壱ノ宮領へ 五
話し合いが終わったクラが平助のところに戻ると、おたえのそばで、平助が添い寝をしているところだった。
平助はクラの気配を察して目を覚まし、静かに離れてクラのそばに来る。
「おっさん、どうなった」
「しばらくはここで、その後に壱ノ宮領に行くことになった」
クラは、おたえの身の振り方のところだけを話す。
「うん、分かった。うまくいくといいね」
「それと平助もいおり殿に預かってもらう。ほとぼりが冷めた頃に戻れるようにしてくれるそうだ。やれやれようやく落ち着いた。林太に頼って当たりだの」
「うん。やっぱりリン兄は頼りになるよな。それでおっさんはどうするの」
「儂はおたえちゃんの成り行きをみてから旅に出るよ。もともとそういうつもりだったしな」
「そっか……またもどってくるよね」
「……ああ」
いおりの采配により、その日のうちに白邸領に住むおたえのふた親のところ使いが出る。ふたりはやっと安堵した。
※ ※ ※ ※ ※
──一方、林太であるが、瀬鳴屋敷ではなく尾張城へと向かっている途中であった。
弾正の名ですぐさま来るように使いが来たのである。
──なんでこんなことに──
髷の鬘を被り、羽織袴で大小を差し、誰が見ても侍の姿で城に向かうと部屋まで案内される。
部屋で待っていると、襖が開く音がしたので平伏する。
──ふたりか──
ふたりとも聞き覚えのある足音だった。
「林太、顔を上げい。ここには儂らしかおらん、遠慮するな」
「姉上、林太は某の家来です。某に言わせてください」
そのやりとりを聞いて、一気に汗が噴き出す。瀬鳴弾正と瀬々佳乃の声であった。
──よ、佳乃様と大殿だと。な、なんで……このふたりが、あっ、平助たちか──
「いいから面をあげよ。だいじな話だ」
生きた心地がしないまま、林太は覚悟を決めて顔をあげる。間違いなく佳乃と弾正であった。
「林太」
弾正が口をひらく。
「ははっ」
「ただいまより御主は瀬々家預かりとなった。これからは瀬々様の言うことをきくように」
「は」
──佳乃様預かりだと。何故そんなことに──
続いて佳乃が話す。
「少し男手がいることが起きてな。弾正に相談したら林太を借りていいことになったのだ」
──絶対に嘘だ。なにか別の思惑がある──
「では瀬々様、あとはよしなに。評定がありますのでこれで」
「うむ。あとで子細を伝えにいく」
弾正が部屋を出たあと、佳乃は独り言のように呟く。
「……今朝方、登城前に平助とクラなる者が来ていてな。林太の紹介状を持って来たと言うではないか。
登城せねばならぬので、いおりに任せて来たのだが──ふと気になった」
──うわぁ、佳乃様に会ってしまったのか──
林太は己の不運さと、平助たちの気のまわらなさを責める。
「平助はたしか弐ノ宮勤めであったな。そこで弐ノ宮の宮司を思い出した。宮司の樹はあまり評判よろしくなくてな。尾張藩の宮司の集まりにも顔を出さない。──まあ弾正でこと足りてるからよいが」
──弐ノ宮の宮司に何故……──
「ずいぶん前に樹に会ったことがある。敵意むき出しであった。あとから弾正に訊いたが、女子と武士が嫌いらしい。なるほど我ら姉弟はまさしくそれだな」
──気位が高いとはきいていたが、そんなわけがあったのか──
「それゆえ弐ノ宮で辛く当たられて平助が逃げてきた──とは考えづらいな。あ奴のことは儂も知っておるし、林太の話からすると変わっていないようだしな」
「……」
「そこでこう考えた。務めを放り出しても平助がやる事は、さくらのことか……人助け辺りだろうと」
「……」
「平助はすぐさくらに頼る。だが尾張城下に来たということは林太を頼った。ということは、何かさくらに迷惑をかけかねないことだろう、と読んだがどうだ」
「……ご慧眼、恐れ入ります」
「やはりそうか。弾正にはまだ話しておらん。林太はすぐに儂の屋敷へ向かえ。子細はあとでゆっくり聞く。皆には気づかれぬようにな」
「しかし、それでは」
「あとで弾正には、隠密行動をしていなくなったことにするよう伝えておく。いいから急げ」
林太は進退窮まったと観念した。
もしすべてを捨てて逃げ出しても、書物奉行の黒紐組の追っ手が来る。逃げまわる生き方などまっぴらだ。
ならば一縷の望みをかけて、佳乃の話に乗るしかなかった。
「わかりました。すぐさま行きます」
「うむ。悪いようにはせぬ」
林太は今一度挨拶をすると、すぐさま城を出る。
そして人けがないところまで来ると、羽織袴を脱ぎ、鬘を外して手拭いで頭を隠す。
どこかの荷物運びのような格好になると、まずは長屋に戻る。
誰もいないことを確かめてから、わずかな私物を持ってそそくさと逃げるように出ていった。
──あゝ、俺の出世が、平穏無事な人生がぁ──
未練たらたらで、瀬々屋敷へと向かった。
※ ※ ※ ※ ※
「あれ、リン兄、どうしたの」
いおりに案内され下屋敷に着いた林太は、能天気に訊く平助をいきなり殴った。
「ちょ、ちょっと待ってよリン兄」
「うるせぇ、俺の出世をふいにしやがって。この野郎」
殴り足りぬと平助を追いかける林太を、クラが間に入って押し止めた。




