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流れの豚は今日も金が貯まらない  作者: うつチャリンカー


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第01話-1◆泥と牙と足あと

全24話 1日1話4パート定時投稿予約済み

 森を抜ける少し前、まず鼻に来たのは町の匂いではなかった。


 泥だ。


 湿った獣の毛と、腐った木の根と、腹にたまるだけでうまくもなさそうな肉の匂い。それが風下からどっと流れてきた時点で、俺は荷袋の紐を肩に掛け直した。


「リリィ、後ろ」


「うん」


 返事は早い。早すぎる。


 俺が横目を向けると、リリィは傷んだ薄衣の裾を握ったまま、一歩下がった。足元はもう悪い。森越えで細い足はかなり来ているはずだが、本人は背筋だけはまっすぐにしようとしている。


 頑張り方が危ない。


「走るな。転ぶ」


「転ばな――」


 言い終わる前に、木の根へつま先を引っかけかけた。


 俺は外套の端でリリィの肩を引き、ついでに自分の背中側へ回す。


「ほら転ぶ」


「まだ転んでないです」


「転ぶ前に止めたんだ」


 リリィが少しだけむっとした顔をした。いい。むっとできるなら、まだ動ける。


 俺の左肩で、白い丸いものがふくらんだ。


「君ってのは、子供に言葉を投げる時も石ころみたいだねえ」


「やわらかく言ったら転ばないのか」


「言い方の話をしてるんだよ。まったく」


 エイヴァは羽づくろいをするふりをして、首だけ森の奥へ向けていた。小鳥の姿になっても、目だけは年寄りだ。見ているものが多い。


 木の陰が揺れた。


 太い鼻先が出る。泥を固めたような毛皮。左右に曲がった短い牙。背は低いが、胴が太い。突っ込まれたら子供の身体など簡単に飛ぶ。


 泥牙猪だ。


 肉は臭い。皮も安い。魔石も小さい。なのに力だけはある。


 最悪ではない。だが、腹の減った旅人にとってはかなり腹の立つ相手だ。


「……もう少しで町だったんだがな」


「町に着いたら、ごはん、買えますか」


 リリィが俺の背中越しに小さく訊いた。


 俺は斧の柄を握る。正直に言えば、買えるかどうかは魔石次第だ。もっと正直に言えば、俺が町に入れるかどうかも怪しい。


 それを今言っても、猪は待たない。


「買う。まずあれをどける」


「食べられる?」


「まずい」


「じゃあ、がんばって倒すの、少し悲しいですね」


「倒す理由がまた一つ減ったな」


 俺がそう言うと、エイヴァが「ちちっ」と鳴いた。笑ったのか呆れたのか、鳥の顔では判別しにくい。


 泥牙猪が前足で地面をかいた。


 来る。


 俺は一歩、右に出た。リリィとエイヴァを背中から外さない位置。猪の突進路に俺だけを置く。足場は湿っている。正面から止めると滑る。左の根が少し高い。あそこに前足が乗る。


 突進。


 泥の塊が低く走ってきた。


 怖がる暇はない。怖がる前に距離を見る。鼻先、牙、肩の高さ、後ろ足の蹴り。傭兵の仕事で覚えたのは、強い相手の倒し方より、雑に強い相手を安く片付けるやり方だ。


 俺は斧を振りかぶらない。大きく振ると遅い。


 牙を避け、肩をぶつける寸前で半歩ずらす。猪の前足が根に乗った。重い胴が浮く。


 そこへ、斧の背を首の横へ叩き込んだ。


 鈍い音。


 猪の体が横へ折れ、泥をまき散らして転がった。近くの細い木が一本、折れた。土の上を滑った巨体が、根にぶつかって止まる。


 まだ動こうとしたので、俺は首筋へ刃を入れた。無駄に暴れさせると、こっちも汚れる。


 遅かった。


 跳ねた泥が鎖帷子と外套にべったり付いた。顔にも来た。右耳の欠けたあたりまでぬるい。


「……そう来るか」


「グローさん、顔が」


「わかってる」


 袖で拭った。余計に広がった。


 リリィが言葉を探すように口を開け、閉じる。目だけが忙しい。笑っていいのか心配していいのか、迷っている顔だ。


「笑うなら今だぞ」


「笑ってないです」


 頬が少しふくらんでいる。


 エイヴァは俺の肩からぴょんと跳ね、泥のかかっていない枝に移った。


「いやあ、実に勇ましい。町の門番が見たら、さぞ入れたがらない姿だねえ」


「鳥は黙ってろ」


「ぴっ」


 普通の小鳥のふりをするな。遅い。


 俺は泥牙猪の腹を浅く裂き、臭い臓物を避けて魔石だけ取り出した。小さい。指先で弾くと軽い音がした。旅費にはなる。だが、子供用の服と靴、食料、水、薬草、できれば寝床。そこまで数えると、音の軽さが腹に来る。


 リリィがそっと近づいた。


「わたし、持ちます」


「持つな。臭い」


「でも、役に立ちたい」


 まっすぐ言われると、困る。


 俺は魔石を布に包み、荷袋の浅いところへ入れた。それから泥のついていない干し肉の端を一つ出して、リリィに渡す。


「じゃあ食え」


「え?」


「倒したあとの仕事だ。食わないと歩けん」


「それは、役に立つことですか」


「倒れないのは役に立つ」


 リリィは干し肉を両手で持った。大事なものみたいに見つめてから、小さくかじる。固くて少し顔をしかめた。


 少し歩き出してから、リリィが泥の上を指差した。


「グローさん」


「あ?」


「こっち、町の方に足あとがあります」


 俺は振り返った。


 泥牙猪のものとは違う。細い靴の跡が、森の浅いところから町の方へ続いている。新しくはない。雨に少し崩れている。大人の足ではない。


「人間の子供か」


「たぶん。でも、つま先が外を向いてる。急いでたみたい」


 リリィはしゃがみかけて、ふらついた。


 俺は襟の後ろをつまんで止める。


「見るのはいい。倒れるな」


「倒れてないです」


「二回目だぞ」


 リリィが口を結ぶ。悔しそうだが、目はまだ足あとを追っていた。


 エイヴァが枝から飛び戻り、リリィの肩に乗る。


「よく見つけたね。足あとを見る時は、自分の足も見な。君の足が先に音を上げるよ」


「うん」


 俺は足あとをもう一度見た。


 町へ向かっている。今すぐ追うようなものではない。だが、リリィはちゃんと見ている。守られるだけの荷物ではない、と本人が言いたがっている理由はわかる。


「覚えとけ」


「はい」


「役には立った」


 リリィが少し固まった。


「……今、ほめました?」


「報告した」


「ほめたみたいでした」


「なら、そういうことでいい」


 リリィは嬉しそうにしたあと、少し不満そうに眉を寄せた。難しい顔だ。


 エイヴァが胸を張る。


「アタシの分は?」


「おまえ、さっき腹の足しにもならんとか言われたら怒るくせに、食う時だけ一人前だな」


「一人前ではないよ。小鳥前だ」


「量がわからん」


「そこからもう間違ってるんだよ」


 仕方なく、干し肉を爪の先ほど裂いて差し出す。エイヴァは一瞬だけ目を輝かせ、それからわざとらしく咳払いした。


「まあ、受け取ってあげよう」


「偉そうな毛玉だ」


「白い賢者とお呼び」


「白い食費だ」


 リリィが今度こそ少し笑った。


 それだけで、泥牙猪を倒した意味は少し増えた。

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4パートで6/1まで毎日投稿

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