第06話-1◆宿場の軒下
宿場の軒下に並んだ小さな影は、こちらを見ても逃げなかった。
深い頭巾をかぶっている。布は白に近いが、湿気を吸って灰色がかっていた。背丈はリリィと同じくらいか、少し低い。三人とも、手に白い包み紙を握っている。
笑わない。
泣かない。
ただ、こちらを見る。
リリィの足が止まった。
「グローさん」
「ああ。見るだけにしろ」
「でも」
「近づくな」
短く言うと、リリィは唇を結んだ。
言い方がきついのはわかっている。だが、疲れた子供が、同じくらいの子供を見て、考えるより先に足を出すのもわかっている。
だから、俺はリリィの前に半歩出た。
宿場は小さい。
濡れた道の両側に、宿が一軒、酒を出す小屋が一軒、馬と荷車を置く屋根が二つ。奥には井戸と薪置き場。柵はあるが、町の壁ほどではない。逃げるにも、追うにも、中途半端な場所だ。
白い包み紙は、溝沿いにいくつも落ちている。
白い馬車そのものは見えない。
見えないのが、余計に嫌だった。
エイヴァがリリィの肩で小さく「ちちっ」と鳴く。今は普通の小鳥のふりだ。だが、羽が少し逆立っている。
軒下の子供の一人が、包み紙を胸に寄せた。
リリィが一歩出かける。
「リリィ」
俺は低く呼んだ。
リリィは止まった。止まったが、足先はまだ子供たちの方を向いている。
「……少しだけ、話を」
「今は駄目だ」
「どうして」
「おまえも疲れてる。向こうも見張られてるかもしれない。こっちが先に寝床を失う」
リリィは悔しそうに、俺の外套をつかんだ。
「見捨てるんじゃないですか」
「違う」
俺は宿場の中を見回した。
男たちの視線がこっちへ集まっている。行商、御者、荷運び人。宿の入口に立つ女将らしき女も、俺を見て眉を寄せていた。
オークが子供に近づく。
それだけで、話は簡単に曲がる。
「先に、ここに泊まれる形を作る。動くのはそれからだ」
リリィは息を吸った。
すぐ返事はしなかった。いい子の返事をしようとして、飲み込んだ顔だった。
「……うん」
「よし」
「でも、見ます。ちゃんと」
「ああ。見てろ。勝手に行くな」
「勝手には行きません」
少しむくれた返事だった。
それでいい。怖がって縮むよりはましだ。
俺たちは宿の入口へ向かった。
宿の主人は、扉の内側で俺を見上げていた。腹の出た中年男で、手には拭き布を持っている。拭く気があるのか、盾にしているのかは微妙だった。
「泊まりたい」
俺が言うと、主人は視線を俺の顔から足、肩の斧、リリィ、エイヴァへ順に移した。
「部屋はない」
「空きは?」
「ない」
宿の中から、客の笑い声が聞こえた。二階の窓には灯りもある。ないわけではない。
俺は主人の顔を見た。
「納屋でもいい」
「そこも埋まってる」
「馬小屋は」
言いかけて、俺はリリィの足を見た。
泥を吸った靴。布で直したかかと。歩き方が少し浅い。馬小屋に寝かせると、明日にはもっと足が悪くなる。
俺は言葉を変えた。
「いや、馬小屋はやめる」
主人が少しだけ意外そうな顔をした。
「なら、諦めてくれ。うちは面倒ごとは入れない」
「面倒ごととは便利な言葉だな」
「危険値持ちのオークに、耳長の子供に、妙な鳥だ。旅人が怖がる」
エイヴァが「ぴっ」と鳴いた。
妙な鳥と言われた抗議らしい。普通の小鳥としては、やや圧が強い。
リリィが少し身を縮める。
俺はその前に立つ位置をずらした。
「金は少ない。だが、飯と床が欲しい」
「だから無理だと」
「働く」
主人が眉を上げた。
「何を」
「壊れてるものはないか」
「……便利屋か?」
「元傭兵だ。荷車と井戸くらいなら見る」
「傭兵は井戸を直すのか」
「水がなきゃ死ぬからな」
主人は返事に詰まった。
宿の裏から、かすれた音がした。木がこすれる音。誰かが力を入れて、うまくいっていない音だ。
俺はそちらへ顔を向けた。
「井戸だな」
主人の口元が歪む。
「巻き上げが引っかかるだけだ。明日、修理屋を呼ぶ」
「明日まで水は?」
「桶で汲める」
「時間がかかる。客が増えれば足りない」
主人は嫌そうに俺を見た。
図星らしい。
リリィが俺の外套を軽く引いた。
「グローさん、井戸を直したら、泊まれるんですか」
「交渉中だ」
エイヴァがリリィの肩で、わざとらしく羽をふくらませた。
「ぴるる」
主人が目を細める。
「その鳥、宿代は取らんぞ」
エイヴァの目が一瞬、ぎらっとした。
俺は先に肩を揺らした。笑いかけたのを隠すためだ。
「小鳥一羽分くらい、引いてくれてもいいんじゃないか」
リリィが言う。
主人がぽかんとする。
「小鳥一羽分?」
「エイヴァは小さいので」
「リリィ」
「だって、宿代を取らないなら、少し安くなりませんか」
エイヴァが得意げに胸を張る。
主人は何とも言えない顔で、白い小鳥とリリィを見比べた。
「……子供に値切られるとは思わなかった」
「値切り、できましたか?」
「今のは少し違う」
俺が言うと、リリィは真面目な顔でうなずいた。
「次はもっとちゃんとします」
「今じゃなくていい」
その時、宿の奥から女将が顔を出した。
手には小皿がある。白い紙に包まれた飴が三つ、そこに載っていた。
「子供なら、これでも舐めて待ってな。さっきの白い馬車の人が置いていったんだよ。余りだって」
リリィの目が、一瞬だけ飴へ向いた。
俺は皿が差し出されるより先に、手で止めた。
「いらん」
女将が眉をひそめる。
「ただだよ」
「ただのものほど高いことがある」
「失礼な人だね」
「そうだな」
俺は皿から漂う匂いを嗅いだ。
甘い。昨日の飴より少し強い。草の冷たい匂いに、舌の奥へ残りそうな苦みが混じっている。
リリィは自分で胸元を押さえた。
「同じ匂いです」
「食うな」
「うん」
返事が早かった。
それだけで、少しだけ安心する。
主人が皿を横目で見た。
「馬車の人らは親切だぞ。子供に菓子を配って、騒ぎも起こさない」
「騒げないようにしてるだけかもしれない」
女将の顔がこわばった。
「変なこと言うんじゃないよ。うちは場所を貸してるだけだ」
「そうか」
俺はそれ以上詰めなかった。
今ここで騒いでも、宿場から追い出されるだけだ。リリィの足はもう限界に近い。動くなら、中に入ってからだ。
主人は拭き布で額をぬぐった。
「井戸が使えるようになったら、納屋の隅とスープ一杯ずつだ。部屋は無理だぞ。鳥の分は知らん」
エイヴァが「ちちっ」と鳴いた。
「鳥の分も少し」
リリィが言う。
主人はとうとう変な笑い方をした。
「パンくずくらいならくれてやる」
「それでいい」
俺は言った。
エイヴァが俺の肩に移って、小声でささやく。
「君、今アタシをパンくずで売ったね」
「担保よりましだろ」
「根に持っているよ、その話」
「俺もだ」




