21 軍人たるもの隊長の命令ならばどこまでもお預けでおれ泣きそう。
レルムが湯殿から上がると、控えていた従僕が服を貸してくれた。
礼を告げたレルムに一礼し、従僕は速やかに廊下の侍従へとりつぐ。身なりを正したレルムを侍従が案内し、応接室にたどりついた。
応接室の扉が開くと、正面に隊長が立っていた。
反射的に敬礼してから「なんでいるの?」と思ったレルムを、隊長は開口一番、一喝する。
「ダメだ。やり直し。もどれ」
また反射的に口からは「はっ」と了承の声を発して、思考より先に身体が動いた。
すみやかに反転し、廊下を足早に歩くレルムに侍従が慌てて走り寄り、湯殿まで先導してくれる。
うっかり命令に従って去ってしまったが、室内の様子は確認できた。歩きながら、レルムは思い出す。
応接室の奥のソファに、かっちりと着こんでいつもの楕円形に戻ったフューセルと、装いを整えたオルテシアが座っていた。
そして彼女に膝枕をされて横たわるのはアルフレッド殿下。
三人が横並びになり、ローテーブルを挟んで向き合っているのは、こちらに背を向けて座るひとりの人物。何故か第八隊所属の警ら隊、それも二番目に階級が低い「黒」の腕章をつけた歩兵だった。
なんとなく見覚えのある雰囲気に、もしかして平民牢で会った歩兵だろうか、とレルムは思い至る。
実直そうな眉をした表情が豊かな男だ。レルムより年上だがまだ若い彼は、誰の命令もないのにレルムの腰にコートを巻いてくれた。軽く会話しただけだが、いい人だな、という印象がある。
制服通りの身分であれば確実に先祖代々平民だろう。公爵夫妻と王太子に体面するには格が足りない気がするが…何者なのか?
疑問に思いながらも湯殿で全身を洗い直し、服を着て、侍従の後について応接室へ。
扉の前に立つ従僕が扉を開けると、今度も正面に隊長が仁王立ちしていた。
敬礼しつつ奥を見やれば、アルフレッドが座って夫妻と会話をしていた。すでに何かしらの話がはじまっているらしい。
(妃殿下のことだよな。おれも話を聞かねば。今すぐ隊長に円卓のことを報告して、会話にまざる許可をとる)
レルムは口を開いた。
「隊長、報告「黙れ。身なりを整えるのが先だ。髪の根本にまだ血のりが残っている。やりなおせ」…はっ」
レルムは敬礼したまま、また反転し、一歩も部屋に入れぬまま、また湯殿へ戻るはめになった。
気が逸って小走りになってしまったらしい、侍従が後を追いかけてくる気配がある。さすがに振り切るわけにはいかず、レルムは立ち止まって追いつくのを待ち、勝手を謝罪した。
そして、息を切らした侍従の後について歩く。内心のやきもきを隠し、おとなしく湯殿への案内をうける。
湯殿と応接室の長距離反復横跳びは、その後も複数回続いた。ダメ出しも止まらない。
「隊長、報告を「耳の裏。もどれ」…。」
その間も、仁王立ちの巨体の後ろでは、どんどん展開が変わっていった。
オルテシアが虹色に光る石板をツンツンつついている。
それを隣でフューセルが眺める。
ソファの背に回りこむように立ち、彼女の手元を覗き込んでいるのはアルフレッドと謎の歩兵…本当に何者だ?
あと、あの光、なに?
「返事はどうした!」「はっ」
一瞬気をとられたものの隊長の一喝に慌てて姿勢を正し、「行け」の声に従う。またその場で体を90℃反転させる。
一緒にいた侍従は「うそ、まだダメなの?」という驚愕の視線を隊長に向けていた。
レルムも同感だった。(おれもそう思う。でも隊長の命令には従うものだから…)そう心のなかで侍従を諭しつつ、「失礼」と声をかけた。
返事を待たずに、レルムは年上らしき侍従をひょいと持ち上げ、小走りに湯殿へ移動する。
早く合格をもらって報告をすまし、会話に混ざらねば。走る。洗う。着る。侍従を抱っこして戻る。扉が開いたら、敬礼。
「隊長、報こ「匂いが残っている」…はいっ」
虹色の光は広い応接室全体に広がり、背を向けて立つ隊長の後光になっていた。
なんだかとてもありがたい雰囲気を発する隊長からの命令ならば、と、レルムはまた侍従を縦抱きし湯殿へ向かった。
そして戻れば、虹色の光はさきほどよりは収まっていた。
未だ虹色の光を発する石板を膝の上に乗せたオルテシアは、彼女自身も全身が淡いピンク色に光っており、羽がないことが逆におかしく感じる程度に、おとぎ話にでてくる妖精女王のようだった。
…え、なにあれ? 人間が光っている。どうなっているの??
