EP 20
夜明けの一服と悪友の誓い
「カチッ」
澄んだ金属音が、薄暗い庭に響く。
信長は金色のライターから揺らぐオレンジの炎を、くわえたメビウスの先端に押し当てた。
深く息を吸い込み、肺の奥底まで紫煙を行き渡らせてから、ゆっくりと夜明けの空へ向かって吐き出す。
「……任務完了後のタバコは、何度吸っても最高だな」
東の空が白み始め、江戸の町が新しい朝を迎えようとしていた。
庭の奥では、十兵衛の知らせを受けて駆けつけた南町奉行所の捕り方たちが、慌ただしく屋敷の封鎖と罪人の連行を行っている。
三十人の用心棒と三人の忍びは、誰一人死んでいないものの、全員が骨折や脳震盪で身動きが取れず、あっさりと縄を打たれていった。
「――美味そうに煙を吐くものだな、信長」
背後から声がかかり、信長が振り返ると、事後処理を終えた家光と十兵衛が歩いてくるところだった。
「おお、竹千代。それに十兵衛も。片付いたか?」
「うむ。帳簿は奉行所の与力に直接手渡した。跡部のみならず、芋づる式に悪党どもが引っ張られるだろう。……それにしても」
家光は、三十人以上の屈強な男たちが呻き声を上げながら運ばれていく光景を見渡し、深く感嘆の息を漏らした。
「本当に、死者が一人も出ておらぬ。これほどの大立ち回りを演じながら、血の匂いが全くしない戦など、余は初めて見たぞ」
「拙者も同感です、上様」
十兵衛が、刀の柄に手を置きながら頷く。
「峰打ちを強要された時はどうなることかと思いましたが……。あれほどの制圧劇、親父殿(宗矩)の剣ですら為し得ぬ境地かもしれませぬな」
「へっ、買い被りすぎだ」
信長は照れ隠しのように頭を掻き、タバコの灰を落とした。
「殺すより生け捕る方が、圧倒的に難易度が高いんだよ。それに、無駄な死体は政治の邪魔になる。……大将が胸張って江戸を治められるように、現場が配慮しただけだ」
その言葉に、家光の目が僅かに見開かれ、やがて優しく細められた。
「……信長よ」
家光は一歩進み出て、将軍としての威厳と、一人の男としての誠実さを込めて言った。
「お主のその才覚と力、余の側近として存分に振るう気はないか? 禄は望みのままに出そう。大名に取り立ててもよい。余の『直臣』とならぬか」
将軍からの、破格のスカウト。
江戸の武士であれば、涙を流して平伏し、命を捧げることを誓うであろう最大の栄誉だ。
だが。
「……悪いな、竹千代。その話はパスだ」
信長はあっさりと、メビウスの煙と共にその申し出を吹かした。
十兵衛が「お前という奴は……」と呆れたように額を押さえる。
「軍隊の堅苦しいルールには、もうウンザリしてるんだ。城の中で頭下げて、一日中じっと座ってるなんて俺には無理だ。第一、こんな迷彩服のデカ物が大名になんてなったら、アンタが他の連中から文句言われて面倒だろ?」
信長の、どこまでも合理的で、しかし相手の立場を思いやった断り文句。
「……ふっ」
家光は少しだけ寂しそうな顔をした後、すぐに吹き出した。
「はっはっは! そうだな、お主が裃を着て平伏する姿など、想像しただけで笑いがこみ上げてくるわ!」
「だろ? 俺は日陰の『実働部隊』でいい。アンタが表から照らせねぇ闇を見つけたら、また声をかけろ。いつでもぶっ飛ばしてやる」
信長が笑って右拳を差し出すと、家光もまた、力強く自身の右拳を突き出し、コツンとぶつけ合わせた。
「よかろう。では信長、お主への報酬は何が良い? 金か? それとも酒か?」
「決まってんだろ」
信長はニヤリと歯を見せて笑った。
「昨日の猪より美味い『肉』だ。あと、風呂とフカフカの布団な。江戸に来てから野宿ばっかりで、腰が痛ぇんだよ」
「なんと、欲の無い男だ! よし、十兵衛! 今すぐ柳生の屋敷に信長の寝床を用意せよ! 肉は……そうだな、余が直々に上等な鷹狩りの獲物を手配してやろう!」
「ハッ。……やれやれ、拙者の部屋が一つ、この巨漢に占領されるわけか」
文句を言いながらも、十兵衛の顔はどこか嬉しそうだ。
昇る朝日に照らされながら、並んで歩き出す三人。
迷彩服のレンジャー、隻眼の天才剣士、そしてお忍びの将軍様。
身分も、時代も、背負うものも全く違う彼らが結成した、最強で最凶の『悪友トリオ』。
江戸の闇に蠢く悪党どもにとっての「最悪の災厄」は、まだその第一歩を踏み出したばかりであった。




