第08話-4◆煙の向こう
橋の先で、道は二つに分かれていた。
ひとつは広い道。荷車が通る。移動市へ正面から入るならそちらだ。
もうひとつは湿地の端を抜ける細い道。歩きなら早いが、荷車は通れない。見つかりにくい。足には悪い。
バランは広い道を見た。
「ぼくたちはこっちだ。正面から市へ入る。人が多い場所では、ぼくの方が話を聞きやすい」
「目立つからな」
「今度は褒め言葉として受け取るよ」
「好きにしろ」
ベルニーが俺を見る。
「私たちは市の入口で情報を集める。白い馬車そのものより、天幕の場所と古井戸を探す」
「ああ」
「あなたたちは?」
「まず水と食料。次に、白い馬車の休む場所」
リリィが俺の横で言う。
「それと、子供たちが並べられる場所」
バランがリリィを見る。
「怖くないのかい?」
リリィは少しだけ黙った。
それから、小さく答える。
「怖いです」
その返事に、バランは真顔になった。
「でも、見ない方がもっと怖い。姉さんのことも、あの子たちのことも、見ないままだと、何もできないから」
バランは一瞬、言葉を失ったようだった。
ベルニーが静かに頷く。
「強いわね」
リリィは慌てた。
「強くないです。足も痛いし、すぐ疲れるし、さっきも転びかけました」
「そこまで言わなくていい」
俺が言うと、リリィは少しむくれた。
「でも、本当です」
「本当でも全部並べるな」
エイヴァが楽しそうに羽を揺らす。
「自分の弱点を正確に並べられる子は、だいたい強いもんだよ」
「そうなんですか?」
「たぶんね」
「たぶん」
リリィは少しだけ笑った。
バランは剣の柄を軽く叩いた。
「では、移動市で競争だ。どちらが先に白い馬車の尻尾をつかむか」
「競争してる場合か」
「競争にした方が、ぼくは強い」
「面倒なやつだな」
「君も十分面倒だよ」
ベルニーが歩き出しながら言う。
「二人とも面倒」
エイヴァが「ぴっ」と鳴いた。
普通の小鳥としての同意が早い。
バランたちは広い道へ向かった。
俺たちは細い道へ入る。
湿地の端は、草が高い。足元は柔らかく、ところどころ水が浮く。リリィの歩幅では時間がかかる。だが、白い馬車の轍に振り回されるよりはいい。
俺は根菜を一本、薄く切ってリリィへ渡した。
「食え」
「今ですか」
「歩く前に」
「硬いです」
「噛め」
「グローさんも」
「食う」
「エイヴァも」
「もちろんだよ」
エイヴァが当然のようにくちばしを開ける。
「自分で取れ」
「小鳥に刃物を使わせる気かい」
「刃物はいらん」
「じゃあ、君が切った方が早いねえ」
「鳥が一番態度でけえな」
リリィが根菜をかじって、顔をしかめた。
「硬い」
「食えるだけましだ」
「味は……土みたいです」
「洗った」
「洗っても土みたいです」
「そういう食べ物だ」
リリィは納得していない顔で、もう一口かじった。
その顔が子供らしくて、少しだけ安心する。
白い馬車は捕まえられなかった。
昨日の子供も、名前を返してもらうと言っていた子も、今はまだ馬車の中だ。
だが、ただ追うだけでは駄目だとわかった。
飴包み。
白布。
耳を隠す外套。
宿場の壁と橋の下に残された、欠けた翼に似た印。
そして、移動市。
点だったものが、ようやく道になり始めている。
リリィは根菜を両手で持ったまま、前を見ていた。
「グローさん」
「ああ」
「わたし、姉さんを追うだけじゃなく、あの子たちも見たいです」
「さっき聞いた」
「もう一回、言っておきたかったんです」
「そうか」
リリィは少しだけ息を吸った。
「見て、ちゃんと覚えます。わからないものを、わからないままにしないように」
「いい」
俺はそう言ってから、少し考えた。
それだけだと、またエイヴァに言い方を直せと言われそうだった。
「助かる。無茶はするな」
リリィがこちらを見る。
「はい」
その返事は、さっきより少しだけ強かった。
エイヴァが俺の肩で眠そうに目を細める。
「やれやれ。馬車は追うな、市を見ろ。年寄りが言うまでもなく、君たちも少しは考えるようになったじゃないか」
「おまえが言ったんだろ」
「だから誇っているんだよ」
「自分で言うな」
湿地の向こう、低い丘の先に、いくつもの煙が見えた。
一本ではない。二本、三本、もっと多い。食い物の煙、鍛冶の煙、湿った薪の煙。風に乗って、遠くから人のざわめきも届く。
移動市だ。
あそこには旅人がいる。商人がいる。芸人がいる。巡礼を名乗る連中も、孤児を救うと名乗る連中もいる。
そして、おそらく白い馬車もいる。
リリィが足を止めた。
「大きい……」
「人が多い。離れるな」
「うん」
「腹は」
「まだ、少し減ってます」
「なら、食って歩け」
リリィは根菜を見て、少しだけ笑った。
「はい」
俺たちは煙の方へ歩いた。
まだ市までは距離がある。
だが、煙の手前に、白い布の旗が一本立っているのが見えた。
風に揺れる旗の端に、欠けた翼に似た線が刺繍されている。小さい。だが、リリィが息を止めるには充分だった。
「……隠してない」
リリィの声が震えた。
エイヴァの羽が、俺の肩で静かにふくらむ。
「そうだねえ。ここでは、隠す必要がないんだろうさ」
俺は旗の下に集まる人影を見た。
商人も、旅人も、誰もその旗を避けていない。
白い包み紙の匂いと、欠けた翼に似た印は、もう移動市の中へ堂々とつながっていた。




