EP 3
新たなる火種(事件遭遇)
江戸の町は、今日も活気に満ちていた。
大通りには様々な屋台が立ち並び、威勢のいい客引きの声が行き交っている。
「……平和なこった。昨日の夜、奉行所の裏で三十人も病院送り(ノックアウト)になったとは思えねぇ日常だな」
「江戸の民は逞しいからな。上の連中がどれだけ暗躍しようと、その日の飯が食えれば笑って生きられるのさ」
Tシャツに迷彩ズボン、その上から無造作に羽織を引っかけただけの異様な風体の信長と、編み笠を深く被った十兵衛。
二人は町人たちの好奇の視線を適度に受け流しながら、大通りを歩いていた。
信長が考えていた、まさにその時だった。
「やめて! お店の権利書は、絶対に渡せません!」
「うるせぇ! 借金のカタだ、おとなしく指印を押しな!」
路地の奥から、若い女の悲鳴と、男たちの下品な怒声が聞こえてきた。
信長と十兵衛が顔を見合わせ、音のする方へ足を踏み入れる。
そこは『小間物屋』の裏手だった。
店先で、町娘が数人の柄の悪い浪人たちに囲まれ、強引に腕を掴まれている。
「離して! 父上の具合が悪いのに、無理やりお店を奪うなんて……!」
「へっ! 幕府の御威光を笠に着る気はねぇがな、俺たちは『小野派一刀流』の道場に出入りしてる身分だ! 痛い目を見たくなきゃ、さっさと権利書を渡しな!」
浪人の一人が、腰の刀の柄をチャキッと鳴らして脅しをかける。
『小野派一刀流』――その名を聞いた瞬間、十兵衛の隻眼が笠の奥でスッと細められた。
「……信長。どうやら知恵伊豆様の危惧は、想像以上に早く現実の形となっているようだな」
「ああ。タイミングが良すぎて笑えねぇよ。……行くぞ」
信長は羽織を脱ぎ捨て、迷彩ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりと路地へと進み出た。
「おいおい。天下の小野派一刀流様が、か弱い民間人相手に恐喝か? 泣く子も黙る剛剣が聞いて呆れるぜ」
「あぁん? 何だてめぇ、そのふざけたナリは。南蛮の坊主か?」
町娘を羽交い締めにしていた浪人が、信長を見上げて鼻で笑った。
「すっこんでろ。俺たちの剣は、柳生のお遊戯剣術とはワケが違うんだ。本物の『実戦』を教えてやろうか?」
「へえ」
信長は立ち止まり、首をゴキリと鳴らした。
「実戦、俺の大好物だわ」
「舐めやがって……死ねェッ!」
頭に血が上った浪人の一人が、抜刀するなり信長に向かって上段から刀を振り下ろした。
一直線に、ただひたすらに重く、叩き斬ることだけを目的とした『一刀』の剣。型としては小野派の「切り落とし」を真似たものであろう、素人にしては凄まじい威力を秘めた一撃だ。
だが。
「……直線的すぎる。射線が丸見えだ」
信長は刃を避けようともせず、振り下ろされる直前に、相手の懐へ向かって半歩『前進』した。
相手の刀が加速する前の、死角にして絶対の安全圏。
そこへ滑り込むと同時に、信長の分厚い掌底が浪人の顎を正確に打ち抜いた。
「ガハッ!?」
脳を激しく揺らされ、浪人は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
「な、なんだと!?」
「こいつ、素手で……!」
残りの浪人たちが慌てて刀を抜こうとするが、その後ろから、編み笠を被った十兵衛が音もなく忍び寄っていた。
「柳生を『お遊戯』と蔑んだこと、後悔させてやろう」
十兵衛が鞘から刀を半ば引き抜き、その『鞘の尻』と『柄』を使って、二人の浪人の鳩尾と首筋を流れるように打ち据える。柳生新陰流・無刀取りの体術応用。
「ごふッ……」「あぐ……」
一瞬にして、三人の浪人は地面に転がり、呻き声を上げるだけの肉塊と化した。
「……無力化完了。怪我はないか、嬢ちゃん」
信長が、へたり込んでいる町娘に手を差し伸べる。
「あ、ありがとうございます……! 私は、小間物屋『桔梗屋』の娘、お光と申します」
お光は震える声で礼を言いながら、信長の大きな手を取って立ち上がった。
「だが、なぜ小野派のゴロツキどもが、小間物屋の権利書など狙う? 借金と言っていたが」
十兵衛が笠を上げ、鋭い視線で問いかける。
「それが……」
お光は周囲を警戒するように見回し、声を潜めた。
「数ヶ月前から、江戸の湊で『抜け荷(密輸)』が行われているという噂があるのです。彼らは、うちのような海産物や小間物を扱う問屋の船を強引に奪い、異国との違法な取引に使おうとしていて……父上がそれを断ったため、嫌がらせを受けて借金をでっち上げられたのです」
「……抜け荷、だと」
十兵衛の表情が険しくなる。
「抜け荷は重罪だ。だが、莫大な利益を生む。……なるほどな。小野派を後ろ盾に持つ幕閣の誰かが、派閥争いのための『軍資金』を集めるために、江戸の商人を食い物にしているってわけだ」
信長は、地面で伸びている浪人を足の先で小突いた。
松平信綱が言っていた「政治の主導権を握るための暗躍」。それが、この密輸事件という形で江戸の町を蝕み始めている。
「よし。状況は理解した」
信長はニヤリと、凶暴な肉食獣のような笑みを浮かべた。
「おい、十兵衛。大将に報告する『最高の土産』ができたじゃねぇか」
「……うむ。知恵伊豆様も、これならば公式に動く口実となろう。だが信長、相手は三十人の用心棒など比較にならぬ、本物の幕閣と剣客の集団だぞ」
「上等だ。悪党がデカければデカいほど、制圧した時のカタルシスもデカくなるってもんだ」
新たなる火種を前に、最強の悪友たちの血が再び滾り始めていた。




