第06話-4◆朝の跡と青い糸
朝になって、白い馬車はいなかった。
宿場の入口には、細い車輪跡だけが残っていた。夜明け前に出たらしい。濡れた土に深く沈み、そこから東へ曲がっている。
リリィは寝不足の顔で、それでも自分で立った。
「追いますか」
「追う」
俺は先にリリィの靴を見た。
「ただし、布を直してからだ」
「今ですか」
「今だ」
「白い馬車、行っちゃいます」
「足が壊れたら、もっと行く」
リリィは反論しかけて、靴を見て、黙った。
「……はい」
布を巻き直している間、エイヴァが宿場の壁を見に飛んだ。昨日の印とは別の場所だ。白い馬車が休んでいたらしい小屋の軒下。
エイヴァが「ぴっ」と鳴いた。
俺はリリィの靴紐を結び終えてから、そちらへ向かった。
軒下の木片に、白い糸くずが引っかかっていた。
深い頭巾か、子供用外套の端から抜けたものだろう。薄い白。だが、一本だけ、青に近い糸が混じっている。
リリィが息を止めた。
「里の縫い方と同じか」
「……似ています。でも、同じって言い切れません」
「それでいい」
「いいんですか」
「言い切れないものを、言い切らないのは大事だ」
リリィは糸くずを見つめたまま、ゆっくりうなずいた。
エイヴァが軒下の板をつつく。
そこにも、小さな傷があった。
昨日の納屋の壁と同じ、欠けた翼に似た線。
ただし今度は、その横に白い飴の包み紙が一枚、丁寧に挟まれていた。
包み紙の内側には、小さな黒い点が三つ。
何の数かは、まだわからない。
その黒い点の横に、細い引っかき傷があった。紙の上を、爪の先で何度もこすったような跡だ。力は弱い。だが、一度ではない。数えながら、あるいは数えさせられながら、誰かがそこを削った。
リリィの指が、包み紙に触れる寸前で止まった。
「これ……」
「触るな」
俺は布越しに包み紙を取った。
甘い匂いはほとんど消えている。代わりに、舌に残る草の苦みだけがわずかに残っていた。
子供がただ菓子を食べた跡じゃない。
ここにいた誰かが、声を出せない代わりに、紙を削った。
エイヴァの声が低くなる。
「宿場ごとに、印と数を残してる。通った子の数か、測った順か、それとも……泣かずに数えられた回数か」
「推測か」
「今はね。けど、ろくでもない方へ寄ってる」
リリィは糸くずを両手で持ち、胸の前で握った。
「グローさん」
「ああ」
「あの子たち、泣かないんじゃなくて」
リリィは言葉を飲み込んだ。
俺は続きを急かさなかった。
少しして、リリィは言い直した。
「泣けないように、されてるのかもしれません」
エイヴァの羽が静かにふくらんだ。
俺は東へ続く轍を見た。
飯は少ない。金もない。足も万全じゃない。
それでも、道は決まった。
「行くぞ」
「はい」
「次は、見るだけじゃ済まないかもしれない」
リリィは少しだけ怖そうな顔をした。
それでも、糸くずを包んで、外套の内側へしまった。
「……それでも、行きます」
「なら、食って歩け」
「またそれですか」
「効くからな」
エイヴァが肩で「ちちっ」と鳴いた。
「やれやれ。温かいスープ一杯で、また面倒の方へ歩くんだからねえ」
「文句があるなら残るか」
「誰が残るもんか。アタシのパンくず代、まだ取り返してないよ」
「小さい借りだな」
「小鳥だからね」
リリィが小さく笑った。
白い馬車の轍は、朝の湿った道に細く続いていた。
俺たちはその跡を追って、宿場を出た。




