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第21話 お弁当と、勉強会と

 翌日の昼休みも、別棟の空き教室に四人で集まることとなった。これが習慣となりそうなのは、もはや言うまでもない。

 机を寄せて向かい合わせに座った。麻貴の正面に汐織、隼太の正面に沙子。この配置ももう二日目だが、昨日よりは自然になりつつある。

 それぞれが席に着いたところで、汐織が鞄の中に手を入れた。


「麻貴くん」

「ん?」

「えと。はい……これ。お弁当」


 差し出されたのは、布で丁寧に包まれた弁当箱だった。

 これまでの巾着袋ではない。薄い水色の布に包まれた、四角い箱。ひとつを麻貴に、もうひとつを自分の前に置く。


「あ、ありがたき幸せ」


 有り難そうに受け取ってみると、汐織が小さく笑った。ウケてくれたらしい。

 ただ、弁当箱というのは、巾着袋のおにぎりとは重さも存在感もまるで違う。そこに込められた意味も兼ねると、尚更だ。それだけで、胸の奥がぎゅっとなる。

 それを見た隼太と沙子の反応は、ほぼ同じだった。

 ふたりとも一瞬固まって──それから、隼太が口を開く。


「……マジかよ」


 声が、珍しく素だった。

 茶化すでもなく、ただ驚いている。おにぎりの時点で相当だったのに、弁当箱になったことで段階がひとつ上がったのだろう。名前呼びが自然になっていることも、きっと相まっている。


「わぉ。もう隠す気もないってわけね」


 沙子は呆れたような、でもどこか感心したような顔をしていた。


「え? 何が?」


 汐織が本気でわかっていない顔で、小首を傾げた。

 昨日の提案を思い出す限り、彼女にとっては「おにぎりより弁当のほうが合理的だから変えた」でしかないのだろう。それが周囲にどう映るかまでは、たぶん考えが及んでいない。


(……まあ、汐織らしいっちゃ、らしいけど)


 その天然ぶりに安心するやら、ちょっとだけ切ないやら。


「ううん、なんでもないよ」


 沙子もそれを察したのか、小さく笑って流した。呆れの中に嬉しさが混じっているような顔だ。沙子にとって汐織が如何に大切な友人なのかというのが伝わってくる。


(いや……まあ、でもそう映るか)


 隼太と沙子の反応を見て、改めて思い知る。端から見たら、やっぱり()()見えるのだ。昨晩、自分で「彼氏彼女みたい」と思って蓋をしたばかりなのに、翌日にはもう第三者から同じ反応を引き出してしまっていた。

 ただ、恥ずかしくはあるが、嫌ではなかった。汐織が自分のために作ってくれた弁当を、堂々と食べられる。それは素直に嬉しく思えた。

 汐織がこちらの反応を窺うように、少しだけ身を乗り出している。麻貴が弁当箱を開けるのを待っているらしい。

 包みの布をほどいて、蓋に手をかけた。持ち上げた瞬間、出汁と醤油の香りがふわっと鼻先をくすぐる。


「うお、すげぇ……!」


 思わず声が漏れた。

 二段の弁当箱だった。下段にはご飯がしっかり詰められていて、真ん中に梅干しがひとつ。端にゆかりのふりかけが少しだけかかっていた。

 上段にはおかずがぎっしり詰まっている。

 昨晩試作した出汁巻き卵焼き。断面の渦が綺麗で、黄色が鮮やかだ。隣に鶏むね肉の照り焼きが並んでいて、こんがりとした焼き色に照りが光っている。ほうれん草のおひたしには鰹節がふわりとかかっていて、きんぴらごぼうが隙間を丁寧に埋めていた。

 そして、つやつやと光るプチトマト。赤、黄、緑、茶と色のバランスがいい。揚げ物はなく、野菜が多め。食べる人の健康を考えて詰めた弁当だった。


「ちょっと、たくさん入れすぎちゃったかもしれないんだけど……」


 汐織が恥ずかしそうにしつつ、おかずの説明を始めた。


「卵焼きは昨日と同じ感じで作ってみたよ。栄養重視でほうれん草とかきんぴらも入れたけど、男の子はお肉多めのほうがよかったかな……?」


 やっぱり栄養バランスまで考えてくれている。麻貴のコンビニ飯生活を知っているからこそ、野菜とタンパク質を意識して組み合わせているのだ。ありがたいを通り越して、申し訳なくなる。


