第40話 悪友からの追及と提案
「で、どういうことなんだよ」
テスト初日が終わり、ほっとしたのも束の間だった。
生徒玄関で上履きからローファーに履き替えたところで、横に立っていた隼太が、静かに尋問を開始した。
朝の予告通りだ。こいつは有言実行の男である。
「何の話だよ」
「ほう? しらばっくれる気かね?」
隼太が芝居がかった口調で眉を上げた。
「テスト終わりの質問攻めを回避するために、真っ先に教室からお前を連れ出してやった恩を忘れたとでも?」
「ぐっ」
痛いところを突かれた。
そうなのだ。テストが終わるなり、隼太は素早く動いた。朝の一件でクラスの男子たちが麻貴に再び群がろうとする気配を察知するや、「おい麻貴、ちょっと来い」と腕を引っ張って教室から連れ出してくれた。テスト期間で皆の頭がまだ問題の余韻に浸っていたこともあり、反応が一拍遅れた隙を突いた鮮やかな脱出劇。今、麻貴が無傷で生徒玄関に立っていられるのは、こいつのおかげだった。
校門を抜けて、駅へ続く通学路を並んで歩き始める。六月の午後の日差しがアスファルトを照らしていて、遠くに海が光っていた。
「で? 何があったわけ?」
「別に何も……」
「おーい! ここにいる箕島麻貴ってさー!」
隼太がいきなり声を張り上げた。通りすがりの生徒たちが何事かとこちらを振り返る。
「わ、わかった! 話すからやめろ!」
慌てて止める。この野郎め。弱みに付け込んできやがって。
麻貴は大きく溜め息を吐いた。
「って言ってもさ、こう……あの子のプライベートなことが絡んでるから、俺から話せることって殆どないんだよ」
「つまりは、そのプライベートなことを話してくれる仲にはなった、と」
「まあ……それはそう」
「ほう、なるほどねぇ」
隼太が意味深に目を細めて、探偵みたいに顎をさすった。
こいつはこういう時が一番怖い。表面上はふざけているようでいて、その実、プロの目をしている。というか、もうプロになれ。浮気調査なんかが向いてそうだ。
駅までの緩い下り坂を歩きながら、隼太が追撃してくる。
「で、それを話してもらえるようになった経緯は?」
「……ノーコメントだ」
プライベートな話をしてもらえた、というだけで納得してくれればいいものの、こいつは必ず一歩踏み込んでくる。そこを聞かれるのがこちらとしてはきついのだ。
「ま、まさか……ピロートーク!?」
「なわけあるか! 殺すぞテメー!」
慌てて否定する。
もし泊まった事実までこいつに知られたら、間違いなくそう判断されるわけで──絶対にそれだけは口にするわけにはいかなかった。
「でもさー。いきなり教室で話しかけてきたり、プライベートなことを話してくれたりってさ。そうなっててもおかしくね?」
「おかしくねーよ」
全くどうして、沙子もこいつもすぐにそっちに話がいくのか。どいつもこいつも脳内ピンクすぎる。まあ、沙子の場合は泊まったことを知っていたから仕方ないにしても。
「いやいや、今日の篠宮、ちょっと色気あったし」
「色気ぇ?」
「そうそう。前まであった清楚さにちょっとだけ変化を感じたっていうか。すっきりしてるっていうか。笑顔がいつにも増して輝いてるっていうか。俺は、あれが色気と見たね!」
隼太が自信満々に人差し指を立てた。
「なんだそりゃ。気のせいだろ」
そう流したが、内心では穏やかではなかった。
もし本当に、周囲がそう感じるくらい汐織が変わったのだとしたら──確実に、あの雨の夜のことが影響しているのだろう。溜め込んでいたものを吐き出して、泣いて、少しだけ楽になれた。それが表に出ているのだ。
それは嬉しいことのはずなのに、その変化の理由を自分だけが知っているという事実に、妙な緊張を覚えた。
「まー、でもなんかあったから話してくれたわけだろ? プライベートなことを詮索しないっていうのがお前らのルールじゃなかったっけ」
