第60話 受付嬢回
創と話した日から、数日が過ぎた。
柚木は、いつも通り窓口業務をこなしていた。
書類を受け取り、内容を確認する。
必要な手続きを案内し、次の探索者を呼ぶ。
何も変わらない、いつもの一日。
――のはずだった。
けれど、心の片隅には、あの日の会話が残っていた。
『前例がないから慎重になるのと、前例がないから止めてしまうのは……少し違うんじゃないかって』
あの言葉が、何度も頭に浮かぶ。
「……」
柚木は小さく息を吐いた。
考えすぎだ。
そう思おうとした。
協会には協会の事情がある。
安全を確認する必要もある。
何か事故が起きれば、責任を負うのは協会なのだから。
――そう、自分に言い聞かせていた。
そんなある日のことだった。
「――お願いします! 至急、確認していただきたいことが!」
窓口に、一人の若い探索者が駆け込んできた。
息を切らし、手には書類の束を抱えている。
「落ち着いてください。順番に伺います」
柚木は相手を落ち着かせながら、書類を受け取った。
「何か緊急の案件ですか?」
「はい。地方の集落が、土砂崩れで孤立してしまって」
柚木の表情が変わった。
「けが人は?」
「今のところ大きな被害はないそうです。でも、道路が塞がれていて、食料や飲料水が足りなくなり始めています」
「……それは急いだ方がいいですね」
柚木は書類に目を通した。
「申請内容は?」
「物資の運搬支援です」
若い探索者が答える。
「ドローンも飛ばしてるんですが、積める量に限りがあって。生活物資をまとめて運ぶには、とても足りなくて」
「うちのパーティだけでも行けるんですが、量が多すぎて……」
そこで、少し言いにくそうに付け加えた。
「ゴーレムを使いたいんです」
柚木の手が止まった。
「ゴーレム、ですか?」
「はい。荷物を運ばせれば、人手をかなり減らせます」
柚木は申請書を確認する。
必要な項目は揃っている。
使用するゴーレムについても記載されていた。
危険性についても、一定の対策が取られている。
「……少々お待ちください」
柚木は担当部署へ確認を取った。
しばらくして、戻ってきた回答を見て、表情が曇った。
「――申し訳ありません」
「え?」
「今回の使用形態については、通常の審査が必要になるそうです」
「でも……」
若い探索者が身を乗り出した。
「集落は今、孤立してるんです」
「はい」
「許可が下りるまで待ってたら、間に合わないかもしれない」
柚木にも、その焦りは分かった。
けれど、規定上、勝手に許可を出すことはできない。
「私からも、もう一度確認してみます」
柚木は担当上司のところへ向かった。
◇
「――緊急だからといって、審査を飛ばすわけにはいかない」
返ってきた答えは、予想していたものだった。
「ですが、現地では物資が不足しています」
「それは分かっている」
「では、特例という形で――」
「柚木」
上司は静かに首を振った。
「もし現地でゴーレムが事故を起こしたらどうする?」
「……」
「道路がさらに崩れたり、住民が巻き込まれたりした場合、誰が責任を取る?」
柚木は答えられなかった。
「ゴーレムの使用自体が悪いと言っているわけじゃない」
上司は続けた。
「ただ、今回の使い方について、まだ協会として確認できていない。それだけだ」
「……分かりました」
「明日、担当部署で正式に検討する。それまでは待ってもらうしかない」
柚木は、それ以上言えなかった。
窓口へ戻る。
「……申し訳ありません」
若い探索者に説明すると、彼はしばらく俯いていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かりました」
「明日には審査されるそうです」
「はい」
彼は書類を受け取った。
「でも……明日まで待っていられないので」
「……」
「許可がなくても、できる範囲で運びます」
「それは……」
柚木が止めようとするより先に、若い探索者は頭を下げた。
「ありがとうございました」
そう言って、窓口を離れていった。
柚木は、その後ろ姿を見送った。
――規定は間違っていない。
――上司の言っていることも分かる。
それでも。
「……」
胸の奥に、嫌な引っかかりが残った。
◇
その日の業務を終えた後。
柚木は一人、資料室に残っていた。
必要な書類を探すふりをしながら、過去の申請記録をめくっていく。
そして、見つけた。
