ケイラ セイラ
その部屋はマンションの一室とは思えないほど広い部屋だった。濡れたような暗闇があたり一帯を包んでいるが、なぜか自分の足元だけは暖かな光で照らされている。
「………」
足を一歩ずつ、慎重に踏み出す。もしかすると自分が足を踏み出した先は奈落かもしれない、そんな杞憂をしながら歩く。床の軋む音、靴底が擦れる音、衣擦れの音が鮮明に暗闇の中で現れては消える。
「あら、お客さん?」
声に振り向くと、そこにはまだ幼さを残した少女が立っていた。
「開店前から来るなんて、熱心なのね?」
少女はクルクルと回りながら笑う。
「開店前…ここは何かの店なのか?」
「そうよ、ここはブティックなのよ?ほら」
彼女が指し示した先にはたくさんのマネキンが置かれていた。マネキンはバレエ選手のように美しく、軽やかなポーズをとっている。その色は赤黒く、ヒタヒタと何かが滴り落ち、床に鏡を作っている。
「キレイでしょ?」
「美的センスはあまり持ち合わせていないんだ…」
「そう?残念」
そういうと、少女は暗闇の中に消えていった。少女が消えた先を呆然と見つめる。あの様子では、会話なんて到底できそうにもない。
「あら、お客様?」
声に振り向くと、そこには少女が立っていた。
「開店前からなんて、熱心な人…」
その少女は見た目に似つかわしくないほど大人びている。
「さっきも会わなかったか?」
「そうかしら?私にとってあなたは初めての人なんだけれど…」
少女は自分の髪を指に絡める。その仕草はやけに妖艶に見える。
「さっき、君にそっくりな人に出会ったんだ」
「まぁ、姉にもう会ったのね?どうでした、彼女が作るマネキンは恐ろしくも美しいでしょう?」
「いや、趣味に合わなかった」
「そう、残念…ではこちらはどうでしょう?」
少女が指を鳴らすと、無垢な姿をしたマネキンに服が着せられた。デザインを見るに女性ものの服のようだが、生地が不自然なほど艶かしい光沢を放っている。
「素晴らしいでしょう?このデザイン、質感…そのどれも他の服とは一線を画していますわ」
「女性服には興味がない」
「そう?あなたの知り合いの女性が見れば喜びますよ」
「見せる女性はおろか、見せる知り合いもいない」
「おかしいわね…あなたが女性と歩いていたのを見たことがあるのだけれど…」
「気のせいだろう」
「なんにせよ、この服の良さが分からないなんて残念極まりないわ。ねぇそうは思わない?」
「その通りね、お姉様」
少女の背後から、全く同じ顔をした少女が顔を出す。2人の少女はまるで元々一つの存在だったかのようにぴたりとくっついている。
「君たちは、双子なのか?」
「そうよ、私は妹のケイラ。マネキンを作っているわ」
「そうよ、私は妹のセイラ。服を作っているわ」
2人同時に喋るものだからかなり言葉が聞き取りづらかったが、辛うじて2人の名前は聞き取ることができた。
「君たちはなぜこんな状況になっているのかわかるか?」
「知らないわ、最初からそうだったのかもしれないわ」
「知らないわ、なりたかったからそうなったのかもしれないわ」
「………」
2人の言葉を聞いていると頭痛がしてきた。この2人に対して、ツシャが望むような会話をすることができるのだろうか。
「服やマネキンの材料はどこから…?」
「上から落ちてくるのよ、気持ち悪い」
「下から染み出してくるのよ、気色が悪い」
「なぜそれを気持ち悪く思うんだ?」
「だって、私たちを醜さで包もうとしてくるのよ、嫌よそんなの」
「だって、剥けば中身があれだなんて、心底気持ちが悪いわ」
「だから、お姉様があれを服にしてくれるの」
「だから、姉があれをマネキンにしてくれるの」
「「美しいわ」」
どうやら彼女たちはお互いの恐怖するものを片方に任せているらしい。だが、様子を見るに正気は保てていないようだ。
靴の中に何かが染み込むのを感じる。
「なぜ、それが嫌いなんだ?」
「なぜだったかしら…確か4年前…」
「なぜだったかしら…確かキャンプで…」
「熊ね、熊がいたのよ」
「そうね、襲われたのよね」
「腕を振ったら、皮がベロンとめくれたわ」
「腕を振ったら、中身を曝け出してたわ」
「それで熊は剥製に…」
「それで熊はクマ肉に…」
「醜かったわ」
「不気味だったわ」
「だって、あんな下品な皮に包まれてたんですもの」
「だって、いくら毛で覆われてても剥けばただの肉塊ですもの」
「いやだわ、自分の本当すら見せず外面で自分を取り繕うだなんて、醜いわ」
「嫌だわ、自分がどんな外見でも中身がただの肉だなんて、気持ち悪いわ」
「曝け出さないと」
「包まないと」
「「ねぇ、あなたもそう思わない?」」
ピチョン、と音が鳴る。その瞬間、胃がムカムカして吐き出しそうになる程に血生臭い臭いが鼻をつく。
「ねぇ、お姉様。さっきからこの人私たちのことを信じられないような目で見ているわ」
「そうね、あんな侮蔑の目を向けられては私達も黙ってはいられないわ」
「そうだお姉様。あの人に次の作品を着せるためのマネキンになってもらうのはどう?」
「そうね、あの方も私の服を着れば意見が変わるはずよ」
話を終えた2人がギョロリとこちらを向く。その瞬間、ポーズをとっていたマネキンが自分めがけて走り始めた。マネキンが来ていた服は染み出した液体によって真紅に染まっていた。その姿はマネキンとは思えないほど美しい。数秒見惚れた後、ハッとして走り出す。
固かった地面が泥のようになっている。足を取られながら全力で走る。後ろからはぐちゃぐちゃという足音が大量に聞こえてくる。
「ぐ…!」
どこかから飛んできた皮が顔に体に手に足に絡みつく。皮は肌にぴっちりと吸い付き、剥がそうにも剥がれない。次第に呼吸が苦しくなってくる。体がとてつもなく重い、足ももう動かない。
マネキンに肩を掴まれる。マネキンの指が食い込み、血が滲む。マネキンに一瞬誰かの顔が映る。それは、今まで見たこともないような顔。それなのに、ずっと見たかったような顔。
「……っ!」
衝動的に張り付いた皮を剥がし、マネキンに叩きつける。皮はマネキンの顔に張り付いて剥がれない。もがき苦しんでいるマネキンの服を引き裂く。生ぬるい液体が顔に飛び散る。
マネキンはもう動かない。
顔を上げると、あたりはまた暗闇に包まれていた。自分を追いかけるマネキンはもういなかった。どこかから拍手の音が聞こえる。音の鳴る方へ向くと、暗闇からツシャが拍手をしながら現れた。
「ツシャ…」
「正直…予想外ですね。色々と」
その口調はいつものふざけた調子ではなく、まるで地面から這い出てきたかのような深く沈み込んだ声だった。
「進行があんなに早かったこと。あなたが僕の思った以上だったこと。別にあそこで終わっても良かったんですけどね」
心ここに在らずといった感じでツシャは喋り続ける。一体、彼は誰と喋っているんだろうか。
「さっきから何を…」
「まぁ、のんびりやりましょうよ。次はあんな風になりませんから」
ツシャはそういうと、暗闇の中に再び消えていった。ツシャが消えた先には扉が立っている。
「………」
進むしかないだろう。そんな諦念を抱えたまま扉を開ける。一瞬、倒れていたはずのマネキンが立っているのが見えた。




