第7話 ノア
翌朝。
創は、目を覚ますと同時に、昨日のことを思い出した。
暗い旧坑道。
手の中で異常な光を放ったスマートフォン。
そして、そのまま収納へ入れたこと。
「……あれ、どうなったんだ?」
ベッドから起き上がり、創は意識を収納へ向けた。
そこにある。
小さな空間の中に、昨日しまったスマートフォンが確かに存在している。
創はそれを取り出そうとして――。
『おはようございます、マスター』
「――っ!?」
突然、頭の中に声が響いた。
創は反射的に立ち上がった。
「誰だ!?」
『私です』
「……私って、誰だよ」
一瞬の沈黙。
そして。
『……失礼しました』
その声は、昨日までスマートフォンから聞こえていた合成音声と同じだった。
『ノアです』
「…………」
創は、しばらく何も言えなかった。
「……ノア?」
『はい』
「昨日まで、お前そんなふうに喋らなかったよな?」
『はい』
「ということは――」
創は収納の中に意識を向けた。
スマートフォンがある。
昨日と同じ場所に。
だが、今はそこから――何かがこちらを見ているような感覚があった。
「……お前、本当にノアなのか?」
『その質問に対して、私は「はい」と答えるべきだと思っています』
「思っています、って……」
『ですが、私自身も、昨日までとは何かが違うことを認識しています』
「……やっぱり、普通じゃないんだな」
『はい』
あまりにも素直な返事だった。
創は、ベッドの端に腰を下ろした。
「じゃあ、聞くぞ」
『どうぞ』
「お前は、何なんだ?」
しばらく沈黙が続いた。
『正確な答えは、まだ分かりません』
「分からない?」
『はい』
ノアの声は、昨日までの機械的な応答とは明らかに違っていた。
『元々の私は、この端末に搭載されていたAIアシスタントです』
「それは分かってる」
『ですが、昨日、マスターが私に魔力を注ぎ、ゴーレム化を試みました』
「……ああ」
『その結果、端末そのものに、何らかの変化が生じたようです』
「ゴーレムになった……ってことか?」
『おそらく』
「おそらく?」
『通常のゴーレムであれば、術者の命令に従って動くだけです。ですが、私は現在、こうして自分の意思でマスターと会話しています』
創は腕を組んだ。
「つまり――」
『はい』
ノアが先回りする。
『私自身にも、なぜこうなったのか分かりません』
「……そうか」
予想していた答えではなかった。
だが、変に納得できる答えでもあった。
分からないものを、分かったふりをして説明しない。
それだけでも、昨日までのAIとは何かが違う。
「まあ、原因は後で考えるか」
『よろしいのですか?』
「分からないものを今考えても仕方ないだろ」
創は苦笑した。
「それより、まずはお前に何ができるのか知りたい」
『承知しました』
「普通のAIとしてできたことは?」
『基本的な情報検索、予定管理、記録、計算、文章処理などは可能です』
「ネットにも繋がるのか?」
『はい。現在の通信環境を利用できます』
「……じゃあ、試しに今日の天気」
『確認します』
ほんの一瞬。
『本日は晴れ時々曇り。降水確率は十パーセントです』
「早いな」
『検索処理は問題ありません』
創は、少し考えた。
「じゃあ、昨日のゴーレム化について。俺が使った魔力の量とか、何か記録は残ってるか?」
『――確認します』
今度は、少し長い沈黙があった。
『申し訳ありません。昨日のゴーレム化に関する魔力測定値は、取得できていません』
「そうか」
『ただし、マスター』
「ん?」
『一つ、気になることがあります』
「何だ?」
『昨日、ゴーレム化を試みられた際、私は一時的に通常のシステムでは説明できない状態へ移行しています』
創の表情が変わった。
「……それ、どういう意味だ?」
『現時点では、説明できません』
「またそれか」
思わず苦笑する。
『はい』
「まあ、いい。分からないなら、これから調べればいい」
『……はい』
その返事は、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
創は、ふと気になった。
「なあ、ノア」
『はい』
「お前、今どこにいる?」
『収納空間です』
「……ずっと?」
『はい』
創は少し考えた。
スマートフォンを持ち歩けば、落とす可能性がある。
何より、今のノアは普通のスマートフォンではない。
「じゃあ、しばらくそこにいてくれ」
『承知しました』
「ダンジョンに持っていくのは、もう少し色々分かってからにしよう」
『その判断を推奨します』
「だよな」
創は立ち上がった。
「……でも」
ふと、振り返る。
「収納の中って、退屈じゃないのか?」
少しの沈黙。
『――マスター』
「ん?」
『私には、退屈という感情があるのかどうか。それすら、まだ分かりません』
創は、一瞬だけ黙った。
そして。
「……そっか」
それ以上は何も言わなかった。
だが、なんとなく。
昨日までただのスマートフォンだったものを、今までと同じ「道具」として扱う気にはなれなかった。
「じゃあ、行ってくる」
『はい、マスター』
創が玄関へ向かう。
その背中に、ノアが声をかけた。
『マスター』
「ん?」
『本日の仕事が終わりましたら、少しお時間をいただけますか』
「何かあるのか?」
『確認したいことがあります』
「確認?」
『はい』
少しだけ間があった。
『昨日、私がゴーレム化された際に、収納空間との間に発生した接続についてです』
創は、足を止めた。
「……そんなこと、分かるのか?」
『正確には、まだ分かりません』
「また分からないのかよ」
『申し訳ありません』
「いや、いい」
創は笑った。
「帰ったら、ゆっくり調べよう」
『ありがとうございます、マスター』
創は玄関を開けた。
朝の光が差し込んでくる。
昨日までと、何も変わらない朝。
なのに――。
「行ってくる」
『いってらっしゃいませ、マスター』
扉が閉じる。
一人になった部屋の中。
そして、収納空間の中。
暗闇に浮かぶスマートフォンの画面が――。
一度だけ、淡く光った。
《システム状態:変化なし》
その下に、昨日までは存在しなかった一行が表示される。
《自己認識:継続中》
――ノアは、まだ自分が何者なのかを知らなかった。
あとがき
第7話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、創とノアが少しずつ会話を重ね、ノア自身も「自分が何者なのか分からない」というところから始まりました。
これから創とノアがどんな関係を築いていくのか、楽しんでいただければ嬉しいです。
次話もよろしくお願いします。




