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トラストル  作者: シンキ
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9/9

イーモイト

 何秒何時間何年歩いているだろうか、時間にして一瞬が感覚にして永遠に感じられる。歩いている地面は硬いようで柔らかい、満ち満ちる空気はじっとりとまとわりつきながらサラリと肌をなで乾かす。矛盾と錯誤だらけの感覚に脳がぼうっとしてくる。果たして今は過去か未来か、それすらもわからない。

「ねぇ、それ食べないのならもらってもいい?」

「は…」

 声に驚いて辺りを見回す。その時になってようやく自分が床に倒れていたことに気づいた。身体中に汗をかき、肌が真白くなっているのがわかる。

 手をついて体を起こす。手には砂利のような粒々とした感触が手に伝わる。地面は赤く、白い小石のようなものが埋め込まれている。それは、よくよく見れば人間の歯のようであった。

 別段それに取り乱すこともなく、再度歩き始める。歯と肉が擦れ合うギチギチとした音が辺りに響く。方向を一点に定めて直進しているが、一向に壁にぶつからない。さすがに様子がおかしいと感じ、一度立ち止まる。

 今まではなんとなく動いているだけで相手から接触してくれることが多かったが、これだけ歩いて何もないとなると、もしかしたらこの空間にいる何かはこちらに興味がないのかもしれない。

 だからといってこのまま何もせずにこの果てのない空間で朽ちるつもりもない。なんらかのアクションを起こさなければいけないだろう。さて、どうしたものか…

「くち…くちゃ…くちゃ…くちゅ…」

「ん…?」

 地面から何かねちっこい音が聞こえてくる。

「下か…」

 地面をげしげしと蹴ってはみるが、容易く掘れるほど柔らかくはない。かといって何も刺さらないほど硬くはない。

「………」

 ツシャが自分の手に刺さっていた釘を使っていたことを思い出し、試しに引き抜いてみる。ズルリと腐り落ちたように釘が抜け、ぬらぬらと艶かしい赤光を見せている。

 釘をギュッと握りしめ、地面に振り下ろす。釘が地面に突き刺さろうとする瞬間、地面はグバッとその口を開け、自分の体を飲み込んだ。

「うわっ!」

 一瞬の浮遊感の後、地面に叩きつけられる。叩きつけられはしたが、何かふわふわとしたものが体を受け止めてくれたおかげで痛みはなかった。

 自分の体を受け止めてくれたそれは羊毛だった。ふわふわとして暖かかったが、次第にその熱が消えていくのを感じる。嫌な予感がして羊毛から立ち上がる。へちゃりと潰れている羊毛から何やら赤黒い液体が染み出している。

「………」

 顔を顰めながら羊毛を後にする。

 そこは牧場のようだった。歩くたびに芝生がサクサクと鳴り、室内だということが信じられないような晴天が降り注いでいた。

「…ッ!」

 手のひらにぴりっと痛みが走る。手のひらには先ほどまで握っていた釘が再度突き刺さっていた。

 この釘は一体なんなんだろうか、抜けたり抜けなかったり。ツシャがドゥリオ……いや、ニームシュという神に使っていたのを見るに、何らかの特効があるのかもしれない。釘は残り6本刺さっている。いざという時に使うことにしよう。

 刺さった釘を指で撫でながら辺りを散策する。綺麗に白く塗られた柵の向こうには牛がやけに間延びした鳴き声を上げながら草を食んでいる。一見してのどかな光景だが、群れをなしているほとんどの牛の体は不自然な形に欠けていた。足の無い牛は残った3本の足で不恰好に歩いている。頭のない牛はないはずの頭を下げて草を食もうとしている。

 あまりにも異様だが、感覚が麻痺しているせいかあまり感情が動かない。むしろ、穏やかな気候と爽やかな風のせいで至極心が落ち着いている。

「ん?」

 風に乗せられて何か生臭い匂いが漂ってくる。風上の少し小高い丘の上に厩舎が建っているのが見えた。風に導かれるように、厩舎を目指して歩いていく。近づいていくと、次第に鉄と毛が入り混じったような匂いが濃くなっていく。辿り着いた厩舎の中からは先ほど聞こえてきたねちっこい音が聞こえてくる。

「………」

 少し逡巡してから扉を開ける。むわっと獣臭と血の臭いのブレンドが顔にまとわりつく。胃をひっくり返すような吐き気がしたが、ここ数時間何も食べていなかったのが幸いして、内容物を吐くことはなかった。

「だだ…だれ…?」

 仄暗い厩舎の片隅から声が聞こえる。目を凝らすと、丸まった黒い塊が見えた。その塊は緩慢な動きでこちらに近づく。その見た目は今まで遭遇した神と違って人間と判別できる見た目をしていた。だが、他に類を見ないほど太り果てており、肉袋という表現がピッタリな見た目をしていた。

