第05話-3◆飴一つで、道は曲がる
行商人は、抜けた荷車と俺の足元を交互に見ていた。
「……そりゃ、門で止められるわけだ」
「褒め言葉か?」
「半分な」
「残り半分は聞かないでおく」
行商人は苦い顔をしたが、ロバの首を叩こうとして、俺の目を見て手を止めた。代わりに、首筋をなでる。
「よ、よし。よくやった」
ロバは知らん顔をした。
「そいつの方が賢いな」
「俺よりか?」
「少なくとも怒鳴らない」
行商人は反論しなかった。
約束のパンは、本当に形が悪かった。片側がへこみ、焼き目もまだらだ。だが、指で押すと柔らかい。黒パンよりずっとましだ。
リリィは両手で受け取って、目を丸くした。
「柔らかい」
「先に食え」
「グローさんは?」
「俺はあとでいい」
リリィはパンを見て、俺を見て、もう一度パンを見る。
「半分」
「食えと言った」
「でも、グローさんも引っ張りました」
「引っ張ったから腹が減ってる。だから、おまえが倒れると困る」
「理屈が変です」
「変でも食え」
リリィは少し迷ってから、パンの端をちぎった。自分で食べる分より少し大きい欠片を、俺へ差し出す。
俺は眉を上げた。
「聞いてたか」
「半分じゃないです。端です」
「屁理屈を覚えたな」
「エイヴァに習いました」
「おや、いい生徒だねえ」
「悪い先生だ」
俺はパンの端を受け取った。リリィがほっとした顔をしてから、自分の分を小さくかじる。柔らかいパンを食べるだけで、目元が少しほどけた。
その顔を見ると、受け取ってよかったと思う。
エイヴァがリリィの膝に戻り、当然のようにくちばしを上げた。
「アタシの分は?」
「小鳥前だろ」
「柔らかいパンの小鳥前は、気持ち多めと決まっている」
「誰が決めた」
「今決めた」
「面倒な鳥だな」
俺は爪の先ほどのパンをちぎってやった。エイヴァはそれを受け取り、満足そうに羽をふくらませる。
行商人はその様子を見て、変な顔をしていた。
「その鳥、妙に賢いな」
エイヴァがすぐに「ぴるる」と鳴いて、首をかしげた。
普通の小鳥のふりが早い。こういう時だけは優秀だ。
「よく食うだけだ」
「鳥って、パン食うのか」
「俺に聞くな」
行商人はまだ納得していない顔だったが、荷袋を積み直しながら湿地側の道を顎で示した。
「そっちへ行くなら、夕方までに宿場へ着いた方がいい。湿地は暗くなると道が消える」
「宿場があるのか」
「ああ。小さいがな。巡礼だの行商だのが使う。白い布をかけた馬車も、たまにそこで子供を休ませてる」
リリィの手が止まった。
俺も行商人を見る。
「子供?」
「詳しくは知らん。深い頭巾をかぶせて、静かにしてる子供だ。泣きもしない。菓子をもらってるのを見たことはある」
行商人は言ってから、俺たちの空気が変わったのに気づいたらしい。口をつぐんだ。
「その馬車は湿地側か」
「俺が見たのはな。山側へ白い馬車が上がるなら、もっと馬を替える。あの道は細い車輪じゃ苦労する」
リリィが胸元の布片を押さえる。
俺はパンの残りを荷袋に入れた。
「助かった」
「こっちの台詞だ。……なあ、その子、あの馬車の知り合いか?」
「違う」
俺は短く答えた。
行商人はそれ以上聞かなかった。聞かない方が得だと判断できる程度には、旅慣れている男だった。
荷車が湿地側とは反対へ動いていく。ロバは最後にもう一度こちらを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「嫌われましたか」
リリィが訊く。
「礼を言ったんだろ」
「あれが?」
「たぶん」
「グローさん、ロバに甘いです」
「おまえよりは甘やかしてない」
リリィが少し考えてから、むっとした。
「わたし、ロバより厳しくされてますか」
「歩けるからな」
「ロバも歩けます」
「荷車を引く」
「わたしも荷物、持てます」
「持たなくていい」
「……やっぱり、厳しいのか甘いのか、わかりません」
エイヴァが腹を抱えるように羽を震わせた。
「リリィ、それはね、本人もわかってないんだよ」
「鳥が一番態度でけえな」
「真実を言う小鳥だからね」
パンを食べ、少しだけ水を飲ませ、リリィの靴の中の布を直した。
湿地側へ入る前に、俺はもう一度、白い飴包みを確かめた。黄色い花粉。甘い薬の匂い。白い馬車。子供を休ませる宿場。
道は曲がった。
飴一つで。
馬鹿らしいほど小さな手掛かりだが、旅ではそういうものが一番重いことがある。




