EP 5
独眼竜とレンジャー(前編・接敵)
江戸の路地裏は薄暗く、湿った土とカビの匂いが淀んでいた。
腹を空かせた信長が、大通りを避けて細い路地を歩いていたその時。
ピタリ、と信長の足が止まった。
(……なんだ、このヒリつく空気は)
皮膚が粟立つような感覚。
かつて、過酷なレンジャー訓練の最中、暗闇に潜む仮想敵と対峙した時の極度の緊張感。いや、違う。これはもっと、根本的で圧倒的な暴力の気配だ。
(……親父(真一)がキレた時のプレッシャーに、少し似てやがる)
信長はゆっくりと視線を前に向ける。
薄暗い路地の先、行き止まりの壁を背にして、一人の男が立っていた。
ボサボサの髪に、着崩した着物。
そして、右目を覆う漆黒の眼帯。
「ほう。なるほど、確かに妙ななりをしているな」
男は、壁に寄りかかっていた背を離し、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
隻眼の奥にある瞳は、獲物を見つけた猛禽類のように鋭い。
「……誰だ、アンタ」
「俺は柳生十兵衛三厳。親父殿の差し金でな、お前を生け捕りか、最悪斬れと言われてきた」
柳生十兵衛。
日本史の成績が「2」だった信長でも、かろうじて聞き覚えのあるビッグネームだ。
「柳生……。なるほど、さっきの三下ども(お遊戯会)の親玉ってわけか」
「お遊戯会とは、随分と大きく出たな。だが……お前のその立ち姿、確かに無名の野良犬のそれではねぇ」
十兵衛が、腰の刀の鯉口をチャキッと切る。
その瞬間、路地裏の空気が凍りついた。
(速い……いや、それだけじゃない。間合いの取り方が異常だ)
信長の戦術眼が、目の前の男の危険度を「MAX」に引き上げる。
先ほどの門下生とは次元が違う。間違いなく、一撃で命を刈り取れる本物の剣客だ。
「その腰の赤い刀、飾りではないのだろう? 抜いてみろ、坂上信長」
十兵衛の挑発に対し、信長はフッと息を吐き出した。
そして、左手で「夕日丸」の鞘を握りしめ、右手を開いて前に出す。
剣術の構えではない。自衛隊徒手格闘(CQC)と北辰一刀流を融合させた、独自の近接戦闘の構えだ。
「……おどりゃあ、本気で死合う気か」
信長の纏う空気が、標準語から広島弁へと切り替わる。
「ええじゃろう。地獄の淵を覗かせてやるわ」
「——面白いッ!!」
ドンッ! と地面が爆ぜるような音と共に、十兵衛が瞬動した。
狭い路地裏を一足で詰め、上段からの神速の斬撃が信長の脳天に振り下ろされる。
空気を切り裂く風圧が、信長の頬を打つ。
(……見切れる!)
信長は抜刀しない。
振り下ろされる真剣の腹に、左手に持った「夕日丸」の鞘を正確に叩きつけ、軌道を強引に逸らす。
ガァァンッ!! と火花が散り、強烈な衝撃で互いの手が痺れる。
「ほう、鞘のまま柳生の太刀を受けるか!」
十兵衛が歓喜の声を上げる。
「驚くのはこれからじゃ!」
信長は弾かれた反動を利用し、路地裏の壁を蹴り上げた。
壁面を蹴って宙に舞う、タクティカルな三角跳び。十兵衛の死角、真上からの急襲だ。
体重と重力を乗せた渾身の掌底が、十兵衛の顔面を捉えようと迫る。
「……っ!」
江戸時代には存在しない、三次元的な立体機動。
天才・十兵衛の目が、驚愕に見開かれた。




