EP 13
余の顔を見忘れたか
離れに雪崩れ込んできた十数人の用心棒たちが、抜き身の刀を構えて三人を包囲する。
一触即発の空気の中、家光は全く怯むことなく、ゆっくりと前へ出た。
その足運び、背筋の伸び、そして何より全身から放たれる『絶対者』としての威圧感。
先ほどまで居酒屋で安酒を飲んでいた「竹千代」の気配は、完全に消え失せていた。
「北町奉行所与力、跡部剛蔵」
家光の声は、決して張り上げてはいない。だが、不思議なほど重く、部屋の隅々にまで響き渡った。
「幕府の威光を笠に着て、私腹を肥やすばかりか……力なき民草を力で蹂躙するか」
「き、貴様ら何者だ! なぜ私の名を……ッ!」
跡部が後ずさりしながら叫ぶ。
家光は提灯の明かりが届く位置まで進み出ると、冷徹な双眸で跡部を射抜いた。
「……悪徳の限りを尽くし、民の血を啜るか。その下劣な面、見覚えがあるぞ」
家光が、扇子でピタリと跡部を指し示す。
「――余の顔を見忘れたか!」
その一言が、雷鳴のように跡部の脳天を打った。
跡部の視線が、家光の顔をまじまじと見つめる。端正な顔立ち、そして月ごとの登城の折、遥か遠くの御簾越しに一度だけ平伏して拝謁した、あの絶対的な権力者の面影。
「う、う、上様……!?」
跡部の顔から、サァッと血の気が引いた。
ガチガチと歯の根が合わない音を立て、その場にへたり込む。
用心棒たちも「上様」という言葉に動揺し、構えていた刀の切っ先を震わせた。
だが、跡部の恐怖は、やがて最も醜悪な『保身』へと反転する。
(ば、馬鹿な! 将軍家光公が、なぜこのような場末の屋敷にいる! 認めてしまえば、私は一族郎党打ち首だ……ッ! ならば!)
「……ば、馬鹿な! 上様がこのような夜更けに、お忍びで出歩かれるはずがない!」
跡部は血走った目で立ち上がり、狂ったように叫んだ。
「ええい、何をしておる! 奴らは上様の名を騙る不届き者だ! 御公儀に対する明確な反逆である! 一人残らず、今すぐここで斬り捨てい!!」
「なっ……! き、斬れェッ!」
主の狂乱に背中を押され、半ばパニックになった用心棒たちが再び殺気を膨れ上がらせる。
「……やれやれ。どこまでもテンプレ通りの三下だな」
信長は呆れたように首を振り、口にくわえていた火のついていないメビウスを迷彩服のポケットにしまった。
そして、右手に握った金色のオイルライターの蓋を開け、親指でフリント(発火石)を弾く。
「カチッ」
静かな金属音と共に、オレンジ色の炎が揺れた。
信長は、その炎を見つめながら、静かに息を吸い込む。
(『トップが現場に来る意味を考えろ。上が腐れば、兵士は地獄を歩けねぇんだ』)
脳裏に蘇る、親父・真一の言葉。
海将というトップでありながら、常に現場の隊員と同じ空気を吸おうとしていた親父。
それに比べて、目の前のこの腐りきった役人はどうだ。
「……おどりゃあ」
信長の纏う空気が、軍人の冷徹さから、煮えたぎるような『暴力の権化』へと変貌した。
標準語のストッパーが外れ、凄まじいドスの利いた広島弁が漏れ出す。
「トップがわざわざ現場まで視察に来とるいうのに……その態度はなんじゃい!」
ドンッ! と信長が一歩踏み出しただけで、床板が悲鳴を上げ、最前列の用心棒がビクンと肩を震わせた。
「てめぇらみたいな腐った上がおるけぇ……下で泥すする奴らが報われんのじゃ! おどれら、地獄の『じ』の字も知らんようなツラして、俺たちの前に立つなや!!」
怒髪天を衝く信長の覇気に、十兵衛は小さく笑みをこぼした。
「くくっ……。出たな。信長があの言葉遣いになったら、もう誰も止められんぞ」
「ふっ。頼もしい男よ。だが、余もただ守られているだけの神輿ではないぞ」
家光が、着流しの帯に差していた刀の鯉口に、静かに手をかけた。
暴れん坊将軍のお約束、そして最強の悪友トリオによる蹂躙劇が、いよいよ火蓋を切ろうとしていた。




