第05話-1◆轍の読み方
白い馬車の轍は、昼前には二本に分かれた。
旧街道は、名前だけなら立派だ。実際には、草に食われた道と、泥に沈みかけた道と、石が多すぎて荷車が嫌がる道をまとめてそう呼んでいるだけだった。
白い馬車の細い車輪跡は、その分かれ目で一度乱れていた。
片方は山側へ上がる。乾いた土と、砕けた石。馬の蹄が滑りにくい道だが、目立つ。
もう片方は湿地側へ曲がる。黒い泥がにじみ、草の根が道の端から伸びている。車輪は沈む。足も取られる。だが、跡は残りやすい。
俺はしゃがんで、土を指で押した。
「……面倒だな」
リリィが隣にしゃがみかけたので、俺は先に手を出して止めた。
「膝をつくな。泥が入る」
「見たいです」
「立ったまま見ろ」
「立ったままだと、近くが見えません」
「じゃあ俺の肩につかまれ」
言ってから、少し間違えたと思った。
リリィは本当に俺の肩につかまって、身を乗り出した。軽い。軽いが、旧街道で足を取られながら支えるには地味に気を使う。
エイヴァが俺の肩の反対側でふくらんだ。
「君ってのは、子供に足を使わせないためなら自分の腰を壊すんだねえ」
「うるさい。見えるか」
「うん。……山の方に、足あとがあります」
リリィは泥の少ない山側を指した。
大きめの靴跡。踏み込みが浅い。わざと目立たせたような歩幅。横にもう一つ、軽くて乱れの少ない足跡。
バランとベルニーだ。
「あの金髪、先に行ったか」
「バランさんたち?」
「たぶんな」
「じゃあ、わたしたちも山ですか」
「それを決めるには、あいつが目立ちすぎる」
俺がそう言うと、エイヴァが「ぴっ」と鳴いた。
「普通の小鳥として同意するよ」
「おまえは普通の小鳥なら黙ってろ」
「普通の小鳥にも意見はあるんだよ」
リリィが少しだけ笑った。笑ったあと、すぐ胸元を押さえる。そこには薄い青の布片をしまってある。
町の裏口で白い馬車から取った布だ。
里の子供用の縫い方。姉のものとは決められない。決められないが、リリィがそれを捨てられるわけもない。
「湿地の方は?」
リリィに訊かれて、俺は泥へ目を戻した。
細い車輪跡がある。だが、途中で草をかぶせたように見える。雑ではない。急いでいるのに、隠すことを忘れていない。
「こっちも馬車は通ってる」
「二台?」
「いや、一台だ。分かれ目で何かしたな」
山側には目立つ車輪跡が少しだけある。だが、深さが足りない。荷が軽すぎる。湿地側の泥の方が深い。片側が少し沈む癖も残っている。
白い馬車は湿地へ曲がった。
問題は、それが本命か、そう見せたいだけかだ。
「グローさん」
リリィが、道端の低い草を見ていた。
「白いものがあります」
草の根元に、小さな包みが引っかかっていた。
白い薄紙。端に丸い跡。中に何かを包んでいた形で、指先ほどの大きさだ。俺が拾おうとすると、リリィが先に手を伸ばしかけた。
「待て」
俺はその手首を軽く止めた。
リリィがはっとして、手を引っ込める。
「ごめんなさい」
「謝る前に、次から言え」
「うん。……でも、甘い匂いがします」
言われてから、俺も鼻を近づけた。
甘い。黒パンや干し肉とは違う。砂糖を焦がしたような匂いに、草の青臭さが混じっている。腹が減っている時に嗅ぐには、あまりよくない匂いだ。欲しくなる。
俺は包みを布越しにつまんだ。
内側に、白い飴の欠片が少し残っていた。
リリィの目がそれに吸われる。
「知ってるのか」
「……似ています」
「何に」
「里で、子供に配られていた甘い薬。魔力が、変にざわざわした時に、少しだけ舐めるやつです」
「ざわざわ?」
「胸の奥が熱くなって、耳の中で音が大きくなって、手が自分の手じゃないみたいになる時です。小さい子は、それで泣いたり、熱を出したりします。わたしも、小さい頃に一度だけ」
リリィは言葉を選ぶように、ゆっくり話した。
「その時は、長老さまが、少しだけって。甘いのに、舐めたら頭の中がしんとなりました」
俺はエイヴァを見た。
エイヴァは羽づくろいの途中で止まっていた。丸い小鳥の顔なのに、目だけが冷えている。
「どう見る」
「子供を黙らせるには便利な甘さだねえ」
リリィの肩が小さく揺れた。
エイヴァはすぐに声を少し柔らかくした。
「もちろん、薬そのものが悪いわけじゃないよ。薬は使い方だ。けど、白い馬車に乗せた子供にこれを配っているなら、優しさだけとは思わない方がいい」
「落ち着かせるためか」
「泣き声も、魔力の揺れも、両方ね」
俺は飴の欠片を見た。
リリィに食わせるべきではない。そう思うのは簡単だ。
だが、リリィは探している。青い布片と、白い馬車と、姉へ続くかもしれないものを。全部を俺が取り上げていたら、リリィはただ連れていかれるだけになる。
「食うな」
まず言った。
リリィが少しだけ唇を結ぶ。
「匂いだけ」
「匂いだけならいい。舐めるのは待て」
「……はい」
返事はいい。だが、目は飴を見ている。
腹が減っている子供の前に甘いものを出すのは、ずるい。白い馬車の連中がそれをわかってやっているなら、腹立たしい。
俺は包みを広げた。
薄紙の折り目に、黄色い粉がついている。土ではない。指で払うと、湿って少し固まっていた。
「花粉か」
エイヴァが首をかしげる。
「山側の乾いた粉じゃないね。湿ってる。湿地の草花だ」
「こっちへ曲がったあとに落ちた?」
「か、曲がる前から湿地のものを載せていたか。どちらにせよ、山側よりは湿地側の匂いが強い」
リリィがじっと包みを見ていた。
「白い馬車は、湿地です」
「決めるのが早い」
「でも、バランさんたちの足あと、山の方にわざとついてるみたいでした」
「なぜそう思う」
「石の上にも足あとをつけようとしてます。普通に歩いたら、あんなに端を踏まないです」
俺は山側の石を見た。
確かに、靴裏の泥が石の端に残っている。目立つ場所を選んで踏んでいる。バランならやりかねない。派手なやつは、足跡まで派手だ。
だが、ベルニーがそれを何も考えずに許すとは思えない。
「目立たせた足跡か」
「ベルニーさんなら、気づきますよね」
「ああ」
あの弓使いは、白い鳥の目立ち方まで見ていた女だ。足跡を消す方がたぶん上手い。なのに残しているなら、山側は調べる道だ。追いかけろという意味ではない。
エイヴァが「ちちっ」と鳴いた。
「競争相手にしては、妙な置き土産だねえ」
「親切じゃない。自分たちは山を調べるから、おまえらは泥へ行けってだけだ」
「それを親切と言うんだよ。ずいぶんひねて育ったねえ」
「鳥に育ちを言われたくない」
リリィが包みを両手で持とうとして、俺を見上げた。
「持っててもいいですか」
「舐めるなよ」
「舐めません」
「匂いを嗅ぎすぎるな」
「それは……少しだけ」
「リリィ」
「はい」
真面目な顔で返すので、こっちが悪いことをしている気分になる。
俺は包みをもう一枚の布でくるみ、リリィに渡した。
「落とすな。隠せ。腹が減ってる時に見るな」
「最後が難しいです」
「正直でいい」
リリィは少しだけ頬をゆるめた。




