第49話 美咲の過去
美咲が加わってから、工房の空気は明らかに変わった。
それまで創とノアだけで管理していた収支や依頼状況が、次々と整理されていく。
「創さん、これ、先週分です」
「――もう、まとめたんですか?」
「はい。依頼件数、稼働率、整備費。それぞれ分けてあります」
美咲が作業台の上に資料を並べた。
「値下げ前と比較すると、依頼件数そのものは増えています。ただ、利益率が落ちすぎています」
「――やっぱり、そこですよね」
「ええ。技術そのものに問題があるわけではありません。問題は、売り方と料金設定です」
創は苦笑した。
「耳が痛いな……」
「それくらいで丁度いいんです」
美咲は淡々と答えた。
「経営で一番怖いのは、間違っていることより、間違いに気づけないことですから」
創は、改めて美咲の手際を眺めた。
「――美咲さんって、前は大手商社にいたんですよね」
「はい。法人営業を五年、その後、マーケティング部門に二年です」
「営業からマーケティングまで……結構、長かったんですね」
「ええ」
美咲は資料を揃えながら、少しだけ遠くを見るような目をした。
「でも、辞めました」
「――何かあったんですか?」
美咲の手が止まった。
「……ありました」
短い沈黙。
「前の会社では、ある新規事業の立ち上げに関わっていたんです」
「新規事業?」
「小規模な事業者向けのサービスでした。現場からは評判が良かった。でも、会社としては、思ったほど数字が伸びなかった」
美咲は、淡々と話し始めた。
「そこで、上から言われたんです。『この事業は利益率が低い。優先順位を下げろ』と」
「――現場では評判が良かったのに?」
「はい」
美咲は小さく頷いた。
「私は、利用者の声を集めて、改善案を出しました。でも、決定をするのは私ではありません」
創は黙って聞いていた。
「結局、その事業は縮小されました。数字だけを見れば、仕方のない判断だったと思います」
「……それでも、納得できなかった?」
「少し違います」
美咲は、静かに首を振った。
「納得できなかったのは、事業が終わったことじゃありません」
「――じゃあ?」
「自分で何も決められなかったことです」
その言葉だけは、今までより少し強かった。
「現場の人間が何を求めているのか。何を変えれば良くなるのか。分かっていても、私には決定権がなかった」
美咲は、一度、息を吐いた。
「そのときに思ったんです。だったら、自分で決められる場所に行こうって」
「――それで、独立したんですか」
「はい」
美咲は苦笑した。
「ただ、独立すれば自由になれると思っていたのは、甘かったです」
「――そうなんですか?」
「営業も経理も資料作成も、全部自分です。仕事を取れなければ収入はゼロ。会社員だった頃には見えなかったことが、山ほどありました」
創は、思わず笑った。
「……俺も、似たようなものです」
「でしょうね」
美咲も、少し笑った。
「だから、創さんを見たとき、少し気になったんです」
「俺を?」
「はい」
美咲は、工房の奥に並んだゴーレムへ目を向けた。
「技術だけなら、他にも優秀な人はいると思います。でも、創さんは、自分が作ったものを実際に人に使わせて、その結果を見て、失敗したら改良している」
「――それが、そんなに珍しいですか?」
「珍しいですよ」
美咲は即答した。
「普通は、失敗すると隠したくなります。特に、今みたいに経営が苦しいと」
創は、少し気まずそうに視線を逸らした。
「……それは、まあ」
「でも創さんは、事故の件でも逃げなかった」
「逃げるわけにはいきませんから」
「そこです」
美咲は創を見た。
「私は、そこを見て、この人なら賭けてもいいと思いました」
創は、言葉を失った。
「値下げの判断は、経営者としては失敗です」
「――はい」
「でも、失敗したあとに、それを認められる人は意外と少ないんです」
美咲は、資料を閉じた。
「創さんには、技術があります。それだけじゃない。自分の判断で失敗して、自分で責任を取ろうとしている」
「……買いかぶりですよ」
「かもしれません」
美咲は、少しだけ笑った。
「でも、私が独立した理由も、結局はそこなんです」
「――自分で決めたかった」
「はい」
美咲は、はっきりと頷いた。
「だから、今度は自分が選んだ場所で、最後までやってみたいんです」
工房に、短い沈黙が落ちた。
やがて創が口を開く。
「――俺も、似たような理由で会社を辞めました」
「そうなんですか?」
「ええ。会社員だった頃は、何かを変えたいと思っても、自分一人じゃ何も変えられないことが多かった」
創は、苦笑した。
「だから、辞めました。……まあ、辞めた後に待っていたのが、こんな生活だとは思ってませんでしたけど」
「私もです」
二人は顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
「――でも」
創が工房を見回す。
「今は、変えられるんですよね」
「はい」
美咲もゴーレムへ目を向けた。
「だから、変えましょう」
その言葉に、創は力強く頷いた。
「――お願いします、美咲さん」
「こちらこそ」
美咲は資料を手に取り直した。
「では、明日から本格的に立て直します」
「――はい」
「まず、料金体系を再構築します。それから、事故対応。今後の営業方針。そして――」
「……結構ありますね」
「当然です」
美咲は、いつもの調子で答えた。
「今まで何も考えずに走ってきたんですから、立て直すのにも、それなりに時間がかかります」
「……お手柔らかに」
「無理です」
即答だった。
創は苦笑する。
「ですよね」
工房の外では、夕暮れの街に明かりが灯り始めていた。
経営危機は、まだ何一つ解決していない。
それでも創は、この日初めて、美咲がなぜここにいるのかを理解した。
この人もまた、自分の意思で道を選び直した人間なのだ。
そして今、二人は同じ場所に立っている。
倒れかけた小さな事業を、もう一度、自分たちの手で立て直すために。
第49話、お読みいただきありがとうございます。
なぜ彼女が、この小さな事業に賭けてくれたのか。その理由が見えてきた回でした。
「自分の意思で道を選び直した人間」同士が、同じ場所に立つ――そんな感慨を感じていただけたら嬉しいです。
次話では、いよいよ協会への正式な申請が動き出します。