「き、ききみ…は?」

「ジムだ。ジム・ヘイター」

「そそ、そう…よろしく。僕、ぼ僕…は、えっと…」

 贅肉が喉に詰まるのか、度々言葉に詰まっている。

「しゃべ…しゃべり、づらい…」

 肉袋がそう言うと、彼の体の至る所にスッと線が走り、その隙間から真っ白な歯が覗く。歯は柔らかな贅肉に齧り付き、勢いよく食べ進める。悍ましい光景に顔を顰めている間に、目の前の肉袋は痩せ細った青年へと変貌していた。

「どど、どうも…お待たせ…しました…」

 だがこの喋り方は脂肪がなくなっても変わらないらしい。青年は自信なさげに視線を落とし、困り眉をぽりぽりと掻いている。

「ぼぼ…僕、は…えっと、何…だだ、だったかな…」

 青年はモゴモゴと口の中で次の言葉を転がしながら喋る。まるでカタツムリと喋っているみたいだ。

「ま、いい、いいや。なん、なんのよう?そそ、それで…」

 何の用か、と言われれば少し困る。ギュヌカが言うには神達が教えてくれると言っていたが、正直目の前の青年からは何一つ学べる気がしない。

「成り行きだ。自分でもここにいる理由はよくわかってない」

「そう…ぼ、くもいっしょ…なんで、いるんだろう…」

 青年はぼやけた表情で頭を掻く。

「ここで何が起こってるのか知っているのか?」

「ここ…って、どこ?」

「どこって…こっちが聞きたいんだが。強いて言うなら、牧場じゃないか?」

「牧場…そっか、ぼぼ、僕の…家…」

「家?」

「そう…家、たくさん…ひひ、ひと、来てた…動物…たくさん…か、家族…連れ…そして、きき…君、も…」

「え」

 青年は少し曲がった指でこちらを指す。

「勘違いじゃないのか?牧場に来た覚えなんてないぞ」

「お、おお、覚えて…る。その、めがね…と、仕草…昔、見た…」

「どんな、どんな見た目をしていた?他に誰かいたのか?」

「わからない…でも、小さい…こども、だった…」

「子供…」

 自分の知らない、自分の幼少期の記憶。どうやら自分は牧場に来るような人間らしい。今の自分の性格からは少し考えられない。それにしても偶然にしては出来すぎている。誰かに仕組まれているのか?

 しばらく考え込んでいると、地面から音が響いてきた。目の前の青年は困り顔で腹をさすっている。

「おなか…すいた…」

「食べるのが好きなんだな」

「…いや、嫌い…」

「そうなのか?」

「なに、食べても…血の味…昔から、」

「なにかきっかけがあったのか?」

「牧場で、みた…解体…こここ、わかった。それから…」

 昔のトラウマが原因か、どうやら彼もここのルールに則って神になったようだ。

「でも、今は…血の味しない、べつ、別の口…ある、から…」

「そうか、良かったな」

「でも…た、食べたい…」

「…なにを?」

「血の味…」

「……!」

 青年の体中が裂けて歯が露出する。それどころか壁や地面にさえ口が表れ、ケタケタと笑い始める。

「まずいな…」

 噛みつかれる前に厩舎から逃げ出す。厩舎から見下ろしたその景色は、異様なものだった。柵の中にいた動物達は全て地面に倒れ伏し、傷の隙間から蛆虫を湧かせている。どろりととろけた腹の内からは人の手が見えている。

「酷い臭いだ…!」

 走れば走るほど肺の中に腐臭が溜まっていく。吐き気と疲れで倒れてしまいそうなところをギリギリでこらえる。後ろからはカチカチと激しい音が聞こえてくる。少しでも躓けばミンチになってしまうだろう。

「使うか…!」

 釘に指をかけて力を込めるがとても引き抜けそうにない。

「融通の効かない釘だ!」

 このままじゃジリ貧だ。どうする、どうすればいい。こんなところで死んでられない…!

「っ…!」

 一瞬気が緩んだのか、足元の死骸に足を取られてしまった。牙はその隙を逃さず足に噛み付く。

「ぐっ…あぁ!」

 自分の断末魔が筋肉がぶちぶちと裂ける音で掻き消される。考えなくちゃいけないのに痛みで頭がいっぱいになる。ツシャに助けてもらいたい、釘を使いたい、そんな考えが上がってくるばかりで、自分1人で解決する方法が思い浮かばない。

「くそ…!」

 そうやって何もしてこなかったから自分はこうなっている。自分への怒りや情けなさで頭がどうにかなりそうだ。

「立て…!」

 感覚のない足を無理やり引っ張って立ち上がる。もしかしたらもう一度噛み付かれるかもしれないが、構わず走る。走っているとは言えないほど遅いスピードで前へ進む。

「やけに…静かだ…」

 血がなくなってきて、視界が暗くなる。ボロボロの柵にもたれかかる。

「………」

 そういえば、ここで馬を見た気がする。自分は乗るのが怖くて、側から誰かが馬に乗っているのを見ていた。その人は手を振っていた。

 ボロボロの柵は男1人の体重すら支えきれずに音を立てて崩れる。木片がいくつか刺さったが、その痛みに呻くことなく意識は沈んでいった。

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