EP 7
罠に落ちたレンジャー(キルゾーン)
「……神子上典膳」
十兵衛の呟きが、広大な倉庫の中に虚しく響いた。
闇の奥から姿を現した男——小野派一刀流が誇る最強の人斬り、神子上典膳。彼が腰の刀に手をかけただけで、周囲の空気が重く、冷たく圧縮されたように錯覚する。
凄まじいまでの『殺意』。武芸者としての格が、先ほどの浪人どもとは次元が違った。
「柳生の若獅子が、泥棒の真似事とはな。……稲葉様のご推察通り、知恵伊豆の犬どもが嗅ぎ回りに来たというわけか」
神上が薄く笑った、次の瞬間。
バァァンッ!!
背後の巨大な木製扉が、外から重たい音を立てて閉ざされ、太い閂が落とされた。
それと同時に、倉庫内の二階部分——吹き抜けを囲むように設置された足場の上のあちこちで、一斉に松明の火が灯る。
「なっ……!」
十兵衛が周囲を見渡し、息を呑む。
赤々とした炎に照らし出されたのは、足場の上から信長たちを見下ろす、約三十人の鉄砲隊。しかも彼らが構えているのは、旧式の火縄銃ではない。先ほど木箱に詰められていたのと同じ、異国製の最新鋭マスケット銃だ。
さらに、一階の出入り口や物陰からは、小野派一刀流の道場着を纏った二十名以上の剣客たちが、抜き身の刀を提げてヌラリと姿を現した。
「完全な十字砲火の陣形。……なるほど、ハナから俺たちをおびき寄せるための『罠』だったってわけだ」
信長は、頭上の銃口と周囲の刃を冷静に見渡しながら、低く呟いた。
図面通りの配置、無防備に置かれていた証拠の品々。全ては、幕府の密偵を確実に葬り去るための「極上の餌」だったのだ。
「いかにも」
神上が、カチリと鍔を鳴らして刀を半ば引き抜いた。
「この倉庫にある連判状も武具も全て本物だ。だが、貴様らはそれを見ることはできても、持ち帰ることはできん。……ここで蜂の巣となり、名も無き水死体として江戸の海に浮かぶのだからな」
上には三十の銃口。下には二十の剛剣。そして目の前には、最強の刺客。
逃げ場の一切ない、完璧な『死地』である。
「……信長。これは流石の拙者も、骨が折れるどころの話ではないぞ」
十兵衛が刀を青眼に構え、油汗を滲ませながら横目で信長を見た。
「柳生新陰流・無刀取りとて、頭上から降り注ぐ三十発の銃弾を同時に躱すことは不可能だ。……お前が言う『現代の戦術』とやらで、この包囲を抜ける手立てはあるのか?」
十兵衛の問いに対し、信長は——ニヤリと、凶暴極まりない笑みを浮かべた。
「手立て? そんなもん、一つしかねぇよ」
信長は迷彩ズボンのポケットから火のついていないメビウスを取り出し、口にくわえた。
「敵が完璧な包囲網を敷いてるってことはな、裏を返せば『一箇所でも穴(突破口)を開けりゃ、陣形全体がパニックを起こして崩壊する』ってことだ」
「なに?」
「親父(真一)がよく言ってたぜ。『絶体絶命の包囲陣に落ちた時は、一番分厚い壁を真っ向からぶち抜け』ってな」
信長は口にくわえたタバコをペッと吐き捨てると、これまで一度も実戦で抜くことのなかった、腰の打刀『夕日丸』の柄に、スッと右手をかけた。
「……ほう? 南蛮の獣も、一応は刀を抜くか」
神上が侮蔑の笑みを浮かべる。
「だが、付け焼き刃の剣術など、我が小野派の一刀の前では枯れ枝も同然。その太刀ごと、貴様らの身体を真っ二つに……」
「御託はいい」
信長の纏う空気が、一変した。
これまで見せてきた「現代軍人のCQC」による合理的な立ち回りではない。
腰を深く落とし、夕日丸を鞘から静かに引き抜く。青白い刃が、松明の火を反射してギラリと輝いた。
「十兵衛。頭上のハエ(鉄砲隊)の牽制を頼む。……目の前の一刀流は、俺が『剣』で叩き斬る」
その構えを見た瞬間、十兵衛の隻眼が驚愕に見開かれた。
(なんだ、あの構えは……? 柳生でもない、小野派でもない。一切の無駄を削ぎ落とした、恐るべき『突き』に特化した型……!)
信長が構えたのは、江戸時代初期のこの世界にはまだ存在しない流派。
幕末の動乱期に生まれ、坂本龍馬や千葉周作ら名だたる剣豪たちが極めた、超合理的な実戦剣術。
「――北辰一刀流、坂上信長」
地獄を歩き続けた最強のレンジャーが、ついにその『真の牙』を抜いた。
「殺せェッ!!」
神上の怒声と共に、三十の銃口が火を吹き、二十の剛剣が一斉に信長たちへと襲いかかった。




