第11話 最初の実験
「――本当に、指先だけでいいんだな?」
「はい。まずは、そこからです」
数日後の夜。
創は再び、あの旧坑道の奥にいた。
周囲には誰もいない。魔導ランプの淡い光だけが、岩壁と創の姿をぼんやりと照らしている。
あのやり取りから数日。
ノアは、あれから一度も「生体ゴーレム化」の話を持ち出さなかった。
だが、何もしていなかったわけではない。
『マスターの意志が変わらないのであれば、私にできることは、少しでも危険を減らすことだけです』
そう言って、この数日間、ノアはひたすら検証を続けていた。
過去のゴーレム化に関する資料。
魔力の流れ。
魂を持つ存在に対する術式の反応。
そして、ノア自身が持つ演算能力を使ったシミュレーション。
その結果、ようやく一つの方法に辿り着いた。
全身ではない。
まずは――指一本。
「分かった。指示に従う」
創は右手を持ち上げ、人差し指だけを軽く突き出した。
『念のため、もう一度確認します』
ノアの声が、いつになく慎重だった。
『今回行うのは、通常のゴーレム化とは異なる術式です。対象はマスター自身。身体の一部にだけ、ゴーレムとしての性質を一時的に付与します』
「分かってる」
『成功する保証はありません』
「それも分かってる」
『失敗した場合、単なる魔力枯渇では済まない可能性があります』
創は、しばらく黙った。
その危険性については、何度も説明されている。
魂を持つ生物をゴーレム化する。
それは、今まで誰も成功させたことのない禁じ手だ。
失敗した場合、何が起きるのかさえ分からない。
それでも――。
「やる」
短い言葉だった。
『……承知しました』
ノアが小さく息を吐いたように聞こえた。
『では、始めます』
創は目を閉じた。
「……来い」
意識を右手の人差し指に集中する。
『魔力を、ゆっくり流してください』
創は言われた通り、魔力を少しずつ送り込んだ。
いつものゴーレム化とは、明らかに違う。
土や金属に魔力を流したときは、自分の外側に魔力が広がっていく感覚だった。
だが今回は違う。
流した魔力が、そのまま自分自身の身体へ入り込んでいく。
まるで血管の中を逆向きに何かが流れているような、不思議な感覚だった。
「……っ」
『そのままです。急がないでください』
指先が、じわりと熱を持つ。
皮膚の表面が、わずかに硬くなっていく。
「……変わってきた」
『確認しました』
ノアの声にも、緊張が滲んでいた。
『魔力の流れは安定しています。そのまま――』
その瞬間だった。
指先の感覚が、ふっと途切れた。
「……え?」
硬質化していたはずの皮膚が、わずかに揺らぐ。
魔力の流れが乱れた。
『――停止してください』
「え?」
『魔力の流れが崩れています。今、補正します』
ノアの声が鋭くなる。
『そのまま動かないでください』
次の瞬間。
指先に流れていた魔力が、別の方向へ引っ張られるような感覚があった。
「――っ!」
身体の内側を何かが走り抜ける。
その直後、指先に再び芯が戻った。
硬質化していた皮膚が、今度はゆっくりと形を整えていく。
『……安定しました』
「これ……」
創は恐る恐る目を開いた。
右手の人差し指。
見た目はほとんど変わらない。
だが、明らかに違う。
指先だけが、金属のような硬質感を帯びていた。
創は近くの岩壁へ、そっと指先を当てる。
ゴッ。
鈍い音が響いた。
「……!」
岩壁に、浅い穴が開いた。
「痛くない……」
『はい。現在、指先の組織が通常の生体組織とは異なる状態になっています』
「つまり……成功したのか?」
『正確には――』
ノアが言葉を選ぶように、一瞬黙った。
『ゴーレム化の性質を、身体の一部に付与することには成功しました』
創は、指先を見つめた。
「……本当に、できた」
理論ではない。
可能性でもない。
今、自分の身体に起きている。
「自分の身体を……ゴーレムにできる」
その事実に、創は思わず笑いそうになった。
だが――。
「――っ!」
突然、指先から激痛が走った。
「ぐっ……!」
痛みは一瞬で腕全体へ広がった。
「な、んだ……これ……!」
焼けるような熱。
そして同時に、身体の奥から何かを根こそぎ吸い出されているような感覚。
『マスター!』
ノアの声が響く。
『魔力消費が急激に増加しています! 今すぐ中断します!』
「待て……!」
『駄目です!』
「まだ……!」
『これ以上は危険です!』
ノアの声が、これまでにないほど強かった。
直後。
指先に集中していた魔力が、一気に途切れた。
硬質化した感覚も消えていく。
「――っ、はぁ……!」
創は、その場に片膝をついた。
肩で息をする。
額には大量の汗が浮かんでいた。
「……はぁ……はぁ……」
全力疾走した直後のような疲労感。
いや、それ以上だった。
身体の中身を、丸ごと削り取られたような感覚だった。
『マスター。意識はありますか?』
「……ああ」
『めまいは?』
「少し。でも、大丈夫だ」
『手の感覚は?』
創は右手を握ったり開いたりしてみる。
「……ある。問題ない」
『よかった……』
ノアの声から、ようやく緊張が抜けた。
創は右手を見つめる。
さっきまで硬質化していた指先は、もう元に戻っている。
「……これが、指一本分の負荷か」
『はい』
「全身だったら?」
『比較になりません』
ノアの返答は即答だった。
『単純に範囲を広げれば済む問題ではありません。全身を対象にした場合、必要となる魔力量は桁違いになります』
「……だよな」
創は苦笑した。
成功した。
確かに成功した。
だが同時に、それがどれほど危険なものなのかも、身をもって理解した。
「……ノア」
『はい』
「それでも、可能性はあるんだな」
少しの沈黙。
『……はい』
その答えだけで十分だった。
創はゆっくりと立ち上がった。
右手を握る。
指一本だけ。
ほんのわずかな時間。
それでも――。
「だったら、やる価値はある」
『マスター……』
「今日はもうやらない」
ノアが黙る。
「約束する」
『……分かりました』
少しだけ安心したような声だった。
「ただ、次はもう少し広い範囲で試したい」
『……』
「今度は、もっと安全な方法を考えてからだ」
しばらく沈黙したあと、ノアが答えた。
『承知しました』
そして、少しだけ間を置いて。
『ですが、私は依然として反対です』
創は思わず苦笑した。
「分かってるよ」
暗い旧坑道の中。
創は、もう一度自分の右手を見つめた。
まだ何も変わっていない。
強くなったわけでもない。
戦えるようになったわけでもない。
それでも――。
これまで「不可能」だったものが、今は「方法さえ見つければ可能かもしれない」に変わった。
その差は、大きかった。
「……帰ろう、ノア」
『はい、マスター』
創は、ゆっくりと歩き出した。
その背中には、わずかな疲労と、それ以上の確かな希望が宿っていた。
まだ先は長い。
けれど、創は初めて、自分自身の可能性に手を触れたのだった。
第11話、お読みいただきありがとうございます。
理論だけだったものが、初めて、現実のものになった回でした。
指先一つの、小さな一歩。それでも、確かな痛みと、確かな希望が伴う一歩でした。
次話では、この実験がさらに続いていきます。どうぞお楽しみに。




