第46話 大赤字
「――マスター。今月の最終収支が確定しました」
朝、工房に入った創を、ノアの声が迎えた。
いつもの落ち着いた声だった。
だが、その声音には、わずかな重さがあった。
「――どうだった?」
『赤字です』
創の足が止まった。
「……赤字?」
『はい』
ノアは淡々と答えた。
『今月の売上自体は、過去最高を記録しています』
「――じゃあ、なんで」
『値下げによる一件あたりの利益減少に加え、稼働率の上昇によって整備費、部品交換費、魔石などの消耗品費が増加しました』
創は、黙ってノアの提示した数字を見る。
依頼件数は、確かに増えている。
売上も増えている。
それなのに――最終的な利益は、マイナスだった。
「……忙しくなったのに、金が減ってる」
『はい』
その一言が、妙に重く響いた。
「――どのくらいだ」
ノアが具体的な数字を示す。
創は、しばらく画面を見つめた。
予想していたよりも、遥かに大きい。
「……こんなに」
『現状の料金体系を維持した場合、今後も同程度の赤字が続く可能性があります』
創は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「――どこで、間違えたんだ」
『主な原因は、料金の引き下げ幅を大きく設定しすぎたことです』
「……やっぱり、そこか」
『加えて、依頼件数の増加を前提に事業を拡大した一方で、増加する維持コストを十分に織り込めていませんでした』
創は、額を押さえた。
44話の夜。
自分は、これで客が増えると思った。
安くすれば、もっと多くの人に使ってもらえる。
利用者が増えれば、評判も広がる。
そう考えていた。
確かに、利用者は増えた。
だが――。
「――数を増やせば、それでいいと思ってた」
『はい』
「……間違ってたな」
『結果だけを見れば、そうなります』
ノアの言葉は、厳しかった。
だが、責めるような響きはなかった。
「前に、お前は止めてくれたよな」
『はい』
「それなのに、俺が押し切った」
『最終的な判断をされたのは、マスターです』
「――分かってる」
創は、深く息を吐いた。
「俺の判断ミスだ」
しばらく、工房にはゴーレムの駆動音だけが響いていた。
「――どうすればいい」
『まず、料金体系の見直しが必要です』
「値上げ、か……」
『それだけではありません』
ノアが続ける。
『稼働率が上がったことで、これまで見えていなかった問題も発生しています』
「――何だ?」
『整備に必要な時間が不足しています。このまま依頼件数だけが増えれば、ゴーレムの状態を維持すること自体が難しくなります』
創は、工房を見渡した。
壁際には、整備を待つゴーレムが並んでいる。
以前なら、一体ずつ時間をかけて確認できた。
今は、次の依頼に間に合わせるため、最低限の整備で送り出している機体もある。
「……金だけじゃない」
『はい』
「人手も、時間も足りなくなってる」
『その通りです』
創は、言葉を失った。
自分が欲しかったのは、依頼が増えることだった。
それが実現した。
なのに今、その成功そのものが、自分たちを追い詰めている。
「――これ、放っておいたらどうなる」
『現状のままでは、資金が尽きます』
「いつまで持つ」
ノアが試算を表示する。
創は、その数字を見て、息を呑んだ。
「……そんなに早いのか」
『はい』
創は、しばらく画面から目を離せなかった。
事業を始めてから、初めてだった。
「続けられない」という可能性を、数字として突きつけられたのは。
その日の夕方。
ギルドで凛と顔を合わせた創は、いつものように声をかけられた。
「――よお。……って、どうした、その顔」
「――そんなに酷いですか?」
「酷い。寝てないだろ」
「寝てますよ」
「じゃあ、何かあったな」
創は、少し迷った。
だが、隠していても仕方がない。
「――赤字が出ました」
凛の表情が変わった。
「……どのくらいだ?」
創は、数字を伝えた。
凛は、しばらく黙っていた。
「――思ってたより、深刻だな」
「はい」
「値下げのせいか?」
「それが大きいです」
創は、ここまでの経緯を説明した。
値下げ。
依頼の増加。
整備費の増加。
そして、利益の減少。
凛は腕を組み、話を聞き終えると、小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
「――俺、経営者として失格かもしれません」
「いきなり何を言ってる」
「だって、自分で決めたことで、こんなことになった」
「失敗したから失格?」
凛は、呆れたように創を見る。
「じゃあ、失敗したことのない経営者なんているのか?」
「……」
「問題は、失敗したことじゃないだろ」
凛は、創の肩を軽く叩いた。
「気づいた後、どうするかだ」
創は、黙って凛を見る。
「それに、あんた一人で全部やろうとしすぎだ」
「……ノアには相談してます」
「技術のことはな」
凛は、即座に返した。
「でも、経営のことまでノアに任せていいのか?」
創は、言葉に詰まった。
ノアは膨大なデータを処理できる。
収支計算もできる。
未来の損益を予測することもできる。
だが――。
「……経営そのものは、俺が決めないといけない」
「そういうことだ」
凛は頷いた。
「なら、ちゃんと考えろ」
「――はい」
「それでも無理なら、人を頼れ」
その言葉に、創は少しだけ目を伏せた。
人を頼る。
これまでの自分には、あまり得意ではなかった。
「……分かりました」
凛は、それ以上何も言わなかった。
ただ、別れ際に一言だけ残した。
「――まだ終わってないからな」
創は、その背中を見送った。
工房へ戻る道すがら、創は何度も今日の数字を思い返した。
売上は過去最高。
依頼件数も過去最高。
それなのに、会社には金が残らない。
自分が「成功」だと思っていたものの中に、失敗が隠れていた。
「――ノア」
『はい、マスター』
「立て直すぞ」
『はい』
「今度は、ちゃんと数字を見る」
創は、足を止めた。
「安くすれば客が増える――そんな単純な話じゃなかった」
『その認識は、重要だと思います』
「それと……」
創は、工房の中を見渡した。
並んだゴーレム。
整備を待つ機体。
次々と入ってくる依頼。
「――このままじゃ、ゴーレムまで壊れる」
『はい。そこも含めて、対策が必要です』
創は、拳を握った。
失敗した。
それは、もう認めるしかない。
ならば――ここからだ。
「――一人で抱え込むのは、やめる」
『承知しました』
夜の工房に、ゴーレムの駆動音が静かに響いていた。
事業は、かつてないほど危うい場所まで来ている。
そして創は、まだ知らなかった。
この経営危機の直後に――
会社そのものを揺るがす、さらに大きな事件が待っていることを。
第46話、お読みいただきありがとうございます。
これまでで最も苦しい現実と向き合う回でした。
それでも、「一人で抱え込むのは、やめる」という決意が、この先の展開の大きな転機になっていきます。
次話では、さらに大きな試練が待っています。