以前、創たちが提出した申請。
却下理由には、見慣れた言葉が並んでいた。
――前例がない。
――安全性の確認が不十分。
――責任の所在が明確でない。
柚木は、今日の申請書を思い出した。
「……同じだ」
もちろん、事情は違う。
創たちの申請と今日の災害支援を、一緒に考えることはできない。
それでも――。
「前例がないから、できない」
その言葉だけは、同じだった。
柚木は、資料を閉じた。
「……これで、本当にいいのかな」
答えは返ってこない。
◇
その夜。
柚木は、久しぶりに一人の女性へ電話をかけた。
以前、同じ部署で働いていた先輩だった。
今は、もう協会を辞めている。
『――もしもし?』
「お久しぶりです」
『えっ、柚木ちゃん?』
懐かしい声が返ってくる。
『珍しいね。どうしたの?』
「少し、相談したいことがあって」
柚木は、今日あったことを話した。
協会の判断。
若い探索者の焦り。
そして、自分が感じた違和感。
先輩は、途中で口を挟まずに聞いていた。
しばらくして、ぽつりと呟く。
『……柚木ちゃんも、そこが気になり始めたんだ』
「先輩も……?」
『うん』
少しの沈黙。
『私も、最後の頃は同じだったよ』
「……それで、辞めたんですか?」
『それだけが理由じゃないけどね』
先輩は苦笑した。
『ある申請で、現場の人が本当に困ってるのを知ってた。でも、規定上は通せなかった』
「……」
『上司の判断も正しかった。私だって、事故が起きたら大変だと思ってた』
「じゃあ……」
『でも、そのあと現場の人から言われたんだ』
先輩の声が、少しだけ低くなった。
『「じゃあ、俺たちは何を待てばいいんですか」って』
柚木は黙っていた。
『あの言葉が、ずっと残ってる』
「……」
『協会は、悪い組織じゃないよ』
先輩は静かに言った。
『真面目に仕事してる人も多いし、私もそういう人たちは好きだった』
「はい」
『ただ、大きな組織になると、失敗しないことが目的になってくる』
「失敗しないこと……」
『うん』
先輩は少し笑った。
『誰かを守るためのルールだったはずなのに、いつの間にか、ルールを守ること自体が目的になるんだよね』
柚木は、その言葉を黙って聞いていた。
『だからって、柚木ちゃんが今すぐ辞める必要はないよ』
「……」
『私だって、辞めたあとに正解だったかどうかなんて、今でも分からないし』
「そうなんですね」
『うん』
少し間を置いて、先輩が続ける。
『ただ、自分が何に引っかかってるのかくらいは、ちゃんと考えた方がいいと思う』
「……分かりました」
『無理しないでね』
「はい」
電話が切れた。
柚木は、しばらくスマートフォンを見つめていた。
◇
翌日。
仕事の合間に、柚木はダイブTubeを開いた。
何気なく、創たちの最新動画を探す。
見つけた動画には、ゴーレムを使った作業の様子が映っていた。
派手な場面はない。
地道な調整。
失敗。
やり直し。
そして、少しずつ改善していく姿。
事故についても、隠さずに説明している。
都合の悪いことも話している。
「……」
柚木は、画面を見つめた。
創は、何か特別なことを言っているわけではない。
ただ、自分たちがやったことを、そのまま話している。
それだけだった。
けれど――。
「……なんでだろう」
柚木には、その姿が妙に気になった。
協会では、失敗を避ける。
創たちは、失敗を認めた上で、次へ進もうとしている。
どちらが正しいのか。
まだ分からない。
ただ。
「……もう少し、見てみたい」
柚木は、そう呟いた。
それが何を意味するのか、自分でもまだ分からなかった。
協会を辞めたいわけではない。
創たちに協力すると決めたわけでもない。
ただ――。
自分が今まで当たり前だと思っていたものを、一度、外側から見てみたくなった。
◇
その日の業務を終え、柚木は窓口を片付けた。
書類を整理し、端末を閉じる。
最後に、今日処理した申請書へ目をやった。
「……」
そして、小さく息を吐く。
「もう少しだけ、考えよう」
それだけ呟いて、柚木は席を立った。
静かな協会の廊下に、足音だけが響いていた。
第60話、お読みいただきありがとうございます。
組織の中で抱える葛藤を、丁寧に描いた回でした。
「もう少しだけ、考えよう」というその一言に、静かな決意の芽生えを感じていただけたら嬉しいです。
次話、その答えが出ます。




