第04話-2◆外套と青い布
中から声が聞こえた。
「急げ。夜が明ける」
「役場の判がまだだ」
「判は後でいい。白布を出せば通る」
白布。
俺はリリィを見る。
リリィも聞いていた。外套を握る手に力が入っている。
エイヴァが上から「ぴっ」と短く鳴いた。
合図。
俺は動いた。
木戸の脇にいた見張りがこちらへ気づく。笛持ちの手が口元へ跳ねた。
遅い。
音が出る寸前、俺はその手首を押さえた。笛の縁が唇に触れる。息が入りかける。そこで手首をひねる。
笛が落ちた。
足払い。倒れる前に襟を掴み、音を殺して木箱の陰へ落とす。
槍持ちが振り向いた。
突いてくる。
遅くはない。だが、狭い。槍を使う場所ではない。
俺は柄の内側へ入り、肘で槍の軌道を落とした。踏み込んで肩を当てる。相手の息が詰まる。膝が浮く。石壁に背中が当たる寸前で止め、喉元へ斧の柄を押し当てた。
「声を出すな」
男の目が俺の顔を見た。
豚鼻、牙、欠けた耳。
声は出なかった。
よし。
リリィが遅れて木箱の陰へ来る。息が少し上がっていたが、転んでいない。エイヴァは見張りの落とした笛をくちばしでつつき、木箱の下へ押し込んだ。
「鳥が一番仕事してるねえ」
「今それか」
「今だからだよ」
俺は槍持ちを縛る縄を探した。ない。仕方なく、相手の帯を抜いて手首を縛る。
リリィが小声で言った。
「グローさん、こっち」
木戸の隙間だ。
内側が見える。
白い馬車がいた。
白布で覆われた小型の馬車。側面には、昨日見た欠けた翼のような印が薄く描かれている。目立たない。だが、知っていれば見える。車輪は細い。片側に沈み癖。間違いない。
馬車の後ろには、深い頭巾付きの外套が積まれていた。
子供用だ。
リリィが息を止める。
俺は声を落とした。
「中は見えるか」
「布の隙間だけ。……誰か、いるかもしれない」
「顔は」
「見えない」
「耳は」
「見えない」
リリィの指が震えていた。
姉かもしれない。
違うかもしれない。
ここで断定すれば、リリィは走る。断定しなくても走りかねない。だから、俺は先に腕を伸ばし、外套の端を掴ませた。
「持ってろ」
「え?」
「俺の外套だ。走るなら俺ごと引っ張れ」
リリィは一瞬だけ目を丸くした。
「そんなの、無理です」
「なら走るな」
「……ずるい」
「作戦だ」
「それは作戦じゃないです」
「勢いよりましだ」
エイヴァが小さく笑った。
「少しは保護者らしくなったじゃないか」
「うるさい」
馬車の近くで、別の声がした。
「数は?」
「一つ足りん」
「足りない?」
「昨夜の反応分だ。門の日報に白線あり。危険値は低い。耳長の子供。赤札付きのオーク連れ」
リリィの指が外套を強く握った。
俺の腹の奥が冷えた。
俺たちのことだ。
エイヴァも黙った。
「まだ町外だろう」
「だから急ぐ。白布を先に出す。拾えるなら後で拾う」
「オークは?」
「邪魔なら値踏み市の記録で処理できる。危険値九十八だぞ。暴れたことにすればいい」
槍持ちの喉元へ押し当てた柄に、少し力が入った。
男が青ざめる。
リリィが俺を見る。怖がっている。だが、それだけじゃない。怒ってもいる。
「グローさん」
「声を出すな」
「うん」
言いながら、リリィは口を押さえた。自分で止めた。いい。
白い馬車の前で、御者らしい男が手綱を取る。馬は一頭。大きくはないが、よく訓練されている。音を立てずに歩く馬だ。
木戸の内側で、別の下働きがかんぬきを外し始めた。
このままでは馬車が出る。
追うか、止めるか。
止めれば騒ぎになる。騒ぎになれば、町が敵になる。リリィの反応も、こちらの動きも、全部あちらへ渡る。
追うなら、まず出させる。
だが、馬車の中に子供がいるなら、出させるのは危ない。
面倒だ。
俺が判断するより早く、白いものが空から落ちた。
エイヴァだ。
小鳥は木戸の内側へ入り、馬の鼻先で「ぴっ」と鳴いた。
馬がびくっと首を上げる。
「鳥?」
「追え、逃がすな」
下働きが手を伸ばした瞬間、エイヴァはひらりと上へ逃げた。大した魔法じゃない。ただの小鳥の動きだ。だが、馬の気は逸れた。御者が手綱を引く。馬車の出発が一拍遅れる。
一拍あれば足りる。
「リリィ、布」
「どれ?」
「白い布じゃない。後ろの外套の端だ」
リリィは小さく息を吸い、木戸の隙間へ手を伸ばした。小さい体だから届く。大人なら腕が引っかかる隙間に、細い手が入る。
深い頭巾付きの外套。その端に指が触れる。
しかし、あと少しで届かない。
リリィの靴が土を滑った。
俺は腰を掴んで支える。
「落ちるな」
「もう少し……!」
リリィの指が布をつかんだ。
小さく裂ける音。
白ではない。内側に縫い込まれた薄い青の布片が、リリィの手の中に残った。
その瞬間、馬車が動いた。
木戸が開く。内側から白い馬車が滑り出る。
俺は縛った槍持ちを木箱の陰へ押し込み、リリィを抱えるようにして横へ跳んだ。馬車の車輪がすぐ横を通る。細い車輪。片側が沈む。土を深く切る。
馬車は町の外周を抜け、旧街道へ向かって走り始めた。
騒ぎが起きる。
「見張りが倒れてるぞ!」
「鳥だ! 白い鳥はどこだ!」
「赤札のオークは?」
遅い。
俺はリリィを下ろし、布片を見た。
「取れたか」
「取れました」
リリィは息を切らしている。だが、両手で布片を大事そうに持っていた。
薄い青の布。端に、細い糸の返しがある。葉の形に見える結び。
リリィの顔が変わった。
「これ……里の縫い方です」
声が震えていた。
「姉さんの?」
「わからない」
リリィは首を横に振る。苦しそうに、でもちゃんと言った。
「でも、里の子供用の縫い方です。外から見えないところに、ほどけにくいようにするやつ」
俺は布片を見た。
断定はできない。
だが、追う理由にはなる。
「よく取った」
リリィが一瞬、息を止めた。
「……はい」
エイヴァが戻ってきた。リリィの肩ではなく、俺の肩へ落ちるように止まる。羽が少し乱れている。
「馬に嫌われたよ」
「だろうな」
「ほめるところだろう」
「助かった」
「よろしい」




