第09話-2◆裏の縫い目
「歩きながら食うな」
「落とすから?」
「あと、顔に出る」
「出てますか」
「かなり」
リリィは菓子を見て、口元をきゅっと結んだ。隠そうとしている顔が、もう嬉しい。
エイヴァが小さく笑った。
「子供が菓子を見て喜ぶくらい、許してやりな」
「許してる。先に水だ」
「出たよ、実務の怪物」
「水がないと菓子で喉を詰める」
リリィは真面目に頷いた。
「じゃあ、水を飲みます」
「いや、今すぐ全部飲むな」
「むずかしいです」
「食って飲むだけで指示が多いねえ」
「おまえらが危なっかしいからだ」
市の端に、壊れかけの荷置き台があった。俺たちはその影に腰を下ろす。俺は外側。リリィを内側。エイヴァはリリィの膝の上で、菓子の欠片を狙っている。
「エイヴァ、少しだけ」
「うむ。少しでいいとも」
「おまえの少しは信用できん」
俺は爪の先ほど割って渡した。
エイヴァが不満そうに羽をふくらませる。
「これは粉だよ」
「小鳥前だ」
「便利な言葉に育ておって」
リリィは自分の分を小さく割って、口に入れた。
目が丸くなった。
「……甘い」
「蜂蜜だな」
「でも、少し焦げてます」
「安いからな」
「おいしいです」
「ならいい」
それだけで、この市に来た意味が少し増えた。
俺は黒パンを噛みながら周囲を見る。白い旗。巡礼団の天幕。獣商の檻。薬売りの棚。子供が集まる芸人の前。深い頭巾の大人が立つ白い水桶。
目立つのは危険だが、見ないのも危険だ。
リリィは菓子を食べ終えると、指先についた粉を払い、ふと向こうの布屋へ目を止めた。
「グローさん」
「ああ」
「あの糸……」
小さな露店だった。派手な布ではなく、針、糸、裂いた古布、外套の留め具、古い繕い道具ばかりを並べている。売っているのは背の曲がった老婆だ。
台の端に、淡い青に近い糸玉があった。
リリィは胸元の布片を押さえる。俺は周囲を見る。白い天幕からは少し離れている。だが、人は多い。逃げ道は三つ。俺が立てば、リリィは荷車の影へ下がれる。
「見るだけだ」
「はい」
「触る時は言え」
「はい」
「買うとは言ってない」
「……はい」
最後の返事だけ、少ししょんぼりしていた。
「欲しいのか」
「違います。似てるだけです」
「欲しい顔だったぞ」
「似てるからです」
「そうか」
布屋の老婆は、俺を見ても驚かなかった。正確には驚いたが、金にならない驚きだと判断してすぐ消した顔だった。こういう相手は話が早い。
「針かい。糸かい。外套の穴なら太いのを使いな」
「見るだけだ」
「見るだけの客は、だいたい買う金がない」
「正しい」
「開き直るんじゃないよ」
老婆の声は乾いていたが、嫌味は薄い。
リリィは台の端に立ち、青い糸を見つめた。
「この糸、どこで使いますか」
老婆はリリィを見る。長い耳、傷んだ服、中古の靴。胸元に隠した布片。そのあたりまで一度で見た。
「子供用の外套だね」
リリィの指が止まった。
俺は半歩、前へ出る。
老婆は俺を見上げ、鼻で笑った。
「噛みつくんじゃないよ。歯が立派なのは見ればわかる」
「余計なことを言うな」
「なら余計じゃないことを言おうか。その縫い方、里の古い縫い方だ。けど今この市でよく見るのは、白い連中が持ってくる外套だよ」
「白い連中」
リリィの声が小さくなる。
老婆は台の下から、切れ端を一枚出した。白布の端。縫い目の裏に、青に近い糸が細く混じっている。
「寒さ避けじゃない。耳や髪を隠して、子供の肩幅を同じに見せる。測りやすいんだとさ」
リリィの顔から、菓子の甘さが消えた。
「測る……」
「子供は背も足も声も違うのにねえ。あの連中は、違うところを揃えたがる」
エイヴァが俺の肩でぴたりと動きを止めた。
「婆さん。その白い連中は何を測る」
俺が訊くと、老婆の目が細くなった。
「おまえさん、見た目のわりに声が低くて耳に来るね」
「質問に答えろ」
「答える前に、買いな」
「金がない」
「じゃあ荷を運びな」
「どこへ」
「裏の箱を三つ、天幕の陰まで。腰が痛くてね」
やっぱり商人だ。
「その間に逃げたら?」
「逃げるほど若くないよ。逃げても足が遅い」
「そういう問題か」
「そういう問題さ」
俺は右耳の欠けをかいた。面倒だ。だが、荷運びで話が聞けるなら安い。
「リリィはここにいろ。エイヴァ、見てろ」
「君に言われなくても見るよ」
「普通の小鳥としてか」
「今は賢い小鳥としてだ」
老婆の目がエイヴァに向いた。
「珍しい鳥だね。白い鳥は高く売れるよ」
リリィがまたエイヴァを両手で包もうとしたので、俺は先に言った。
「売らん。担保にもせん。芸もしない」
「……グローさん、全部言いました」
「先に言った方が早い」
老婆はしわだらけの顔で笑った。
「市は何でも売るが、売らないものを決めてる客は嫌いじゃないよ」




