第62話 ノアの限界
ゴーレム破壊事件から、数日が過ぎた。
工房の日常は、表向きには変わっていない。
貸与されたゴーレムの整備。
探索者からの問い合わせ。
新しい貸与先との打ち合わせ。
そして、先日の事件を受けた警備体制の見直し。
ただ――やることは、確実に増えていた。
「――ノア、今日の稼働状況は?」
朝。
いつものように創が尋ねる。
『――確認します』
返事が返ってくるまでに、ほんのわずかな間があった。
創は、顔を上げた。
「……今、ちょっと遅れた?」
『申し訳ありません。確認処理に、通常より時間がかかりました』
「珍しいな」
『誤差の範囲です』
「そうか?」
創は首を傾げた。
ほんの一瞬だった。
気にしなければ、気づかない程度の遅れ。
だが、創はノアと長く付き合っている。
これまでなら、ほとんど間を置かずに返事が返ってきていた。
「具体的には、何が増えてる?」
『通常業務に加え、先日の事件を受けて、貸与ゴーレムの監視頻度を引き上げています』
「どのくらい?」
『すべての貸与機体について、稼働状況、位置情報、魔力状態、異常動作の有無を、以前より細かく確認しています』
「……それ、いつから?」
『事件の翌日からです』
創は眉をひそめた。
「聞いてないぞ」
『マスターの負担を増やす必要はないと判断しました』
「いや、そういう問題じゃないだろ」
創は苦笑した。
「お前がやってる仕事が増えてるなら、俺にも教えてくれ」
『……申し訳ありません』
ノアの声が、ほんの少しだけ小さくなった。
「ノア?」
『現在の処理負荷については、問題ありません』
「本当に?」
『はい』
即答だった。
だからこそ、創は引っかかった。
◇
その日の午後。
倉庫案件と探索者向けの依頼が重なった。
創は作業をしながら、ノアへ声をかける。
「ノア、倉庫の棚卸し、そろそろだったよな?」
『――はい。確認します』
また、間があった。
今度は朝より長い。
創が時計を見る。
数秒。
『――お待たせしました』
「大丈夫か?」
『問題ありません』
「でも、遅かったぞ」
『複数の処理を同時に行っていたためです』
「複数って?」
『倉庫側の作業指示。貸与ゴーレムの監視。探索者からの問い合わせ対応。加えて、先日の事件に関する監視記録の整理です』
創は黙った。
「……それ、全部お前がやってるのか?」
『可能な範囲で処理しています』
「可能な範囲、ね……」
その言い方が、妙に引っかかった。
『倉庫側への指示を送信します』
「待て。俺がやろうか?」
『必要ありません』
「ノア」
『――大丈夫です、マスター』
その返答だけは、妙に早かった。
創は、しばらく黙っていた。
◇
夕方。
作業を終えた創は、梓と柚木に今日のことを話していた。
「ノアが遅れる?」
梓が意外そうに眉を上げる。
「あいつが?」
「うん。ほんの数秒だけど」
「今まで、そんなことなかったよね」
柚木も考え込む。
「協会のシステムでも、似たようなことはありました」
「システムでも?」
「はい。申請件数が集中すると、処理に時間がかかったり、一部の機能が遅れたりすることがあります」
柚木は少し考えてから続けた。
「システムそのものが壊れているわけじゃなくても、扱う情報が増えれば、処理する側の負担は増えますから」
「……なるほど」
創は腕を組んだ。
「ノアも、それと同じなのかな」
「可能性はあると思います」
梓が答えた。
「今までより、やってることが増えてるんでしょ?」
「うん」
「だったら、一度ちゃんと確認した方がいいんじゃない?」
創は頷いた。
「そうする」
◇
その夜。
工房に人の気配がなくなった後。
創は一人でノアに呼びかけた。
「――ノア」
『はい、マスター』
「正直に答えてくれ」
『はい』
「今、どれくらい余裕がある?」
しばらく沈黙が続いた。
