第2話 あなたの家の前にいるの
翌日。
スマホを確認したら、非通知の着信履歴が三件と、見知らぬ番号からのSMSが一通残っていた。
『ごめんなさい。今日はもう帰ります。また来るから。——メリーさん』
昨夜のことは、夢ではなかったらしい。
学校は夏休みに入っている。部活もない日だったので、ユキは一日中家でだらだらしていた。
リビングでアイスを食べ、録画していたドラマを二本消化し、夕飯の手伝いを適当にやり、風呂に入り、自室に戻った。
時刻は午後九時。
ユキはベッドに座って漫画を読んでいた。三角関数のプリントは、昨日から一ミリも動いていない。
そのとき、スマホが震えた。
非通知。
「…………」
ユキは漫画を閉じた。一瞬だけ迷ってから、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「わたし、メリーさん」
「……またか」
「今日はね、ちゃんと下調べしてきたの」
「へえ」
「あなたの家、調べたわ」
「わたし、メリーさん。今ね——あなたの家の前にいるの」
ぞくり、と背筋が冷たくなった。
慌ててユキは窓際に行き、カーテンを開ける。
街灯に照らされた住宅街の道。人影はない。猫が一匹、塀の上で丸くなっているだけだ。
「……いないんだけど」
「え?」
「カーテン開けてみたけど、誰もいないよ」
「おかしいわね……。わたし、今、家の前に立ってるのよ?」
「立ってない。見てるけど、誰もいないよ」
ユキは少し考えて、聞いてみた。
「ねえ、その家ってどんな家?」
「えっと……二階建てで、屋根が赤くて」
「うちの屋根、青だけど」
沈黙。
「……青?」
「青。紺色っぽい青」
「…………」
「あんた、誰の家の前にいるの?」
メリーさんの声が、急にしぼんだ。
「……ちょっと待ってね」
電話の向こうで、がさがさと動く音がした。何かを確認するように、少し離れたところで「えっと」という呟きが聞こえる。
数秒後、メリーさんが戻ってきた。
「ねえ、ユキちゃん」
「なに」
「表札に『田中』って書いてあるんだけど」
「うち桜庭だよ」
「…………」
「それ、誰の家?」
「わからない……。わたし、ユキちゃんの家だと思って来たのに……」
ユキはこめかみを押さえた。
「ていうか、今どこにいるの。住所わかる?」
「住所……えっと、電柱に何か書いてある……『美住町三丁目』……」
「それ隣町じゃん」
「え」
「うち、桜が丘だよ。美住町は隣の市だから」
「…………えっ」
「隣って言っても、歩いたら四十分くらいかかるよ?どうやってそこまで行ったの」
「電車で来たの。最寄り駅で降りて……」
「どこの駅で降りたの」
「えっと……なんとか台……桜台?」
「桜が丘駅だよ!桜台は二つ先!」
「『桜』って付いてたから……」
「桜しか一緒じゃないでしょ!」
ユキは深いため息をつき、窓の外を見る。
当然、メリーさんの姿はない。隣の市にいるのだから当たり前だ。
「……で、どうするの」
「えっと……電車で戻るわ」
「もう終電近いけど大丈夫?」
「大丈夫。さっき時刻表見たら、あと一本あるから」
「……じゃあそれで桜が丘駅まで戻ってきなよ。桜台じゃないからね。桜『が丘』だから」
言ってから、ユキは自分が案内していることに気づいた。
なんで道案内をしているんだ。来てほしくないのに。
「ありがとう、ユキちゃん。じゃあ、すぐ行くね」
通話が切れた。
ユキは漫画に戻った。続きを読もうとしたが、内容が頭に入ってこない。
——二十分後。
スマホが震えた。
「わたし、メリーさん」
「乗れた?」
「乗れたわ。ちゃんと電車に乗ったわ」
「よかったじゃん」
「……でもね、ちょっと気になることがあるの」
「なに」
「この電車……駅をどんどん通過してるみたい」
「それ急行じゃん!」
「きゅうこう?」
「急行!途中の駅止まらないやつ!桜が丘は各駅しか止まらないよ!」
「えっ……じゃあどうすればいいの?」
「次に止まった駅で降りて、反対方向の各停に乗り換えて」
「反対方向……」
「それで『桜が丘方面』って書いてあるホームに——」
「ユキちゃん」
メリーさんがしょんぼりとした声で言った。
「わたし、今日はもう帰るわ」
「……わかった」
「ごめんなさいね。また来るから」
「別に謝んなくていいけど……」
「じゃあ、おやすみなさい。ユキちゃん。次こそ、お家に行くね」
「……おやすみ」
通話が切れた。
漫画の続きを開く。三ページ読んで、一つも内容が入ってこなかった。
諦めて、布団にもぐりこんで目を閉じた。
——数分後、SMSが届いた。
『終点まで乗りました。でもここどこかわかりません。松屋があったので松屋にいます。——メリーさん』
怪異が、松屋にいる。なんともシュールな光景が思い浮かんだ。
返信する気はなかったのだが、指が勝手に動いていた。
『松屋の牛めしは並がいちばんおいしいよ』
『ほんと?頼んでみる!』
ユキはスマホを伏せて、布団をかぶった。なんで怪異に牛めしの感想を伝えているんだ。
明日はもう電話に出ない。たぶん。