「いや、これで完璧だって。全然多くないし……むしろ嬉しい」


 二段のお弁当を覗き込んでから、隼太と沙子がまた顔を見合わせる。

 隼太がぼそりと言った。


「……この場を用意したこと、若干後悔してるんだけど」

「まあ、自業自得じゃない? 言い出しっぺは隼太なんだし」


 沙子が涼しい顔で返していた。


「え? どうしたの?」


 汐織がきょとんとして、三人を見回した。


「汐織は気にしなくていいよ」

「うん。全然気にしなくていい」


 麻貴と沙子の声が、奇しくも被った。

 意味に気付くと、彼女がここに来てくれなくなるかもしれない。


「えー? 私だけ仲間外れ?」


 汐織が不満そうに眉を顰める。教室にいる時の清楚可憐な彼女からは想像もつかないくらい無防備で、何だか少し可笑しかった。

 その空気に引っ張られるように、四人で昼食が始まった。

 卵焼きを一切れ、箸でつまんで口に運ぶ。

 昨日の試作と同じ味だった。ただ、冷めたほうが出汁の味がはっきりしていて、ご飯に合う。

 鶏むねの照り焼きは、塩麹にでも漬けたのだろうか。しっとりしたやわらかさが残っていて、冷めてもパサついていない。弁当のおかずとして、これ以上なかった。

 ほうれん草のおひたしをご飯と一緒に頬張ると、鰹節の風味が口に広がる。きんぴらは甘辛くて箸休めにちょうどよかった。


「……ああ。やば。全部美味い。幸せ」


 語彙力が完全に死んでいるが、本心だった。ひとつひとつ丁寧に作られているのが、食べればわかる。


「そっか。よかった」


 汐織が安心したように微笑んで、自分の弁当を食べ始めた。中身はほぼ同じだが、麻貴のほうが明らかに量が多い。量も気にしてくれているのだろう。


「麻貴ぃ、俺のと交換しようぜ! 俺も篠宮の弁当食いたい」


 隼太が購買のパンを掲げて、ずいっと身を乗り出してきた。なんでそんな安物のパンとこの世界で一番貴重な弁当を交換せねばならんのだ。


「米粒ひとつやらん」

「ひでぇ!」


 即答で突き返すと、隼太が大袈裟に嘆いてみせた。沙子がそれを横目で見ながらふっと鼻で笑い、自分の弁当の箸を動かしている。

 四人で食べながら、雑談が緩やかに転がっていった。話題はそのうち、期末テストのほうへ流れていく。

 隼太が範囲表を机に広げて、眉間に皺を寄せた。


「数学やべー。まるっと抜けてるわ」

「計画的にやれば間に合うでしょ」


 沙子が冷静に返した。


「計画的にやれない人間だから困ってんだって……」


 隼太が頭を抱えている横で、沙子が思い出したように訊いてきた。


「そういえば箕島くんって、成績落としたらまずいんじゃなかったっけ?」

「……まあな」


 麻貴は箸を止めた。この話題は、少し気が重い。

 ただ、今更沙子に隠す理由もなかった。親の転勤で転校をせず独り暮らしをさせてもらう条件──成績を落とさないことと、生活が破綻しないこと──については、ふたりにもざっくり説明してある。

 沙子が重ねて訊いた。


「成績落としたら独り暮らし解約ってことは、転校もさせられるの?」

「まあ、多分そうなるのかな。さすがにすぐってことはないだろうけど」

「うひゃー……ただでさえテストなんて嫌なものなのに、そんなプレッシャー感じてまで受けたくねー」


 隼太が大袈裟に身震いした。同情と本音が半々といったところだろうか。


「まー、赤点取らなきゃいいだけだから。何とかなるだろ」


 麻貴は軽く返したが、内心では割と切実だった。

 生活面は汐織のおかげで劇的に改善されたけれど、勉強面はまだ心許ない。放課後を汐織との時間に使っていて、テスト勉強が後回しになっている自覚はあった。

 ちらりと汐織のほうを見る。箸を動かす手は止まっていないが、表情がわずかに曇っていた。


『成績を落としたら部屋がなくなる』


 それは麻貴にとっては独り暮らしの条件だが、汐織にとっては 『自分の逃げ場が消える』ことを意味している。

 ただ、彼女は決して麻貴に勉強しろだの頑張れだのとは口にしないだろう。自分の都合で麻貴にプレッシャーをかけるのが嫌だからだ。ここ最近ほぼ毎日いるせいか、彼女のそんな考えまで何となく見抜けるようになってきた。

