第59話 協会受付嬢、登場
その日、創は事務手続きのため、久しぶりに探索者協会の窓口を訪れていた。
貸与事業の届出内容に変更があり、その手続きをするためだ。
「――お待たせいたしました」
窓口に座っていたのは、見覚えのある女性職員だった。
これまでにも書類のやり取りで、何度か顔を合わせている。
「あ、白瀬さん。今日はどういったご用件でしょうか?」
「貸与事業の届出内容に、変更があって」
「かしこまりました。書類を確認しますね」
女性職員は、受け取った書類に目を通していく。
動作に無駄がない。
名札には――『柚木』と書かれていた。
「はい。こちらですね。少々お待ちください」
柚木は端末を操作し、必要な項目を確認していく。
「……はい。変更内容については問題ありません。こちらに署名をお願いします」
「分かりました」
創が手続きを済ませると、柚木は書類をまとめて差し出した。
「これで完了です」
「ありがとうございます」
書類を受け取ろうとした、そのときだった。
「――あの」
柚木が、少しだけ声を落とした。
「白瀬さん」
「はい?」
「……ダイブTube、拝見しています」
創は一瞬、目を瞬いた。
「――協会の方も見てるんですね」
「私は個人的に、ですけど」
柚木は少し照れたように笑った。
「最近、結構話題になっていますから」
「そうなんですか?」
「はい。特に、あの事故の動画」
その言葉に、創の表情がわずかに引き締まった。
「ああ……」
「すみません。嫌なことを思い出させましたか?」
「いえ、大丈夫です」
創は首を振った。
「もう終わったことですから」
「……そうですか」
柚木は少し迷うようにしてから続けた。
「正直、少し意外でした」
「何がです?」
「事故のことを、あそこまで話されていたことです」
「隠しても仕方ないと思ったので」
「……やっぱり」
柚木が小さく笑った。
「動画で見た印象と、あまり変わらないですね」
「そうですか?」
「はい」
柚木はそこで言葉を切った。
何か言おうとして、やめる。
そんな様子だった。
「……失礼ですが」
やがて、柚木が口を開いた。
「少しだけ、お時間よろしいですか?」
「はい。大丈夫ですけど」
「ありがとうございます」
柚木は窓口の奥にいる同僚へ軽く声をかけると、窓口の端へと創を促した。
人の少ない場所まで移動すると、柚木は少し声を落とした。
「実は……以前の認可申請の件」
「はい」
「私も、あの会議に同席していたんです」
創は、少し驚いた。
「――そうだったんですか」
「はい」
柚木は頷いた。
「あのとき、白瀬さんが提出した資料も見ています」
「……なるほど」
「実績もありましたし、安全面についても、かなり調べられていましたよね」
「はい」
「だから……」
柚木は少し言葉を選んだ。
「『前例がない』という理由だけで、あれが却下されたときは、正直、少し引っかかりました」
創は黙って柚木を見る。
「もちろん、安全を確認するのは協会の仕事です」
柚木はすぐに付け加えた。
「私も、それが必要なのは分かっています」
「……」
「でも」
柚木は、視線を落とした。
「前例がないから慎重になるのと、前例がないから止めてしまうのは……少し違うんじゃないかって」
創は、その言葉を聞いていた。
「協会の中にいると、難しいんです」
柚木は苦笑する。
「何か問題が起きれば、誰が責任を取るのかって話になりますから」
「……そうですよね」
「だから、慎重になること自体は悪いことじゃないんです」
そこで、柚木は一度言葉を止めた。
「ただ……最近、少しだけ考えるようになって」
「何をですか?」
「私たちは、本当に探索者のために仕事をしているのかなって」
創は答えなかった。
柚木自身も、それ以上は話さなかった。
しばらくして、彼女が小さく息を吐く。
「……すみません」
「はい?」
「お客様にする話じゃないですよね。こんなこと」
「いえ」
創は首を振った。
「聞かせてもらえて、ありがたいです」
「……ありがたい?」
「はい」
創は、少し考えてから言葉を続けた。
「協会にも、ちゃんと考えてくれている人がいるんだなって分かったので」
柚木は、少し驚いたように創を見る。
「……そう言ってもらえると、少し安心します」
「俺としては、協会そのものを敵だとは思ってないですから」
「……」
「立場が違えば、考え方が違うのも当然だと思います」
柚木は、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「白瀬さんって、本当にそういう人なんですね」
「どういう?」
「もっと、怒っているのかと思っていました」
「俺がですか?」
「はい」
柚木は頷いた。
「認可を却下されたんですから」
「まあ……正直、最初は腹が立ちましたけど」
創は苦笑した。
「今は、ゴーレムのことで手いっぱいです」
「ふふっ」
柚木が初めて、声を出して笑った。
「それも動画で見た印象と同じです」
「また動画ですか」
「はい」
「そんなに見てるんです?」
「……少しだけ」
柚木は、気まずそうに視線を逸らした。
そのとき、窓口の奥から声が飛んできた。
「柚木さん、次のお客様お願いします」
「――はい、今行きます」
柚木は慌てて居住まいを正した。
「すみません。お引き止めしてしまって」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
創が頭を下げる。
柚木は一瞬だけ迷うような表情を見せた。
「――あの」
「はい?」
「また、何か手続きで分からないことがあれば、聞いてください」
「ありがとうございます」
「……できる範囲で、ですけど」
最後の一言だけ、少し小さかった。
「はい。それで十分です」
創が笑うと、柚木も小さく笑い返した。
「それでは、失礼します」
「はい」
創は窓口を離れた。
◇
協会を出た創は、しばらく歩きながら、先ほどの会話を思い返していた。
「――ノア」
『はい、マスター』
「さっきの柚木さんの話、聞いてたか?」
『はい』
「協会の中にも、色々考えてる人がいるんだな」
『そのようですね』
少し間を置いて、ノアが続ける。
『……興味深い人物だと思います』
「やっぱり?」
『はい。少なくとも、単純に組織の判断へ従っている方ではないようです』
「なるほどな」
創は空を見上げた。
事故。
経営危機。
協会からの却下。
ここまで来る間に、何度も壁にぶつかってきた。
それでも最近は、少しずつ状況が変わっている。
梓のように、同じ場所で働く仲間が増えた。
そして今度は、協会の中にも、自分たちのことを見てくれている人がいる。
「……悪くないな」
『何がでしょう?』
「いや」
創は歩きながら笑った。
「少しずつ、前に進んでる気がしてさ」
『同感です、マスター』
その頃。
探索者協会の窓口では、柚木が次の申請者を迎えていた。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
いつも通りの笑顔。
いつも通りの声。
けれど、創と話したことで、胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけ大きくなっていた。
――本当に、これでいいのだろうか。
柚木は目の前の書類へ視線を落とした。
そして、何事もなかったように受付業務へ戻っていった。
第59話、お読みいただきありがとうございます。
協会の内部からも、創たちを見てくれている人がいる。そんな新しい繋がりが生まれた回でした。
「本当に、これでいいのだろうか」――その小さな疑問が、これからどう育っていくのか。
次話をどうぞお楽しみに。




