EP 6
闇に潜む一刀
丑三つ時。
江戸の湊から少し離れた入江は、湿った潮風と闇に包まれていた。
立ち並ぶ巨大な倉庫群は、まるで獲物を狙う獣の牙のように黒くシルエットを浮かび上がらせている。
「……周囲の警戒、重いな」
倉庫群を見下ろす高台の茂みで、信長は双眼鏡の代わりとなる『高性能な勘』を働かせ、戦場のレイアウトを頭の中に叩き込んでいた。
現代の軍隊であれば、サーマルビジョン(熱源感知)やドローンによる偵察が可能な距離だが、ここでは五感の全てを研ぎ澄ますしかない。
「火縄銃を持った足軽が五人一組で巡回している。死角は右手の資材置き場裏。あそこのタイムラグは約四分だ」
「信長、お前が見ているその『時間』の概念……やはり異次元だな」
十兵衛が隣で感心したように笑う。彼は足音を完全に消し、獣のような身のこなしで信長の隣に寄り添っていた。
「戦場(戦)は数字だ。時間を支配した方が勝つ。……行くぞ。まずは『ゴースト』で侵入する」
信長は無言で地面を這った。
彼が用いるのは、現代の特殊部隊が習得する『ロー・クロール(低姿勢潜行)』。
草一本揺らさず、土の匂いすら立てない、まさに闇に溶け込むような動きだ。十兵衛もまた、その「影を歩く術」を瞬時に理解し、信長の動きに完璧にシンクロした。
最初の検問所を通り過ぎ、倉庫の裏手へと到達する。
そこには、小野派一刀流の門下生と思われる浪人たちが、退屈そうに薪を燃やして暖を取っていた。
「おい、今日の荷揚げは楽じゃねぇぞ。稲葉様の懐を潤すためだ、気合入れろよ」
「分かってるって。……だが、稲葉様も強気だよな。柳生の一門が裏で動いてるって噂もあるのに、堂々と異国の武器を運ぶなんてよ」
浪人の一人が、自慢げに自身の刀を抜いて薪を叩き割った。
「見ろ、これが小野派の極意『切り落とし』だ。相手の太刀を上から圧し潰し、そのまま叩き斬る。柳生の新陰流みたいな、ヘラヘラした『無刀取り』なんざ、この一撃で真っ二つよ」
浪人の刀が薪を、重たい音と共に両断する。
重い。速い。そして何より、躊躇のない破壊的な力。
十兵衛が、隣で僅かに殺気を滲ませた。
「……あれが小野派か。確かに、今の拙者の刀と真正面から撃ち合えば、柳生の柔の剣は分が悪いかもしれぬな」
「技術に頼らず、純粋な質量と運動量で押し潰す戦術だ。真正面から撃ち合うのは悪手だな」
信長はナイフを抜き出し、静かに地面を蹴った。
「だが、戦場に『真正面』なんてルールはねぇ」
信長と十兵衛が、同時に影から飛び出した。
浪人たちが気配に気づき、刀を構えようとした時には、すでに信長は一人の懐に飛び込んでいた。
「なっ!?」
信長は刀を抜かず、鞘の尻で浪人のこめかみを強打。脳震盪を起こさせ、崩れ落ちた男の肩を支点にしてもう一人の背後に回り込む。
空中で半回転し、背後から首筋に手刀を打ち下ろした。
二人の浪人が悲鳴を上げる暇もなく泥に沈む。
十兵衛もまた、疾風のような速さで残る二人の死角へ回り込み、峰打ちで気絶させた。
「静かなものだ。……やはり、軍隊の潜入技術は脅威だな」
「これくらい、朝飯前だ。……問題は、倉庫の中だ」
信長は倒した浪人の死体(気絶体)を草陰に隠し、最も巨大な倉庫の扉の隙間から、内部を覗き込んだ。
そこには――光景に、二人とも言葉を失った。
異国の火縄銃ではない。
重厚な黒色火薬を用いた『最新鋭のマスケット銃』の木箱が、倉庫を埋め尽くすほど積み上げられていたのだ。
さらには、それらを運用するための砲弾、そして稲葉大隅守の印が押された大量の連判状。
「……抜け荷なんてレベルじゃねぇ。これは、幕府を転覆させるための『軍備』だ」
信長が息を呑んだ、その瞬間。
「ほう……。こんな夜更けに、ネズミが二匹も入り込んできたか」
闇の中から、低い、しかしどこまでも冷徹な声が響いた。
暗がりの倉庫の奥から、一人の男が姿を現す。
長い黒髪、研ぎ澄まされた鋭利な眼光。その男が腰に差した刀の気配だけで、倉庫内の空気が凍りついた。
「……神子上典膳」
十兵衛がその男の名を呼ぶ。
神子上は、まるで獲物を前にした虎のような笑みを浮かべ、ゆらりと刀に手をかけた。
「柳生の隻眼、そして……正体不明の南蛮の獣。よくぞここまで辿り着いた。……だが、ここが貴様らの墓場だ」
小野派一刀流・最強の人斬りが、ついにその牙を剥いた。




