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第57話︎︎ 王子の本領発揮

 結果的に、F組は惜しくも一回戦負け。篠宮汐織パワーを以てしても、やはり運動部のパワーには勝てなかったようだ。

 隼太はロープを離してへたり込みかけていたのを、近くの生徒に肩を支えてもらいながら、引き上げてくる。テントに戻ってきた頃には、人間というより干物に近い顔をしていた。


「死ぬぅぅ……」

「おつー」

「八木くん、お疲れ様!」

「お疲れ。F組のエースなんじゃなかったっけ?」


 沙子が紙コップに入れた麦茶を、ぽんと隼太の前に置く。言っていることは皮肉なのだが、ちゃんとお茶を用意しているあたり、沙子らしい。


「うるせえやい。運動部が多すぎるんだ、ちきしょうめ」


 隼太はお茶を一気に呷って、文句を言った。

 確かに、うちのクラスと相手クラスでは運動部の人数に差がある。さすがにフィジカル的なものを気合いだけで跳ね返すのは無理だったようだ。

 隼太が沙子に訊いた。


「で、次はリレーだっけか?」

「うん。あと十分くらいで召集」


 沙子が頷き、すっと立ち上がる。

 キリッと表情が引き締まっていた。さすが〝王子〟だ。


「沙子、頑張ってね」

「うん。とりあえず、転ばないようにだけは気をつけるよ」


 汐織に答えつつ、沙子は隼太の方をちらりと見た。


「ひでー女。俺だって一生懸命なのに」


 干物のような隼太が、ツッコミを返す。

 沙子はその抗議をまるっと流して、軽く伸びをした。屈伸で長い脚をひけらかし、「行ってくる」と一言残してテントの外に出ていく。


(かっこよ)


 もう、何から何まで全部〝王子〟だ。女子のファンがつくのもよくわかる。

 その背中を見送って、麻貴はぬるくなりかけた麦茶をひと口含んだ。

 それから十分後。女子の学年混合リレーが始まった。

 沙子はアンカーだ。学年代表の枠の中でも、最も期待されるポジションに〝王子〟は当然のように収まっている。

 第一走者から第三走者までは、各クラスの主力が走った。クラスの順位は中盤あたりを行き来していて、特別速くも遅くもない、平均的な位置だった。

 そして、第四走者、沙子。


「沙子、ファイトー!」


 汐織が、両手を口元に添えて声を張った。

 普段の控えめな彼女にしては、少しだけ声が前に出ていた。

 大きな歓声に混じればすぐに埋もれてしまうくらいの声。それでも、汐織が精いっぱい応援していることだけは伝わってきた。

 頬を赤くして、目をきらきらさせて、必死にアンカーを追いかけている。

 ――こんな顔も、するんだ。

 友達を応援する汐織の横顔から、しばらく目が離せなかった。


(沙子のこと、本当に好きなんだな)


 学校で仲がいいことは知っていた。〝王子〟と〝姫〟が並ぶ絵が周りから人気なのも知っている。でも、こうして応援に夢中になっている横顔を見ていると、ふたりの間にあるものが、噂や絵面とはぜんぜん別物なのがわかる。

 沙子がバトンを受け取った。

 そこで、応援席のあちこちからどよめきと黄色い声援が上がる。

 スタートからのフォームが、もう他の女子とは明らかに違っていた。地面を蹴る音が一定で、フォームに余計な揺れがない。コーナーの捌き方も、ストライドの大きさも、誰の目にも明らかなレベルでひとつ抜けていた。

 ひとり、ふたり、と前を行く走者を抜いていく。

 他クラスの女子席から黄色い声援が集中するのも、毎度のことらしい。


「きゃー! 王子ーっ!」

「いや、王子は俺らの姫だから!」


 黄色い声援に対してよくわからない反論まで飛び交っていて、麻貴は思わず吹き出した。姫というのは汐織に与えられた設定だったはずなのだが、もはやどちらが王子でどちらが姫なのかわからなくなりつつある。


「へえ。相沢さん、男子からも人気あるんだな」

「女子も男子も玉砕してるらしいけどなー」


 隼太が何となしに答えた。

 同性だけでなく異性人気もあると考えると、うちの高校で一番モテているのは汐織ではなく沙子なのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、リレーは最終局面だ。

 最終コーナーを回り切った時には、沙子はクラスをトップに押し上げていた。

 そして、そのままゴール。


「さすがは〝王子〟。別格だな」

「ああ。もはや男子よりも運動センスあるだろ、あれ」


 麻貴と隼太の感想は、これまた揃った。

 隣の汐織がくすっと笑って、それから小さく声を落とす。


「それ、あんまり言わないであげてね? 沙子、結構気にしてるから」

「え、そうなの?」

「うん。ああ見えて、沙子って結構繊細なんだよ?」

「繊細、ねえ?」


 麻貴は答えつつ、鳩尾を撫でる。

 いつぞやの空き教室で、沙子の鳩尾への正拳突きを食らった時の感触が、急に蘇った。

 あんな攻撃力を持っている子が繊細とは、ちょっと信じられない。

 でも、言われてみれば確かに、女子としての普通のラインで気にすることはあるのかもしれない。涼しい顔の裏で、それなりに繊細な部分があるのだろう。

 兎角、また鳩尾を殴られるのは御免だ。今後の言葉遣いは絶対に気を付けたほうがいい。


(膝蹴りもついてくるって言ってたしな。こわやこわや)


 もう一度、鳩尾を撫でた。

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