チュラム
子供の頃、自分はよく泣いていた。無性に悲しくて、やり切れなくて、意味もなく泣いていることが多かった。
なんで泣いていたのかはもう覚えていない。慰めてくれた誰かは、もういない。
体には倦怠感と痛みが満ち、微睡の最中にいた自分を目覚めさせる。
「ここは…?」
そこは鬱蒼とした森だった。木漏れ日がチラチラと目に入り込み、鼻に残る腐臭は森特有のすっきりとした匂いで洗われる。
さっきまで命を失いかけていたはずなのに、心は嘘のように凪いでいる。ここの雰囲気がそうさせるのか、自分の心が既に麻痺しているのか。
「起きたみたいだね」
どこかから声が聞こえる。一応辺りを見回すが、案の定植物のせいで人影は見えない。
「話しかけるなら、自分の場所くらい教えてからにしてくれないか」
「あぁ、ごめんごめん。でも僕はさっきから君の前にいるんだ」
自分の前には樹木しかないが、よくよく見れば人の顔のように見える…気がする。
「今度はいったい何の神なんだ?もう1生どころか100生分の神を見ている気がするよ」
「あっはは、そうかもね。それじゃあ自己紹介といきたいんだけど、正直自分がどんな神なのか分からないんだ。とりあえず人間の時の名前でいかせてもらうよ、僕はティト」
「ティト…」
どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。何らかの有名人なのだろうか。
「君は自分が何で生きてるか考えたことがある?」
「………」
突拍子もない質問に思わず口籠もる。
「僕はある。でも考えても考えても答えが出ないから、周りに聞いてみたんだ。好きなことをするためとか、理由を探すためとか、漠然とした聞こえの良い答えしか返ってこなかったよ」
「まぁ…そうだろうな」
「結局、生き方ってのは他人の評価で決まるのかもしれない。正しいとか、賢いとか、そんな評価が自分の人生をよくする。僕はそう考えたんだ」
ティトが言うことは正しいように聞こえる。自分がもう少しまともな人間だったらある程度反論ができたのかもしれないが、ただ黙って聞くことしかできなかった。
「だから…だから僕は神父になった。神を信じて、敬虔な者であれば正しく賢い存在になれる。いや、そう思われることができるから」
「神を手段にした、というわけか」
「そうだね…神父にあるまじき行動だ。だけどそれを知ってるのは僕だけ、僕を評価する人間はそのことを知らない。そこからは良い人生を歩めた自信があるよ。真面目で、聡明な神を愛する人としてね」
誰かからの評価に縋るティトを哀れに感じると同時に、羨ましくも感じる。評価のために行動して、それが実ったのだと言うのだから、確かにそれは幸せなことかもしれない。
「けど、結果がこれさ。意味の分からないことに巻き込まれて、自分を失って、結局…」
ティトは笑いながら自虐をしたかと思えば急に黙り込む。
「どうした?」
「あぁ、いや…そろそろだから」
「そろそろ?」
「そろそろ人としての感覚や心が無くなるころだから」
「は…?」
「神という存在に人という脆弱な心は持ってはいけない、だから殻を捨て去るのさ」
「ま、待て!じゃあ神になった人間は…」
「喋らなくなる。意識もなくなる。植物よりも石よりも静かになるよ」
脳裏にメイとギュヌカが思い浮かぶ。あの二人はもう取り返しのつかない状態になっているのだと知り、思わず拳を木に打ちつける。
「なにが神だ…人間以下じゃないか」
「そう…かもね、こんなのになりたくないって思う人の方が多いだろうし」
「じゃあなんで神は人間をこんなのに変えるんだ?それが救いだとでも言うつもりか?」
「まだ僕には分からない…分かるようになった頃にはもう君とは話せない…」
「………」
しばらく黙り込んでいると、周りにあった木々がメキメキと音を立てて動き始めて左右に道を作る。
「なんだ?なんのつもりだ…?」
「君から見て左、そこからなら現実…元の世界に帰れる。右は…進む道、君が知りたいなら…」
ティトは譫言のように言うと、それから何も言わなくなってしまった。
「………」
道を選べと言われはしたが、右に行ってなんになるのだろうか。知りたいことは山ほどある。自分が何者なのか、神という存在がなんなのか、知りたいが…
「でも…疲れた…」
自然と左の道へと足が進んでいく。結局、何も知らずに目を塞げばまた心地よい自己嫌悪の日々に戻れる。諦めこそが快楽だということを自分は知ってしまっている。
「すまない、ギュヌカ…」
もし彼に直接謝っても、もう何も言ってくれないのだろうか。それとも、意思のない無慈悲な炎が自分を焼き尽くすのだろうか。
すると、自分の背後から声が聞こえてくる。
「僕も…彼女みたいに…祈れば…」
「笑顔がキレイな彼女……君の隣にいた…」
「……!」
慌ててティトの側に駆け寄って顔らしき部分を叩く。
「ティトどういう意味だ…!隣って…!」
だがティトはもう何も言わない。それどころか、自分が行こうとした道が樹木で塞がれる。どうやら、ティトの意識が無くなったせいで道が閉じてしまったのだろう。
「しまった…」
中途半端な好奇心のせいでこんなことになってしまった。残されたのは、苦痛が目に見える道だけ。
「進むしかないのか…」
失意と緊張を抱えながら、濃ゆい暗闇の中へと進んでいった。




