EP 6
独眼竜とレンジャー(後・喫煙所の流儀)
壁を蹴り、頭上から襲い来る信長の質量と重力を乗せた掌底。
江戸の剣術には存在しない三次元の奇襲に、十兵衛の隻眼が見開かれる。
だが、天才の反応速度は信長の予測を半歩上回っていた。
「……シィッ!」
十兵衛は咄嗟に身を沈め、斬り上げた刀の『鍔』で信長の掌底を受け止めた。
ガァァンッ!! という甲高い金属音が路地裏に反響し、十兵衛の足元の石畳がひび割れる。
信長はそのまま着地するや否や、休むことなく次の一手を放つ。自衛隊徒手格闘の真骨頂、極めて実戦的な足払いからのマウント取りだ。
泥臭く、しかし致命的な関節技の連撃。
十兵衛もまた、華麗な剣術の型を捨てて泥まみれの近接格闘に応じる。柄による打撃、体当たり、鞘の応酬。
「ははっ! お前の動き、まるで戦場の泥の匂いがするぞ!」
「おどりゃあ……天才のくせに、野良犬みたいな喧嘩しやがって!」
互いの息遣いが荒くなり、アドレナリンが沸騰する。
そして、激しいもつれ合いの末——二人の動きが、文字通りピタリと静止した。
十兵衛の真剣の刃先が、信長の頸動脈に触れる寸前で止まっている。
同時に、信長が抜刀しかけた『夕日丸』の鯉口から覗く赤い刃が、十兵衛の腹部を捉え、空いた右手の人差し指と中指が十兵衛の残された左眼の直前で止まっていた。
「……ここまで、か」
十兵衛が、刃を止めたままニヤリと笑った。
「俺の目が潰れるのが先か、腹が裂けるのが先か。それとも、お前の首が飛ぶのが先か」
「……お前、狂っとるのう」
信長はフッと息を吐き出し、広島弁の凄みを解いて標準語に戻した。
カチャリ、と夕日丸を鞘に納め、十兵衛の眼球に向けられていた指を下ろす。
十兵衛もまた、満足げな笑みを浮かべて刀を鞘に収めた。
「相打ちってことでいいだろ。……あー、クソッ、腹減って力が出ねぇ。親父(真一)の組手よりマシだが、冷や汗かいたぜ」
「ははは! あの親父殿(宗矩)を激怒させた男が、空腹で死にかかっているとは傑作だ」
ドカッと路地裏の壁に背中を預けて座り込んだ信長を見て、十兵衛も肩の力を抜いた。
その「強者としての余裕」と「得体の知れない強さ」に、十兵衛はすっかり魅了されていた。
信長は迷彩服のポケットを探り、少しひしゃげたソフトパックを取り出す。
「……やるな、独眼竜。一本、吸うか?」
差し出されたのは、白い紙の筒。
「……異国の煙草か?」
十兵衛は興味深そうにそれを受け取り、口にくわえた。
「俺の国の『酒場(喫煙所)の流儀』だ。まぁ、付き合えや」
信長は自分の口にもメビウスをくわえ、右手の金色のオイルライターを「カチッ」と鳴らした。
指先から生まれた小さな炎に、十兵衛は再び目を丸くする。
「妖術……いや、からくりか。随分と便利な火打ち石だな」
「そういうこった。ほら、火を貸してやる」
十兵衛のくわえた煙草に火を移す。
深く吸い込んだ十兵衛は、「ゴホッ! ゲホッ!」と派手にむせた。当時の刻みタバコとはニコチンのキック力がまるで違うのだ。
「ゲホッ……こ、これは……ガツンとくるな。だが、悪くない」
「だろ? 仲間が落ち込んだり、一仕事終えた時は、タバコを一本差し出す。それが俺の親父の教えだ。……まぁ、俺はその親父から逃げ回ってる半人前だがな」
紫煙を吐き出しながら自嘲気味に笑う信長を見て、十兵衛も煙を吐き出した。
「奇遇だな。俺も親父殿の『政治の道具』にされるのが嫌で、遊び歩いている身だ。……坂上信長と言ったか。貴殿、痛快な男よ」
「アンタもな、十兵衛」
時代を超えた「最強のレンジャー」と「天才剣士」。
薄暗い路地裏で紫煙を燻らせる二人の間に、身分も時代も関係ない、確かな『悪友』としての絆が結ばれた瞬間だった。
「よし、煙草の礼だ信長。……その空きっ腹、俺が満たしてやろう。とっておきの居酒屋に案内する」
「マジか! 肉はあるか!? 肉!」
目を輝かせる信長を連れて、十兵衛は夜の江戸の町へと歩き出した。
その居酒屋で、さらなる「大物」との出会いが待ち受けているとも知らずに。




