第09話-3◆古い木札
俺は裏の箱を運んだ。
箱は布より重い。中に糸玉と金具が詰まっている。持ち上げると、近くの客が一歩退いた。慣れている。退くなら退け。道ができる。
一箱目、二箱目。三箱目を持ったところで、白い天幕の方から声がした。
「その外套は、こちらで扱う品ですね」
柔らかい男の声。
俺は箱を置かずに振り返った。
白い手袋。白に近い薄衣。深い頭巾ではないが、胸元には欠けた翼に似た刺繍がある。若い男だ。顔は整っている。笑っている。目だけが商品を見る目をしていた。
リリィが老婆の台の前で固まっている。エイヴァは肩ではなく、台の木箱の上に移っていた。普通の小鳥のふりをしているが、羽がほんの少し逆立っている。
白い男は老婆を見た。
「古い布を広げる時は、こちらへ一言いただく約束だったはずです」
「古い布を売ってるだけだよ」
「それに触れた子供がいます」
男の視線がリリィへ行く。
俺は箱を片手で抱えたまま、リリィとの間に入った。
「買い物だ」
「お連れの子ですか」
「そうだ」
「移動市は安全ですが、子供は迷いやすい。白い巡礼の天幕では、迷子や旅の子へ水と飴を配っています」
「いらん」
「お父上ですか?」
「違う」
「では、保護者の証明は?」
面倒な言葉が来た。
町の門と同じだ。書類、保証、札、証明。人を守る形をして、人を取り上げる。
リリィの肩が小さく揺れた。
俺は箱をゆっくり下ろした。音を立てすぎないように。割る必要はない。まだ。
「俺が連れてる」
「それは証明ではありません」
「なら、こっちも証明しなくていい。用がない」
男の笑みが深くなる。
「その子に、測りの反応が出ている可能性があります。危険ではありません。ただ、整えてあげる必要が――」
「やめとけ」
声が低くなった。
周囲の客が一斉にこちらを見る。まずい。だが、下がるには遅い。
白い男の手が、リリィの方へ伸びかけた。
その時、派手な声が市の通りを割った。
「いやあ、実にすばらしい市だね! 人も品も多い。何より、ぼくを見つける目が多い!」
バランだった。
金髪が日を拾っている。どこで何をしていたのか、片手に色布を持ち、もう片方で子供たちに向けて軽く手を振っている。本人は爽やかだが、歩く騒音みたいな男だ。
白い男の視線がそちらへ逸れた。
バランはそのまま、なぜか俺と白い男の間に入ってきた。
「おや、これは失礼。取り込み中だったかな?」
「かなりな」
俺が言うと、バランは笑った。
「それならちょうどいい。ぼくは取り込み中に入るのが得意だ」
「最悪の特技だな」
「褒め言葉として受け取るよ」
「受け取るな」
ベルニーも少し遅れて来た。音がない。人混みの中でも、足運びが静かだ。彼女は白い男、老婆、リリィ、俺、エイヴァの順に見て、最後に老婆の手元で止まった。
「札」
短い一言。
老婆が反射的に手元を隠しかけた。
ベルニーの目はそこを逃さない。
「古井戸の札。市の奥で使うもの」
白い男の顔から、笑みが少し薄くなった。
バランがそれを見て、さらに明るく笑った。
「古井戸? それは面白そうだ。移動市には、食べ物と芸だけでなく井戸まで売っているのかい?」
「売り物じゃないよ」
老婆が低く言った。
「なら、なおさら興味があるね」
「バラン」
ベルニーが一言で止める。
「声、大きい」
「おっと。これは失礼」
「失礼で済む声量じゃない」
俺は小さく息を吐いた。バランは鬱陶しい。だが、今は鬱陶しさが役に立っている。白い男の視線が分散した。
リリィが俺の外套をつかむ。
「グローさん」
「ああ。下がれ」
「でも、老婆さんが」
「俺が聞く」
「わたしも聞きます」
声は小さいが、引いていない。
俺は一拍置いた。
「勝手に前へ出るな」
「うん」
「怖いなら言え」
「怖い」
すぐ言った。
俺は少しだけ目を細める。
「正直でいい」
リリィはうなずいた。顔は青い。だが、目は老婆の台から離れない。
白い男が口を開く前に、老婆が札を台の下から出した。古い木札だ。欠けた翼に似た印と、井戸の絵が焼き付けられている。
「市の奥に古井戸がある」
老婆は早口になった。
「子供が覗くと、声が変に返る。泣く子は泣けなくなり、静かな子はもっと静かになる。白い連中は、そこを『水の祈り場』だと言う。だが、ありゃ祈りじゃない」
「何だ」
「子供の魔力を映すんだよ。水じゃなく、底の古い石がね」
エイヴァの羽がしぼんだ。
俺はそれを横目で見る。エイヴァは何かを知っている顔をしていた。だが、ここで喋る気はないらしい。普通の小鳥として目を丸くしている。下手だ。俺にはわかる。
白い男が一歩進む。
「根拠のない噂です。旅の方々を不安にさせるのは――」
「不安にさせてるのは、おまえの手袋だ」
俺が言うと、男の眉がわずかに動いた。
バランが楽しそうに俺を見る。
「いいね、今のは少し詩的だった」
「黙れ」
「はいはい」
ベルニーが老婆へ手を出す。
「札、見せて」
老婆は少し迷ったが、渡した。
ベルニーは札の端を指でなぞる。
「新しく削った跡がある。古い札を今も使ってる」
短いが、刺さる。
白い男の顔が完全に硬くなった。




