言い方です」
「グローに似てきたねえ」
「え」
リリィが俺を見た。
「似てない」
「似てないです」
同時に言った。
井戸の底で、似てない、が二回ほど返ってきた。
バランが笑いをこらえるように肩を震わせた。音が出かけたので、ベルニーが無言で睨む。
バランは咳払いを飲み込んだ。偉い。少しだけ。
さらに下りると、井戸の壁が広がった。
底に水はなかった。正確には、中央に浅い水たまりがあるだけだ。古い井戸としては妙だ。水を汲むためではなく、下に降りた者を一度止めるための空間のように見える。
足元の石は濡れている。滑る。俺は先に下り、リリィが降りる場所を靴でこすった。
「ここに足を置け」
「うん」
リリィが下りた瞬間、井戸の底が小さく鳴った。
こん。
その音が壁を伝い、遅れて返る。
こん。
こん。
リリィの顔が白くなった。
「座るか」
「……少しだけ」
俺は荷袋から布を出し、濡れていない石の上へ敷いた。リリィを座らせる。水袋を渡す。
「飲め」
「でも、水、少ないです」
「今飲まないと、あとで吐く」
「……はい」
リリィは両手で水袋を持ち、小さく飲んだ。
エイヴァが近くの石へ降りる。降りたというより、落ちたに近い。俺は手の甲で受けた。
「鳥」
「わざとだよ」
「嘘をつけ」
「少しだけ、着地場所を選びそこねた」
「それを落ちたと言う」
エイヴァは俺の手の上で羽を整え、何事もなかった顔をした。リリィが小さく笑う。
よし。
笑えるなら、まだ大丈夫だ。
バランも底へ降りた。水たまりを避けるつもりで派手に着地し、ぎりぎりで滑った。
俺は腕を伸ばし、胸当ての端をつかんで止める。
「おっと」
「音を立てるなと言った」
「立てる前だったじゃないか」
「命も落とす前に止めた」
「君の親切はいつも握力が強いね」
「文句を言うなら離す」
「いや、感謝しよう。ありがとう、競争相手」
「腹が立つ礼だな」
ベルニーが底へ降り、バランの足元を見た。
「水たまり、踏むと鳴る」
「水がかい?」
「底が薄い。たぶん下が空洞」
俺はしゃがんだ。
水たまりの縁に指を置く。石の下で、かすかな空気の流れがある。水面がほんの少し揺れている。自然な井戸の底ではない。
横穴がある。
そう思った時、リリィが顔を上げた。
「こっちです」
声は小さい。だが、確信があった。
俺はリリィの視線の先を見る。
壁の低い位置に、黒い影がある。亀裂に見える。近づくと、違った。石の継ぎ目をわざとずらし、小さな横穴を作っている。大人なら膝をついても厳しい。俺は無理だ。肩がつかえる。
バランも覗き込んで、すぐに眉を寄せた。
「これは……ぼくでも少々華麗には通れないね」
「華麗に通る必要はない」
「いや、あるだろう。こういう時こそ身のこなしが」
「おまえも無理だ」
ベルニーが断った。
バランは黙った。
リリィが立ち上がった。
「わたしなら、通れます」
言うと思った。
俺はすぐに首を振った。
「だめだ」
「でも」
「だめだ」
「見るだけなら」
「だめだ」
「まだ理由を」
「狭い。戻れなくなる。向こうに誰かいたら逃げられない。音がずれる。おまえは今、少し酔ってる」
並べると、リリィは口を結んだ。
正論で押し切れるなら楽だ。だが、リリィは青い布片を握り直した。
「でも、ここまで来ました」
「来た。だから戻る判断もできる」
「戻ったら、また誰かが先に消します」
声が震えていた。
怖いからではない。怖いのに、行く理由を見つけてしまった声だ。
「白い馬車も、飴も、外套も、井戸も、いつも少し遅いです。わたしたちが見る時には、もう通ったあとで……でも、今、ここに穴があります」
井戸の底が、リリィの声を遅れて返す。
穴があります。
――あります。
俺は右耳の欠けをかいた。
面倒だ。
子供が正しいことを危ない形で言う時ほど、面倒なことはない。
「一人では行かせない」
「グローさんは通れません」
「知ってる」
「じゃあ」
「俺が入口にいる。足に縄を結ぶ。声は短く。何か見たら触る前に言え。怖くなったら戻れ。怖くなくても、俺が引くと言ったら戻れ」
リリィの目が少し大きくなった。
「いいんですか」
「よくない」
「え」
「よくないが、行くならこっちで決める。勝手に決めるな」
リリィは一瞬、泣きそうな顔をした。
それから、うなずいた。
「うん」
エイヴァが俺の肩へ戻った。羽はかなりしぼんでいるが、目はまだ鋭い。
「アタシが上から見るよ。横穴の先で空気が動いている。完全な行き止まりじゃない」
「飛べるか」
「少しならね。飛べなくなったら歩く」
「鳥が歩くな」
「小鳥だって歩くよ」
「偉そうに言うことか」
エイヴァはくちばしを鳴らした。
ベルニーが腰の細縄を外し、俺へ投げた。
「使って」
「いいのか」
「返して」
「返す」
バランが腕を組む。
「ぼくの縄も貸そう」
「太い」
「頼もしさの証だ」
「穴に引っかかる」
バランは少し傷ついた顔をした。ベルニーが小さく息を吐く。
「今は細い方」
「……わかっているとも」




