EP 16
人質保護(VIP救出)
「ひ、ひぃぃッ! くるなッ! それ以上近づくなァッ!!」
部屋の中央で全ての用心棒が沈黙したのを見て、跡部剛蔵はついに完全に狂乱した。
這いずるようにして部屋の隅へ後退した彼は、恐怖でうずくまっていた町娘の髪を乱暴に掴み上げ、懐から引き抜いた護身用の脇差(短刀)をその細い首筋にピタリと突きつけた。
「きゃあぁぁッ!」
「動くなッ! 動けばこの小娘の首を掻き切るぞ!!」
己の保身のため、力なき民を盾にする。
その卑劣極まりない凶行に、入り口を警戒していた家光と十兵衛の顔に、底知れぬ怒りが走った。
「……下衆が。武士の風上にも置けぬ振る舞いよ。余の怒りはもはや頂点に達したぞ、跡部」
「上様、ご命令を。拙者の太刀ならば、あの距離でも小娘を傷つけず、奴の腕だけを斬り落とせます」
十兵衛が刀を青眼に構え直し、静かに殺気を練り上げる。
だが、その二人の前に、信長がスッと右手を上げて制止のサインを出した。
「待て。あの状態のターゲットを刺激するのは下策だ。それに……」
信長の目は、完全に『任務を遂行する軍人』のそれに切り替わっていた。
冷徹な状況分析(OODAループ)が高速で回転する。
敵との距離、約三メートル。
人質の首に刃が当たっており、わずかな力で致命傷になる。
剣術の神業で腕を斬り落とせたとしても、痛みの反射で刃が首を裂く危険性がある。
(……典型的な『人質立てこもり(ホステージ・シチュエーション)』だ。まずはターゲットの注意を反らす)
信長は両手を肩の高さまでゆっくりと上げ、「敵意はない」というポーズを作りながら、ゆっくりと一歩前に出た。
「落ち着け、奉行のオッサン。俺たちは武装を解除する。……お前の要求はなんだ?」
「よ、要求だと……?」
人質交渉術の基本。相手に会話をさせ、意識を『攻撃』から『思考』へと逸らす。
「そうだ。金か? それとも逃走用の馬か? 言ってみろ」
「そ、そうだ! 表に馬を用意しろ! それと、屋敷の隠し金庫にある千両箱を……ッ!」
跡部が、要求を口にするために必死で頭を働かせた。
視線が泳ぎ、娘の首に押し当てられていた刃先から、ほんの僅かに力みが消えた。
(……今だ)
信長の足元には、先ほど自分が蹴り破った襖の残骸と、大量の木屑や土埃が散乱していた。
信長は両手を上げた姿勢のまま、レンジャーブーツのつま先で、その大量の破片と土埃を跡部の顔面に向けて思い切り蹴り上げた。
「なっ……!?」
バサァッ!! と、視界を完全に奪う目潰しの砂煙が跡部を襲う。
現代の特殊部隊が突入時に使う『閃光手榴弾』の代用である。
不意の目潰しに、跡部は思わず目をギュッと閉じ、刃を握る手がわずかに体から離れた。
「シィッ!」
その0.1秒の隙を、信長が見逃すはずがなかった。
強靭な脚力で一気に三メートルの距離をゼロにする。
娘の首から離れた跡部の右腕を下から強引に跳ね上げ、その手首を両手でガッチリと捕縛する。
「ぐあっ!?」
「離せッ!」
自衛隊徒手格闘における小手返し。
ギリィッ! と手首の関節を限界まで極め上げると、跡部の指から力が抜け、脇差がカランと音を立てて床に落ちた。
武器を無力化した瞬間、信長は跡部の胸ぐらを掴み、部屋の中央へ向かってゴミのように放り投げた。
「ぎゃあぁぁぁッ!!」
手首を脱臼し、無様に床を転げ回る跡部。
信長はすぐさま振り返り、恐怖で腰を抜かしている町娘の前に片膝をついた。
帯が解けかかり、肩を震わせている娘の背中に、自分の着ていた迷彩服の上着を脱いで、そっと羽織らせる。
「……怪我はないか? もう大丈夫だ」
「あ……あ……っ」
「怖い思いをさせたな。もう目を開けていいぞ」
先ほどまでの狂暴な広島弁とは打って変わった、どこまでも優しく、安心感を与える声。
それは、災害派遣などで怯える民間人を保護してきた、自衛官としての誇り高き顔だった。
「……竹千代。VIP(人質)の保護、完了したぜ」
信長が親指を立てて合図を送る。
その一連の流れるような救出劇に、家光と十兵衛は感嘆のため息を漏らした。
「……見事なものだ。一瞬の隙を作り出し、敵を無力化し、人質を安全圏へ引き抜く。あれが信長の言う『戦術』か」
「ええ。拙者ならば斬り捨てて終わりですが……あれほど慈悲深く、かつ合理的な制圧は、武芸の型には存在しませぬ」
手首を押さえて泣き叫ぶ跡部剛蔵。
人質という最大の盾を失い、自分の周囲には倒れ伏した三十人の用心棒の山。
そして目の前には、怒りに燃える天下の将軍と、底知れぬ力を持つ二人の化け物。
「……さて。邪魔者も、アンタの盾もなくなったな」
信長はTシャツ一枚の武骨な姿のまま立ち上がり、逃げ場を失った悪徳奉行を見下ろした。
作戦は最終段階。
隠された汚職の証拠を暴き、将軍による絶対的な裁きを下す時が来た。




