第01話-2◆石板が言う値
森の切れ目に出ると、三差路の町が見えた。
高い壁。木と石を継いだ門。三つの街道がそこで交わり、人も荷車も吸い込まれていく。門の上には風に焼けた旗が垂れ、壁の外には入れなかった連中の小さな群れができていた。
壊れかけた荷車。布を張っただけの屋根。焚き火の跡。目つきの悪い旅人。亜人もいる。金がない者、身分を見せられない者、町に嫌われた者。
俺にとっては、珍しくない眺めだ。
リリィは門を見上げていた。
「大きい……」
「ああ」
「あそこに入れば、水も、服も、靴もありますか」
「ある」
「じゃあ、入らないと」
そうだ。
入らないといけない。
だが、入れるとは限らない。
俺は泥のついた外套を見下ろし、右耳の欠けたところをかいた。面倒だな、という言葉は飲み込んだ。言っても門は開かない。
「リリィ。門では余計なことを言うな」
「はい」
「エイヴァもだ」
白い小鳥がリリィの肩に移り、かわいらしく首をかしげた。
「ぴるる」
「今から普通の小鳥か」
「ぴっ」
便利な生き方だ。
門の列に並ぶと、前の商人たちは俺を一度見て、二度目は見ないふりをした。見ないふりにしては荷をこちらから遠ざけすぎだ。子供連れの女は、リリィの長い耳を見て少し表情をやわらげたが、俺の顔を見るとすぐ視線を落とした。
慣れている。
慣れてはいるが、荷袋の紐が肩に食い込む。
門の脇には、石板が立っていた。
ただの通行札掛けではない。大人の背ほどの黒い石に、古い線と新しい数字が混じって刻まれている。表面には薄く青い筋が走り、通る者が手を置くたびに、下の鉄枠で小さな札が跳ねた。
「次」
門番が顎で示した。
前の男が石板に手を置く。薄い光。鉄枠の札が一枚だけ起きる。
「危険値二。入場税、銅貨一枚」
「はいよ」
男は何も気にせず払って通った。
次の獣人は危険値五。銅貨二枚。文句を言いながらも通る。
俺の番が来た時、門番の目が先に止まった。豚鼻顔、牙、鎖帷子、斧、泥。見るものが多くて助かったな。嫌う理由を選び放題だ。
「登録証」
俺は黙って出した。
門番はそれを見て、眉を寄せる。
「冒険者登録あり、か」
「ああ」
「ネームド魔物?」
「亜人枠で通ってる」
「書類の上ではな」
嫌な言い方だが、間違ってはいない。
門番は石板を指した。
「手を置け。危険値を測る」
「石で人を測るのか」
「人だけじゃないからな」
後ろの誰かが小さく笑った。
リリィが裾をつかむ気配がした。俺はそちらを見ず、石板に手を置いた。
石が、熱くなった。
次の瞬間、青い筋が真っ赤に変わった。鉄枠の札が一枚、二枚、三枚と跳ね上がり、止まらない。門番が半歩下がる。列の後ろがざわついた。
最後に、石板の上端が鈍く鳴った。
数字の札は、見たことのないところまで上がっていた。
「危険値、九十八……?」
「壊れてるな」
「黙れ」
門番の声が硬くなる。周囲の視線が刺さった。俺は手を離す。石板には、まだ赤い筋が残っている。
九十八。
高いのはわかる。だが、数字にされると腹が立つ。俺が何をしたかではなく、何に見えるかだけで値札をつけられた気分だ。
門番は別の木札を取り出した。
「危険預かり金が必要だ」
「入場税じゃないのか」
「おまえの場合は別だ。町内で問題を起こした時の預かりだ。銀貨三枚」
リリィの息が止まった。
俺は荷袋の中の小さな魔石を思い出す。銀貨三枚。泥牙猪を何匹倒せばいい。倒したところで、あの肉は売れない。
「ない」
「なら入れん。危険者待機柵へ行け」
門の外、壁際の一角に柵があった。中には武装した亜人や、目つきの悪い流れ者が座らされている。荷物を抱えたまま、見張りに囲まれ、町に用があるなら町内の者を呼べという仕組みだ。
檻とどう違うのか、俺にはよくわからない。
「俺だけなら外でいい。買い物はこの子が行く」
俺はリリィの肩に手を置いた。細い。力を入れないように気をつける。
門番はリリィを見る。
「エルフの子か。付き添いは?」
「俺だ」
「入れない付き添いは付き添いじゃない」
「小鳥もいます」
リリィが真面目に言った。
エイヴァはリリィの肩で完璧な小鳥顔をしていた。丸い。白い。何も考えていなさそうに見える。中身を知っていると腹が立つほど上手い。
門番は鼻で笑った。
「獣魔登録か?」
「はい」
「なら、その子も測る」
リリィの指が、俺の外套をつかんだ。
「グローさん」
「嫌ならいい」
「……わたしが測られたら、入れるかもしれないんですよね」
リリィは石板を見た。怖がっていないわけじゃない。足の向きが少し逃げている。けれど、手は自分から外套を離した。
「町に入れたら、水、買えます。針と糸も。グローさんの外套、破れてるところあります」
「今それか」
「大事です」
エイヴァが肩の上で「ぴっ」と短く鳴いた。たぶん賛成だ。
俺は少しだけ目を細めた。
「だいじょうぶじゃない時は、そう言え」
「だいじょうぶ。……たぶん」
「たぶんは正直でいい」
リリィは小さく息を吸い、石板の前へ出た。
手を置く。
光は、最初は弱かった。
淡い青。水面みたいな揺れ。門番が退屈そうに木札をめくる。
数字の札は一枚だけ起きた。
「危険値一」
門番が言った。
低い。
列の後ろの空気も、少しゆるむ。そりゃそうだろう。小柄なエルフの子供だ。武器も持っていない。数字だけ見れば、俺よりずっと町向きだ。
だが、石板の青い筋が消えなかった。
リリィの手の下で、細い白い線が一本だけ浮いた。文字ではない。鳥の羽にも、欠けた輪にも見える。あるべき片側を失ったような、古い紋様。
石板の端に刻まれた読めない線刻が、ほんの少しだけ白くなった。
門番は眉をひそめた。
「何だ、これ」
知らない顔だった。
隠そうとしている顔ではない。面倒なものを見つけた下っ端の顔だ。
「手を離していいぞ」
リリィはすぐに手を引いた。白い線は細くなり、石板の奥へ沈むように消えた。
門番は木札の裏に炭筆で何かを書きつけた。
「危険値は一。入れる数字だが……珍しい反応あり、と。日報に上げとく」
「珍しい反応?」
「知らん。石の癖だろ。古い道具だからな」
「なら入れるのか」
門番は俺を見た。
「子供だけなら、まあ入れる。だが保護者が外で、しかも危険値九十八だ。面倒を起こされたら俺の責任になる。今日は保留だ」
「危険値一でもか」
「俺に言うな。規則だ」
都合のいい言葉だ。
リリィは自分の手を見ている。細い指が少し震えていた。
「わたし、変だったんですか」
その声で、腹の奥が冷えた。
俺は門番と石板の間に立つ。リリィを背中側へ入れる。エイヴァが肩の上で小さく「ちちっ」と鳴いた。普通の小鳥のふりを忘れかけた鳴き方だ。
「石の方が変だ」
「でも」
「石だぞ。だいぶ前から動いてない顔をしてる。信用するな」
リリィはきょとんとした。それから、自分でも迷うように少しだけ頬をゆるめた。
「石に、顔はないです」
「だから信用するな」
「それは、そうなの?」
真面目に考えるな。俺が困る。