「……それもそうなんだけど」
どれだけ問い詰められても、話すわけにはいかなかった。汐織が沙子にさえ詳しく話していないことを、麻貴がぺらぺらと友人に喋っていたら、せっかくの信頼を失い兼ねない。
「ちゅーくらいはしたの?」
「するか!」
反射的に全否定した。ハグまではした、と危うく言いそうになったが、それはさすがに言えない。言ったらこの場で殺されるだろう。
そこまで言うと、隼太はふっと笑った。
さっきまでの探偵モードが、すっと解けている。代わりに浮かんだのは、どこか柔らかな表情だった。
「なんかさー、もう付き合う寸前って感じだよな」
「……そうなのかな」
「いや、そうだろ。普通に篠宮はお前のこと好きじゃね?」
「信用はされてる、とは思うんだけど」
正直、そこから先はわからなかった。
自分でも、もう付き合っているようなものじゃないかと思う瞬間はある。でも、そういう気持ちを語り合ったわけではなかった。というより、汐織はただ安住の地を求めているだけではないだろうか。
無論、そこには信用はあるはずだ。そうでなければ、あの夜、泊まろうとは思わなかっただろう。でも、それが恋愛感情かと問われると、断言できなかった。
「もうさー、付き合っちまえばいいじゃん」
隼太が軽い口調で言った。
「そうすりゃ、篠宮に憧れを抱いたまま立ち止まってる男連中に現実を見せつけられるし、お前らも堂々と半同棲生活を営めるわけで。それが一番丸くね?」
「怖いこと言うなよ。それ、俺がいつ暗殺されるかわからねーだろ」
「まあ、それはもう皆のアイドル篠宮汐織を手に入れる男の義務だろ」
「暗殺される義務なんてあって堪るか」
どうして付き合っただけで命を狙われなければならないのだ。理不尽にも程がある。
「でもまー、現実見せつけるのも大事だと思うけどな」
隼太は少しだけ声のトーンを落とした。
「そうじゃねーと、そいつらは一生そこから動けない。叶いもしない恋に思いを馳せるより、分相応な恋に興じたほうが、人生豊かになると思わね?」
「…………」
こいつはたまに、こうやって妙に大人びたことを言う。
確かにそうだ。アイドルやVtuberにガチ恋をしていても、決して叶わない。それなら身近な人間と向き合ったほうが、きっと人生は豊かになるのは間違いなかった。そして──少し前までなら、それは麻貴にも当てはまっていたはずだ。
篠宮汐織とは住む世界が違うのだから、特別な想いなど抱くべきではない。そう思っていた。
ただ、実際はどうだ。今、その汐織に一番近い男に、自分がなっている。ただあの日、坂道で声をかけたというだけで。
そこで、麻貴はふと疑問に思ったことを訊いた。
「お前は何とも思わねーの? 汐織のこと」
「あん? なんだそりゃ。嫌味か、ああん?」
「ちげーよ。一般的な意見として聞きたいだけだ」
「……ったく。まあ、可愛いなーとは思うけどな」
隼太は悩ましげに肩を竦めた。
「俺は、最初から現実を見る主義でね。相手にされないとわかってる子には、無駄な労力は割かない主義なのさ」
「なるほど」
おちゃらけているが、案外こいつが一番大人だった。
多くの人がそれをできていなくて、人は夢を見て、叶わぬ恋を願ってしまう。最初からそこに入り込まないと決めている彼は、やっぱり大人だと思えた。
「で、お前はどうなん?」
「何が」
「篠宮と付き合いたいん?」
「それは……」
本音としては──多分、付き合いたい。
あの夜、彼女を抱きしめた時、それを強く実感した。このままの関係でいられるはずがないと。あの時に想いを告げていれば、何か変わっていたかもしれないと。
でも、やっぱりできなかった。それは、ただ振られるのが怖いからではない。
もしもの話だけど、と前置いてから、麻貴は言った。
「何つーかさ。付き合ったら……関係は変わるだろ」
