第07話-1◆川沿いの白い馬車
白い馬車の轍は、宿場を出てしばらくすると浅くなった。
泥道が乾き始めたせいもある。朝の風が湿地の水気を少しずつ剥がし、草の上の露を光らせている。だが、それだけじゃない。
車輪の跡が、途中から妙に整っている。
急いでいる馬車の跡ではない。重い荷を載せた馬車の跡でもない。揺らさないよう、速度を落として進んだ跡だ。
「子供を乗せているからか」
俺が言うと、リリィが胸元を押さえた。
昨日拾った糸くずと包み紙は、布にくるんで外套の内側へしまってある。触るなと言ったら、触らない。だが、何度もその場所へ手が行く。
「寝ている子がいるなら、揺らさないようにします」
「寝ていればな」
言ってから、少しきつかったかと思った。
リリィの足が一瞬だけ遅れる。
俺は歩幅を落とした。
「グローさん」
「ああ」
「……泣けないって、どういうことなんでしょう」
「わからん」
「昨日の子たち、泣いてませんでした」
「そうだな」
「泣かないのと、泣けないのは違いますよね」
「ああ」
リリィは考えながら歩いている。足元が疎かになっていたので、俺は肩の荷を持ち替え、さりげなく道の悪い側へ入った。
その時、リリィの靴がぬかるみに沈みかけた。
「足」
「あっ」
俺が腕を引く前に、リリィは自分で踏み直した。転ばない。だが、息が上がる。
「……だいじょうぶ」
「その言い方は大丈夫じゃない」
「だいじょうぶ。たぶん」
「たぶんを足すな」
エイヴァが俺の肩で羽をふくらませた。
「やれやれ。朝から足元と心配ごとを同時に見てるんだ。小さい体には重いよ」
「軽くしてやれるならしてやれ」
「年寄りに無茶を言うねえ。アタシにできるのは、小言と偵察と、せいぜい袖を少し乾かすくらいだよ」
「小言はいらん」
「一番得意なのに」
リリィが少しだけ笑った。
その笑いはすぐ消えた。
前方で、水の音がした。
小川だ。
旧街道は湿地を抜け、小さな流れに沿って曲がっていた。川幅は狭い。大人なら跳べる。子供なら濡れる。馬車は少し下流の浅瀬を渡ったらしい。濡れた石に細い車輪跡が残っている。
俺は足を止めた。
水音の向こうに、布のこすれる音がある。
人の声も。
小さな声と、大人の声。大人の声はやわらかい。昨日聞いた白い手袋の男と同じ種類の声だった。
「下がれ」
俺はリリィを背に回した。
エイヴァが肩から飛び、近くの枝に止まる。小鳥らしく首をかしげて、普通の小鳥のふりをした。
川沿いの木の陰から見ると、白い馬車がいた。
小川のそばで止まっている。馬は二頭。白い布をかけた馬車の後ろ扉は半分だけ開き、中から白い外套の子供たちが一人ずつ降ろされていた。
数は五人。
全員、深い頭巾をかぶっている。耳も髪も見えない。手には白い包み紙。小さな水筒を渡され、順番に水を飲まされていた。
その横に、白い外套の大人が二人いる。
一人は白い手袋の男。細身で、顔は頭巾の影に隠れている。もう一人は荷を見ている太い腕の男だ。武器は見えないが、腰の布の下に短い棒か刃物がある。
小川の向こう、別の木陰に金色がちらついた。
バランだ。
あいつはなぜ、隠れていても目立つのか。
ベルニーもいる。木の幹に背を預け、弓は下げたまま。だが、指は弦の近くにある。あっちはこっちに気づいている顔だった。
バランが俺たちを見つけて、口を開きかけた。
ベルニーが肘で止める。
いい判断だ。
リリィが俺の外套をつかんだ。
「子供たち……」
「見るだけだ」
「でも、近いです」
「近いから駄目だ」
「一人だけ、離れています」
リリィの視線の先を追う。
たしかに、一人だけ少し離れていた。小川の石に腰を下ろしている。背丈はリリィより少し低い。手の包み紙は開いていない。水筒も膝に置いたまま。
白い手袋の男が、その子の前にしゃがんだ。
「飲みなさい。喉が乾くと、響きが乱れる」
声は優しい。
言葉は嫌だった。
子供は返事をしない。
男は怒らない。包み紙を開き、白い飴を見せる。
「ひとつ数えて、ひとつ舐める。泣かない子は、早く着く」
子供は小さくうなずいた。
リリィの手に力が入る。
「グローさん、あの子」
「動くな」
「でも」
「動くな」
低く言うと、リリィは肩を震わせた。
俺はすぐに言葉を足した。
「助ける気がないんじゃない。今飛び出せば、あの子の逃げ道がなくなる」
「……うん」
返事はした。
だが、リリィの目は小川の方から離れない。
俺は周囲を見る。白い馬車。大人二人。馬二頭。隠れた道は三つ。川上、川下、馬車道。バランとベルニー。リリィ。エイヴァ。
奪って逃げるだけなら、一人はいけるかもしれない。
だが、残りはどうする。
この近くに宿場がある。町もある。白い馬車の連中が「オークが子供をさらった」と叫べば、追う側はあっちではなく俺になる。子供たちの行き場もない。
腹が立つ。
だが、腹立ちで動くと、守るものが増えるだけだ。
木陰の向こうで、バランが身を乗り出した。
「……行く気か、あいつ」
ベルニーが今度は腕をつかんで止めている。
声までは聞こえない。だが、バランの顔はわかりやすい。助けるべきだ、と言っている顔だ。
まったく。方向は悪くない。段取りが悪い。
白い手袋の男が、子供に飴を渡した。
その子は、飴を舐めなかった。
包み紙を握ったまま、少しだけ顔をこちらへ向けた。
頭巾の影から、目だけが見えた。
リリィと目が合った。
リリィは息を止めた。
俺は止める前に、リリィの手が外套から離れるのを見た。




