第04話-1◆夜明け前に動く
夜明け前に起きるのは、嫌いじゃない。
起きてさえいれば、だが。
柵の中はまだ暗く、寝息と湿った土の匂いが低く溜まっていた。壁の向こうの町も眠っているようで、実際には眠っていない。荷車の軋む音が遠くで一つ。門番の咳が一つ。夜明け前に動く連中は、たいてい表で見られたくないものを持っている。
俺は斧の柄を握り直し、膝のそばに丸まっているリリィを見た。
起こす前に、リリィが目を開けた。
「……起きてます」
「寝てたろ」
「途中から、起きてました」
「どの途中だ」
「グローさんが、立ったところ」
声は小さい。だが、昨日より返事が早すぎない。寝不足で無理をしている顔でもない。目の奥には眠気が残っているが、ちゃんとこちらを見ている。
俺は水袋を差し出した。
「飲め」
「うん」
リリィは両手で受け取り、少しだけ飲んだ。残りを俺に返そうとする。
「もう少し」
「でも」
「夜明け前に走るかもしれん」
リリィは一瞬だけ目を丸くして、それから素直にもう一口飲んだ。
いい返事だ。
俺の肩の上では、白い毛玉が片目だけ開けていた。
「アタシにもおくれ」
「水か」
「もちろんだよ。まさか朝から干し肉を要求するほど、アタシは図々しくない」
「昨日はした」
「昨日のアタシは昨日のアタシだ」
「都合がいい鳥だな」
水袋の口を少し傾けると、エイヴァは器用にくちばしをつけた。二口飲み、満足したように羽を整える。
「で、行くんだね」
「ああ」
「門から?」
「通してくれると思うか」
「思わないねえ。あの石頭どもは、夜明け前ほど規則を盾にする」
「なら裏だ」
俺は柵の向こうを見た。
見張りは二人。片方は眠気に負けかけている。もう片方は起きているが、壁の方ばかり見ている。赤札持ちが夜に逃げるのを警戒しているつもりだろうが、逃げるやつはもっと静かに、もっと早く動く。
リリィが靴紐を結び直そうとして、少しもたついた。
「貸せ」
「自分でできます」
「急ぐ時は貸せ」
俺はしゃがんで紐を締めた。少し大きい靴。布を噛ませたかかと。走ればまだ浮く。走らせたくはないが、走らないで済むと決めつけるほど、世の中は親切じゃない。
「痛かったら言え」
「うん」
「言う前に我慢するな」
「うん」
「返事が軽い」
「言います」
「よし」
リリィは結ばれた靴を見て、小さく息を吸った。
エイヴァが俺の肩からリリィの肩へ移る。
「行く前に一つ。白い馬車はたぶん、門から出ない」
「裏口か」
「町役場裏から外周へ抜ける道がある。昨日、担保保管室の壁に古い搬出口の線が残っていた。今は塞いだことになっているだろうけどね」
「なっているだけか」
「この町は、塞いだものをよく使う町だよ」
嫌な言い方だが、たぶん正しい。
俺は荷袋を肩にかけた。食料は少ない。水も少ない。銅貨はほとんどない。だが、重いよりはましだ。逃げる時、荷は軽い方がいい。
見張りがこちらへ気づいた。
「おい、赤札。どこへ行く」
「小便だ」
「子供連れてか?」
「鳥もする」
「鳥はどこでもするだろ」
「だから困ってる」
見張りが嫌そうな顔をした。
その一瞬、エイヴァが「ぴるる」と鳴いて羽をばたつかせた。わざとらしく、リリィの肩から俺の頭へ飛び、そこから柵の脇へ跳ねる。
「おい、鳥を戻せ」
「今やってる」
俺は柵の戸へ近づいた。見張りが腰の鍵束へ手をやる。
その時、柵の奥で誰かが寝返りを打ち、空の水瓶を蹴った。
がらん、と音が響く。
見張りがそちらを見た。
俺は鍵束へ伸びた手首を軽く掴んだ。折りはしない。痛いところだけ押さえる。
「開けろ。すぐ戻る」
「て、てめ――」
「騒ぐな。鳥の糞で起こされたことにするか、腕を痛めたことで起こされたことにするか、選べ」
見張りの喉が鳴った。
リリィが俺の外套の端をつかむ。エイヴァは柵の脇で、完璧な小鳥顔をして首をかしげていた。
「……すぐ戻れよ」
「気分次第だ」
「戻れ!」
木戸が開く。
俺たちは柵を出た。
走らない。最初から走ると目立つ。壁際の影を選び、露店の畳まれた布の間を抜ける。夜明け前の町外は、昼より狭い。荷が積まれ、人が寝て、昨日の残り火が灰の下でくすぶっている。
リリィの足音は小さい。
新しい靴がまだ固い。それでも、前よりはずっといい。
「痛いか」
「だいじょうぶ。……今は、ほんとうに」
「よし」
エイヴァがリリィの肩で小声を出す。
「右。役場裏の石壁が見える」
町の壁の外側を回り込むと、表門から少し外れた場所に低い石壁があった。上から見れば町の内側だが、外からは荷置き場の影に隠れている。木箱、古い樽、捨てられた車輪。使われていないように見せるには、少し物が整いすぎている。
俺は足を止めた。
土に車輪跡がある。
細い車輪。片側が少し沈む癖。昨日、値踏み市の裏で見たものと同じだ。
「合ってる」
リリィがしゃがみかけたので、俺は肩を押さえた。
「今は見るだけ」
「うん。……でも、車輪の横に小さい足あとがあります」
俺は視線を落とす。
確かにある。大人ではない。子供の足。だが、歩いたというより、降ろされた足跡だ。歩幅が短すぎる。すぐ荷車の方へ戻っている。
リリィの顔が強張った。
「子供が、いたんですか」
「いたかもしれん」
「姉さんかも」
「まだ決めるな」
低く言う。
リリィは口を結んだ。泣かない。走らない。だが、目の奥が揺れている。
俺は少し待った。
正論で押せば早い。けれど、早いだけだ。
「見るぞ」
リリィは小さくうなずいた。
「うん」
エイヴァが石壁の上へ飛んだ。白い体が夜明け前の灰色に紛れる。いや、紛れてはいない。白すぎる。だが、小鳥だと思われれば見落とされる。
「壁の向こう、荷下ろし用の細道だね。馬車が一台、ぎりぎり通れる。見張りが二人。眠そうなのが一人、眠くなさそうなのが一人」
「いつもの組み合わせだな」
「眠くなさそうな方は槍持ち。眠そうな方は笛を持ってる」
「先に笛だ」
「そう言うと思った」
俺は石壁の影を進んだ。リリィを背中側に置く。エイヴァは上から回り、石壁の切れ目へ向かう。
そこに、低い木戸があった。
門ではない。荷を通すための裏出口。外側から見れば板を打ちつけた倉庫の壁にしか見えない。だが、下の土は踏み固められている。