光景に理解が及ばずポカンとなりかけたレルムを我に返らせたのは隊長だった。
「レルム、早く行け!」
「はっ」
我に返ってまた慌てて湯殿へ走り、洗い、着て、戻れば
「た「血の匂いをとれと言ったんだ。やりなおせ」…はい」
隊長の後ろがどうしても気になる。
フューセルはものすごい速さで手紙を量産していた。
自分の案内役だったはずの侍従が彼の隣で封筒に宛名を記している。
そういやさっき一人で湯殿を往復してしまったな、置き去りにしてしまったと反省するレルムだが、次の瞬間、目を見張った。
フューセルが書き終わったと思しき手紙を空に舞わせば、侍従は舞い飛ぶ手紙を空いた片手で素早く捕まえ、そのまますみやかに乾燥用のトレイにうつしたのだ。しかも新たなトレイをその上に乗せて、次の準備までぬかりない。ノールックだった。その間もペンを持ったほうの片手が速やかに動いている。レルムが唖然とする間に侍従の横には封筒が山となり、いつやったのか既に紐で括られていた。そして気づけばいつのまにか侍従はリストらしき物を作成しはじめている。
妖精女王は相変わらずその横で、ふんわり光りながら石板の埃を払っている。
アルフレッドは何故か鼻にガーゼを詰めてまたソファに横たわり、膝枕は謎の歩兵が担っていた。
レルムは困惑した。なにがどうなってそうなっているのか、さっぱりわからない。
妃殿下はご無事なのか、早く混ざらねば「レルム、行け」「はっ」
湯殿へ走る。
もはや侍従の案内なしに館を行き交う無礼もお目こぼし頂いていると判断する。
湯殿にたどり着けば、待機していた従僕が今回も速やかに新たな湯の手配をしてくれた。
これだけしつこく湯を借りる客など迷惑以外の何物でもないだろうに、それを感じさせないにこやかさだ。レルムは感動した。さすが公爵家の使用人。とても有能。カッケェ…と。
湯殿と応接室を往復しているうちに、使用人の出入りが激しくなってきた。
なにやら大量の荷物を運んでいるらしく、邪魔にならないよう気を遣ったレルムの速度は下がる。
ようやく応接室へ戻って、今度こそという思いを込めて敬礼する。
「隊長、報告を「なぁレルム…意味もなくこんなに厳しくすると思うか、俺が」…は、ぁ…?」
わざとらしいため息をつく隊長の後ろで、フューセルがトレードマークの大きなオモニエールに様々な物を詰め込んでいた。
隣で鼻の穴にガーゼを詰めたままのアルフレッドが木製の箱を前にせっせと物を詰め込んでいる。
使用人が次々と運んでくる鞄や箱は謎の歩兵の指示によりふたつに仕分けされ、ソファの奥にどんどん積み重なっていく。
ひとりソファに座るオルテシアは相変わらず妖精女王だった。
虹色の光は強くなったり弱くなったりを繰り返し、そんな中で熱心に石板のほこりを払っている。
…何なのだ。これから何が起こるというのか? 妃殿下のことはどうなったの?
気がそれかけたレルムをシャキッとさせたのは、やはり隊長の声だった。
彼はとうとう告げた。レルムが待ちに待ったその一言を。
「もちろん、身ぎれいにする理由があるからだ。
聞け、レルム。冤罪で投獄され、あげくに遺物の中の世界に送られたアウローラ妃殿下のもとに行けるんだぞ、今から! お前が! 血と死臭にまみれたままでいいのか? 臭いまま妃殿下に会って、何だか臭いわと思われてそれでいいのか、お前。ああ!?」
「!」
妃殿下に会える。主の傍に戻れる。
レルムは与えられたその言葉に脳内がパッとバラ色に輝いた。
鳥頭としてのお約束、他の疑問は頭から抜け落ちる。
隊長の背後で起きている謎も、円卓と王をノリでとっちめちゃいましたごめんねテヘペロの報告も、なんなら遺物の中の世界ってなに? に至るまで全てがスコーンと抜け落ちて、レルムは喜びのままに湯殿に走った。
慣れた手つきで服を脱ぐ間に、従僕が石鹸と湯を準備してくれていた。
待ち構えているそこに全裸で飛び込み、そのまま土下座する。
「体臭ゼロにしたいです! 手を貸していただきたい!」
従僕はギョッと身を引きつつも頷いた。
他の侍従に報告し、客人の要望を伝えて指示を乞う。
すると、美容にこだわりがある美男子執事見習いたちがわらわらと集まってきて、ああだこうだと知恵と技術が飛び交い、レルムをもみくちゃにしはじめた。
そしてピカピカのいい匂いのするレルムが出来上がった。身なりもビシッと決まり、まるで高位貴族の青年のようないでたちだ。化粧で顔の印象すら変わり、もはや別人だった。
「隊長、いかがですか!」
自信満々でレルムは敬礼した。
早くGOをください。かっこよくしてもらいましたよ! 妃殿下に会っていいでしょ、ねぇねぇ!
