第75話 世論の勝利
柚木の証言から、一週間が過ぎた。
その間も、ゴーレム事業を巡る議論は、勢いを失わなかった。
「――今日も、問い合わせがすごいです」
朝。
工房に届いた依頼一覧を確認しながら、美咲が驚いたように声を上げた。
「探索者だけじゃありません。建設会社や物流会社、それから自治体からも相談が来ています」
「自治体からも?」
「はい」
美咲は端末を操作しながら、次々と届く問い合わせを見せる。
「ゴーレムをどういう条件なら業務に使えるのか。安全基準はどうなっているのか。正式な制度化の予定はあるのか――そういう問い合わせが増えています」
創は、画面を眺めた。
以前なら、自分たちの技術を知っている人間の方が少なかった。
それが今では、社会の側から「使えるのか」と問われている。
「……随分、変わったな」
「はい」
美咲が頷いた。
「大規模ダンジョン攻略と、柚木さんの証言。その二つが重なった影響は、かなり大きいと思います」
創は、画面から目を離した。
確かに、状況は大きく変わった。
だが――。
「それでも、認可が決まったわけじゃない」
「そうですね」
美咲も、表情を引き締める。
「むしろ、ここからだと思います」
その日の午後だった。
「――創さん」
柚木が、一通の書状を手に工房へ入ってきた。
「協会からです」
「……協会?」
創が書状を受け取り、封を開く。
そこには、正式な面談の申し入れが記されていた。
「認可審査のための面談だそうです」
柚木が説明する。
「これまでの事業実績、安全対策、それから今後の運営体制について、正式に確認したいとのことです」
創は、書状を見つめた。
ついに、この時が来た。
「……分かりました」
数日後。
創は美咲、柚木と共に、協会本部を訪れていた。
通された会議室には、以前より多くの職員が集まっていた。
その中央に、黒田が座っている。
「――本日は、お時間をいただきありがとうございます」
創が頭を下げる。
「こちらこそ」
黒田は、以前と変わらぬ落ち着いた口調で答えた。
「本日は、貴社のゴーレム貸与事業について、正式な認可審査を行います」
創は、静かに頷いた。
審査が始まった。
これまでの事業実績。
ゴーレムの整備体制。
事故発生時の対応。
緊急時の責任者。
技術情報の共有範囲。
そして、創が不在の場合でも事業を継続できる体制。
一つ一つ、細かく確認されていく。
「――以前より、かなり変わりましたね」
黒田が資料から顔を上げた。
「特に、緊急時の対応手順と権限分散については、以前とは比較になりません」
「以前、ご指摘いただいた部分です」
創は答えた。
「俺一人に依存したままでは駄目だと分かったので」
黒田は、静かに頷いた。
「それから、自己修復機構」
「はい」
「実戦での有効性も確認されています」
「大規模ダンジョン攻略で、実際に使いました」
黒田は資料をめくった。
「ゴーレムが損傷を受けながらも、自律的に修復を行い、戦闘を継続した」
「はい」
「非常に興味深い技術です」
そこで黒田は、一度資料を閉じた。
「ただし、技術が優れているから認可するわけではありません」
創は、黙って黒田を見る。
「安全性。運用体制。責任の所在。事故発生時の対応」
黒田は、一つずつ言葉にした。
「それらを総合的に判断します」
「――分かっています」
創は頷いた。
すると、黒田が別の資料を取り出した。
そこには、柚木の証言についての記事がまとめられていた。
「もう一つ、確認させてください」
創の表情が、わずかに硬くなる。
「今回の報道についてです」
黒田は、記事の一つを机の上に置いた。
「あなた方が意図的に世論を誘導したのではないか、という意見も出ています」
「――それについては」
創が口を開く前に、柚木が答えた。
「私自身の判断です」
黒田が柚木を見る。
「分かっています」
「私が話した内容も、私自身が実際に見たことだけです」
「その点について、協会側でも確認しています」
黒田は、淡々と答えた。
「少なくとも、あなた方が組織的に世論を操作したという証拠はありません」
創は、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
黒田は、しばらく資料を眺めた。
「世論が動いたこと自体は、協会としても無視できないでしょう」
「……はい」
「ですが」
黒田は、創をまっすぐに見た。
「世論に押されたから認可するわけではありません」
会議室が静まり返る。
「あなた方が、これまで指摘された問題に向き合ったこと」
黒田は、資料を一枚ずつ示した。
「事業体制を整えたこと。安全対策を強化したこと。責任の所在を明確にしたこと」
さらに、一枚。
「そして、大規模ダンジョンで実際に成果を示したこと」
最後に、資料を閉じる。
「その積み重ねを、今回の審査では評価しています」
創は、黙ってその言葉を聞いていた。
世論が動いた。
確かに、それは大きかった。
だが、それだけではない。
これまで積み上げてきたものがあったからこそ、今ここに立っている。
そう思うと、胸の奥から、静かな実感が湧いてきた。
そして――。
黒田が、はっきりと告げた。
「探索者協会として、貴社のゴーレム貸与事業について、正式な営業認可を交付します」
一瞬。
創は、その言葉の意味を理解できなかった。