 不意に、沙子の声が割り込んだ。


「……それなら、汐織が教えてあげれば?」

「え!?」


 予想外の提案に、汐織が目を丸くした。箸を持ったまま、固まってしまっている。

 沙子は気にせず続けた。


「だって、どうせ放課後は部屋まで行くんでしょ? それなら一緒に勉強すればいいんじゃないかな。というか、汐織だって箕島くんの部屋がなくなったら困るでしょ?」

「それは……そうだけど」


 汐織がちらりとこちらを見た。図星を突かれたような顔をしている。

 沙子の指摘は実に的確だった。さっき自分が考えていたことを、そのまま言い当てられた気分だ。

 それでも、汐織はその提案を正面からは受け入れない。それならば──。


「まあ……その。教えてもらえるなら、助かる」


 麻貴は先回りするようにして言った。

 自分でも意外なほど素直な言葉が出てきた。以前の麻貴なら「別にいいよ」「自分でやるから」と断っていたに違いない。

 でも、改めて考えてみれば、これは決して悪い話ではなかった。勉強を教える大義名分があれば、汐織だって遠慮なくテスト期間中もうちに来られる。無論、それを『嬉しい』と表に出すのは少々照れ臭いものがあるのだが。

 汐織はほっとしたように、小さく頷いた。


「……私でよければ、ぜひ」


 控えめだけれど、そこには嬉しさが滲んでいて。ほんな彼女を見ていると、こちらの心もぽかぽかしてしまう。

 世話になってばかりな気がするけれど、何故か嫌ではない。それが汐織の不思議なところだった。

 そんなふたりを見て、隼太がぼやいた。


「なーんか、こいつばっかいい思いしてて面白くないんだけど」

「もう諦めなって」


 沙子がさらっと流して、弁当の蓋を閉めた。

 それから間もなくして予鈴が鳴り、四人で空き教室を出る。

 昨日と同じく隼太と沙子が少し前を歩き、麻貴と汐織が後ろに並んだ。

 そこで、汐織がこっそりと声を落とし、話しかけてきた。


「あの……勉強会のことなんだけど」

「ん?」


 麻貴も、前を歩くふたりを気にしつつ、少し歩くペースを落とす。

 自然と、隼太たちとは少し距離が空いた。


「夕飯の後にする? 私、一応全教科の範囲は確認してるから、わからないところがあったら教えられると思うし」

「マジで助かる。正直、数学とか全然やってなくてさ。結構不安だったんだ」

「……うん、知ってる」


 汐織が悪戯っぽく笑った。


「え? なんで?」


 これまでどの科目が苦手だとか危ういだとかを話したことはなかったのだけれど。

 すると、汐織は楽しげに答えた。


「だって、今日の数学も寝てたもんね?」

「うぐっ」


 思わず呻き声が漏れた。

 確かに、今日の三限目の数学は意識を手放してしまっていたが……いや、ちょっと待てよ。

 汐織の席は、結構麻貴と離れている上に斜め前に位置している。自然には見えないはずだ。麻貴は訊いた。


「もしかして……授業中、俺のこと見てたの?」

「──!? た、たまたまッ。たまたま、目に入っただけだからッ」


 指摘してみると、汐織も意味を察したのだろう。途端に顔を赤くして、両手をぶんぶん振って否定していた。

 彼女の席からこちらを見るには、それなりに首を後ろに向けなければならないはずだが……それ以上突っ込むのは、やめておいた。色々とこっちにも誘爆しそうな話題だ。


「えっと。じゃあ……今日から、する?」


 汐織が気を取り直すように、少しだけ前を向いて言った。


「……よろしくお願いします」


 今日から、という言葉に、少しだけ安堵した。

 テスト期間に入っても、汐織が来なくなるわけではない。むしろ勉強という名目が加わって、一緒にいる時間はさらに長くなる。

 その実感を、改めて持てた気がした。

 期末テストまで、あと数日。

 赤点を取れば、部屋どころか最悪転校の可能性さえある。麻貴がいなくなれば、当然汐織の居場所もなくなるわけで。だから、勉強を頑張るというのも、教えてもらうというのも、何も間違っていないはずだ。

 でも、と思う。

 それは『汐織と一緒にいたいから頑張る』のか、『成績を落とさないために頑張る』のか。一体どちらなのだろう?

 いつの間にか、動機そのものもすり替わっている気がしてならなかった。


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