ところが隊長はまたも深いため息で応えた。そして、ごはんをねだる犬のような表情の貴公子にダメ出しをした。
「…あのなぁ、レルム。夜会にでるならそれでいい。だがお前は護衛官だ。妃殿下専属護衛官。化粧と香水の匂いプンプンさせる護衛がどこにいる」
「!!」そのとおりだ! レルムは目を見開いて頷いた。隊長はそっと告げた。
「どうせなら護衛官として格好よく駆け付けたくはないか? 妃殿下のもとへ。さながら軍記にでてくる挿絵のように。姫を守る勇敢な騎士のごとく、凛々しく、頼もしく、魅力的に。…いいことを教えてやる」
更にひそめた声につられ、レルムも隊長に顔を寄せる。
「俺たち護衛官は、どんな女性でも一発でときめかす服を持っている」
レルムは息をのんだ。
「どんな女性でも」
「ああ、何故かやたらウケがいい。下手な高級服よりイチコロだ。お前にも支給されている。寮のクローゼットで眠っていることだろう。最高に上品で高品質、しかしめったに日の目を拝めない。半年に一度、虫干しと総点検のために休憩時間を費やし部品の全てに名札をつけて手入れに出し、それが戻ってこればまた貴重な休憩を削ってチマチマ名札を外さねばならない。そしてまたクローゼット行き。
心当たりがある顔だな、そうだ、アレだ」
「式典用の第一礼装…!」
隊長は頷いた。
「正解だ。格式高すぎて着る機会もないのに各自保管を強いられ場所をとって面倒で邪魔で仕方ないアレだ。いわく、俺たちが詐欺レベルでひときわ輝くのはアレを着ている時らしい。…レルム、その恰好で今から寮に帰って、第一礼装を含め自分の荷物を全部とってこい。ただし名乗るなよ。誰だと誰何されたら、ただ「公爵の使い」とだけ名乗って、この手紙を渡せ。礼儀を忘れるな。ここの使用人のレベルは高い。優雅な所作を真似して、軍人であることはいったん忘れろ。そして自分の部屋の荷物をまとめて、全て持ってここに帰ってこい。いいな。」
「はい!」
レルムは興奮のまま元気よく返事をした。隊長は真顔で頷く。
「よし、そちらの侍従の指揮下に入り、速やかに遂行せよ! 第一礼装と勲章は絶対に忘れるなよ!」
「はい!!」
レルムは敬礼し、即座にその場を辞した。
第一礼装は命令なく着ることは許されていません。本来は持ち出しにも許可がいるくらい重要な物です。
当然、着て外出しようものなら一発退場の除隊処分です。
しかしこの世界、現在少々規律への意識が緩くなっており、「鍛えて体格が変わったため試着が必要」という名目で密かに家の中で妻や恋人へ披露している者がわりといます。喧嘩の後の仲直りに効くそうです。
サージェント隊長は自分はやりませんが、それをやっている軍人がいることは知っています。
軍部は貴族平民がいりまざるため、本来は規律ガチガチにして縛り上げて統率をとっていました。
しかし政権移譲のあと、円卓は軍部を怖そうだし好きにしててと距離を置きがちで、現王は都合のいい駒としか考えておらず、プライド高いし血の気も多い軍部は静かに怒りをためています。
今の軍部はそもそもが旧王家の国軍で、政権移譲の際に軍部として円卓の支配下におかれた…ということになっています。
しかし、実質は有無を言わさず規模を縮小され、放り出される形でほとんどの軍人が職を失いました。
その際にフューセルの号令で雇いなおしをして元軍人の盗賊堕ちを防いだ過程から、軍部の忠誠も公爵家寄りだったりしますが、残念ながら城に本部を置く以上フレドリクの洗脳で実質的に無効化されているという設定です。