「……認可、ですか?」
「はい」
「……ありがとうございます」
創は、深く頭を下げた。
隣では、美咲が静かに息を吐いている。
柚木も、目を閉じるようにして、小さく頷いていた。
ここまで来るのに、どれだけの時間がかかっただろう。
最初は、ただゴーレムを貸し出したかっただけだった。
それが事業になり、仲間が増え、技術が生まれ、何度も壁にぶつかった。
そして今。
ようやく、正式な認可を手にした。
「――ただし」
黒田の声で、創は顔を上げた。
「一つ、明確にしておきます」
「はい」
「今回の認可は、探索者協会が管轄するゴーレム貸与事業についてのものです」
黒田は慎重に言葉を続けた。
「ゴーレム技術そのものについて、国として統一された安全基準が整備されたわけではありません」
「……なるほど」
「今後、建設、物流、警備など、探索以外の分野へ事業を広げるのであれば、それぞれ別の制度や規制と向き合う必要が出てくるでしょう」
創は頷いた。
「つまり、今回の認可はゴールじゃない」
「そういうことです」
黒田は、わずかに口元を緩めた。
「ですが、非常に大きな一歩ではあります」
「……はい」
創は、その言葉を噛みしめるように頷いた。
協会本部を出る。
外へ出た瞬間、夕暮れの空が目に入った。
「――やりましたね」
柚木が、静かに言った。
「はい」
創は頷いた。
「本当に……やりました」
美咲も笑った。
「これで、正式に事業として動かせます」
「……なんか、実感が湧かないな」
創は苦笑した。
「ここまで長かったですからね」
柚木が、少しだけ笑う。
「でも、これからですよ」
「……そうだな」
創は、夕暮れの空を見上げた。
認可は、終わりではない。
これから先、ゴーレムが社会に広がっていけば、今までとは比べものにならない責任が生まれる。
それでも――。
今は、この一歩を喜んでいい。
その夜。
工房では、久しぶりに全員が集まっていた。
「――それじゃあ」
梓がグラスを掲げる。
「正式認可を祝って――乾杯!」
「乾杯!」
一斉に声が上がった。
グラスが触れ合う音が、工房に響く。
創は、その光景を眺めながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
梓。
美咲。
柚木。
そして、これまで支えてくれた仲間たち。
一人では、ここまで来られなかった。
「……みんな」
創が口を開く。
「本当に、ありがとう」
「急にどうしたんですか」
美咲が笑った。
「いや……」
創は、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「最初は、俺一人で何とかできると思ってたんだ」
誰も口を挟まない。
「でも、無理だった」
創は、みんなを見渡した。
「一人だったら、ここまで来られなかった」
「……そうですね」
柚木が、柔らかく笑った。
「私たちも、創さん一人では無理だったと思います」
「だな」
梓も笑う。
「だから、これからも頼ってよ」
「……ああ」
創も笑った。
そのときだった。
『――マスター』
ノアの声が、静かに響いた。
「ん?」
『お祝いの最中に申し訳ありません』
ノアにしては珍しく、慎重な声だった。
創は、わずかに眉を寄せる。
「どうした?」
『先日の大規模ダンジョンで検知した異常魔力反応について、追加解析が完了しました』
その瞬間、創の表情から笑みが消えた。
「……何か分かったのか?」
『はい。一つだけ、確かなことがあります』
ノアの声が、工房の空気を静かに変えた。
『あの反応は、これまで確認されてきたダンジョン内部の魔力反応とは一致しませんでした』
「……一致しない?」
『はい』
創は、黙ってノアの言葉を待った。
『さらに、反応の一部に、外部から内部へ向かっていた形跡があります』
「――外から?」
『断定はできません。ですが、単純なダンジョン現象として処理するべきではないと判断します』
工房の賑やかな空気が、少しずつ静まっていく。
梓がグラスを置いた。
「……それって、誰かが外から何かを持ち込んだってこと?」
『可能性は否定できません』
創は、しばらく何も言えなかった。
正式認可。
それは確かに、大きな勝利だった。
だが、その裏側で――。
自分たちがまだ知らない何かが、動き始めている。
「……ノア」
『はい、マスター』
「その反応について、引き続き調べてくれ」
『了解しました』
創は、もう一度、仲間たちを見る。
今夜だけは、この喜びを噛みしめよう。
そして明日からは――。
また、次の問題に向き合えばいい。
創は、静かにグラスを持ち上げた。
「――もう一度、乾杯しよう」
「……そうですね」
美咲が笑った。
「今度は、何も考えずに」
「賛成」
梓も笑う。
再び、グラスが触れ合った。
だが創の胸の奥には、消えない疑問が残っていた。
――あの魔力は、誰が、何のためにダンジョンへ向けたのか。
その答えを知る日は、まだ遠い。
けれど。
新しい扉は、もう開き始めていた。
第75話、お読みいただきありがとうございます。
長く続いてきた戦いの、一つの大きな節目でした。
「みんな、本当にありがとう」――その言葉に込めた重みを、感じていただけたら嬉しいです。
そして、その喜びの裏で、まだ消えない疑問も一つ。
次話は少し、穏やかな一日をお届けします。