「あん? そりゃそうだな。そのために付き合うんだろ」
「そしたら……あの子の居場所の意味も、変わっちまうんじゃねーかなって。思っちまうんだよな」
麻貴は通学路から見える海を、遠く眺めた。午後の光を受けた水面が、きらきらと眩しい。
「それを変えるのがいいことなのか悪いことなのか。それが俺にはわからない」
これが、麻貴の本音だった。
あの夜、色々と吐露してくれたこと。また泣きたくなったら胸を借りるという言葉。今日の教室での態度。それらを思い返すと、告白したら受け入れてくれるんじゃないかとは思う。
いや、受け入れるのではないか。彼女は、断れないのだ。
今の汐織にとって、心の拠り所は麻貴のアパートにある。あの場所が必要なのは、ここ最近の彼女を見ていればよくわかった。そこの主である麻貴から「付き合ってくれ」と言われて承諾するとして──それは、好きだから付き合うのか。居場所を失わないために付き合うのか。
その判断が、麻貴にはできなかった。しかし──。
「いや、それを判断するのはお前じゃないだろ」
隼太がきっぱりと答えた。
あっさりと。でも、はっきりと。
「え?」
「変えることの良し悪しを判断するのは、篠宮だ。その意味を変えてでも付き合いたいと思えばOKするだろうし、それが嫌ならこのままがいいって言うんじゃね?」
「……なるほど。そういう考えもあるか」
やっぱり、こいつは大人だった。
ただ、拒否された時に、こちらが以前と同じようにいられるのかという問題は残る。告白して断られた後、それでも「いつでも来ていい」と笑っていられるだろうか。それは自分の器の問題だ。
きっと隼太は、それは自分でなんとかしろと言うのだろう。
「時に、麻貴クン」
いきなり、隼太がわざとらしく話題を変えた。しかも、わざとらしいクン付けで。
「何だよ」
「夏休みさー、一緒にバイトやらね? 独り暮らしだと何かと金要るだろ」
「バイトか」
それは、少し前から考えていたことだった。
汐織が家に来るようになってからの食費は、約束通り麻貴が持っている。汐織は買い物上手で、無駄な出費は極力抑えてくれているが、それでもひとりの時と比べれば食費は確実に増えていた。仕送りだけだと正直カツカツで、どこか遊びに行こうと誘われても予算がない。
「なんかアテあんの?」
「八ヶ浜と羽瀬ヶ崎の間にファミレスあるだろ? 電車から見えるとこ」
「あー、あるな」
通学で嫌でも目に入る、海沿いのファミレスだ。ガラス張りの外観で、夕方になるとオレンジ色の光が窓から漏れている。
「あそこ、今募集かかっててさ。よかったら一緒に応募しないか? お前も家から徒歩で通えるだろ」
「確かに」
悪くない話だった。藤澤や榎島まで出ればバイト先も豊富だが、定期外になるし通勤が面倒だ。その点、あのファミレスなら徒歩圏内で通学路の途中にある。
「まー、テスト終わったら考えてくれや。……おっ、電車来たぜ。あれに乗っちまおう」
ちょうど駅に着いたところで、榎ノ電のホームに二両編成の電車が滑り込んできた。ふたりで改札を抜けて、開いたドアに駆け込む。
車内に腰を下ろすと、テスト後の疲労がどっと押し寄せてきた。隼太は隣の席で「あー疲れた」と大きく伸びをしている。
窓の外を、午後の海が流れていく。
汐織のおかげでテストへの不安がない分、その先のことまで考える余裕が持てている。勉強も、お金のことも、将来のことも。少し前の自分には、そんな余裕はなかった。
本当に、ありがたい限りだ。
電車が緩いカーブを曲がると、車窓いっぱいに海が広がった。六月の午後の光を受けて、水面が白く輝いている。
その眩しさに目を細めながら、麻貴はぼんやりと思った。
『変えることの良し悪しを判断するのは、お前じゃない』
隼太の言葉が、まだ耳の奥に残っていた。