「……ノア?」
『現在の処理負荷は、平常時の二倍近くまで上昇しています』
「二倍……」
『はい』
創の表情が変わる。
「原因は?」
『貸与ゴーレムの増加。倉庫業務。探索者からの問い合わせ。加えて、先日の事件を受けた監視処理の強化です』
「……それで?」
『現状では対応可能です』
「現状では?」
『今後、貸与機体がさらに増えれば、現在の構成では余裕がなくなります』
創は黙っていた。
『また、複数の重要処理が同時に発生した場合、一部の処理を遅らせる必要が生じる可能性があります』
「つまり?」
『すべてを同時に、これまでと同じ速度と精度で処理することが難しくなります』
創は、ゆっくり息を吐いた。
「……なんで、今まで黙ってた?」
『……』
「ノア」
しばらくして、ノアが答えた。
『マスターの負担を増やしたくありませんでした』
「……」
『事業は順調に拡大しています』
ノアの声は、いつも通り落ち着いていた。
『それを止めたくありませんでした』
創は、しばらく何も言えなかった。
「お前……」
『はい』
「無理してたんだな」
『……否定はできません』
その一言に、創は小さく笑った。
「馬鹿だな」
『申し訳ありません』
「怒ってるんじゃない」
創は首を振った。
「むしろ、ありがとうって言いたい」
『……マスター』
「今まで、ずっと支えてくれたからな」
創は椅子に深く座り直した。
「でも、これからは一人で抱えるな」
『……』
「事業が大きくなったなら、それに合わせてやり方を変えればいい」
『やり方を、ですか?』
「ああ」
創は少し考えた。
「監視を全部、お前一人にやらせる必要はない」
『……』
「事務処理だって、俺や他の人間ができるものはある」
『はい』
「ノアにしかできない仕事と、人間でもできる仕事を分けよう」
しばらく沈黙があった。
『……承知しました』
「それと」
創は続けた。
「今後、負荷が危険なところまで上がったら、ちゃんと俺に報告してくれ」
『はい』
「絶対だぞ」
『はい、マスター』
その返事には、いつもより少しだけ柔らかな響きがあった。
◇
窓の外は、すっかり夜が更けていた。
創は工房を見渡した。
以前とは、何もかもが変わっている。
貸与するゴーレムが増えた。
仕事が増えた。
関わる人間も増えた。
そして――ノアが処理する仕事も増えた。
これまでは、それでも何とかなっていた。
ノアが何とかしてくれていたからだ。
だが。
「……それじゃ、駄目なんだな」
『はい』
「俺たちが大きくなるなら、やり方も変えないといけない」
『その通りです』
創は、少し考えた。
まずは、ノアが抱えている仕事を整理する。
何を任せるべきか。
何を人間がやるべきか。
そして、何を新しく用意する必要があるのか。
「……明日、みんなで話そう」
『はい、マスター』
「一人で考えても仕方ないからな」
『賛成します』
創は、小さく笑った。
「お前も、少しは人を頼れ」
『……努力します』
「それ、前にも聞いた気がするぞ」
『今回は、本当に努力します』
「なら、いい」
静かな工房に、二人の声だけが響いた。
事業が成長する。
それは、ゴーレムを増やすだけではなかった。
仕事も増える。
責任も増える。
そして、これまで当たり前だった仕組みにも、限界が訪れる。
創はまだ、その答えを持っていなかった。
ただ一つだけ、分かっていることがある。
――今までと同じやり方では、これ以上先へ進めない。
それは、事業が次の段階へ進むために必要な、最初の課題だった。
第62話、お読みいただきありがとうございます。
これまで当たり前のように頼ってきた存在にも、限界がある。
そのことに気づかされた回でした。
「今までと同じやり方では、これ以上先へ進めない」――次話では、この課題への答えを探ります。




