壱ノ宮領主 瀬々佳乃
林太が尾張屋敷に来て半月以上過ぎた頃、朝月ではなく別の上司に声をかけられた。
「高見、ちょっと来い」
「は。なにか」
「じつはな大殿が登城するのだが、駕籠の担ぎ手がひとり足りぬ。代わりにやってくれぬか」
「かまいませぬが、朝月様に断らないと」
「朝月は休みだ。なんでも浅蜊を食べて当たったらしい」
「そうでしたか。大丈夫でしょうか」
「大事にはいたってない。腹を下しているだけだそうだ」
「そうですか。わかりました、着替えてきます」
羽織袴姿から、担ぎ手よろしく奴姿になり編笠を被る。
そのまま駕籠の傍で控えて待つと、瀬鳴弾正があらわれて乗り込み、林太たちは担いで歩きだす。
尾張護廷家の筆頭家老である立場ゆえ、いちばん遅れて登城する。でないと身分の低い者たちが”筆頭家老より遅れてくるとはなにごとか“と叱られてしまうからだ。
上の者は上の者で気苦労があるのだなと、駕籠の中の御仁に敬意を持つ。
※ ※ ※ ※ ※
大門の外まで来ると駕籠をゆっくりと下ろし、瀬鳴弾正が出て城へと向かう。その間、林太は弾正とは顔を合わせていない。おそらく林太がそばにいることに気づいていないであろう。
邪魔にならないところに駕籠を移したあと、林太はこのあとどうするのか他の担ぎ手に尋ねる。
すると帰りまで待つだけだという。
「そんなに待つのですか」
「いつお帰りになるか分からぬからな」
「皆さんはどうしてるのです」
「昼寝したり交代で飯を食べにいったり、あとはお喋りに賭博かな。賽子持ってるか」
「いや、いいです」
そんなことなら本を持ってくればよかったなと林太は後悔した。
瀬鳴家の駕籠を放っていくわけにもいかないので、そばにいるしかない。
他の三人は知り合いなので賽子賭博で盛り上がっているが、林太は少し離れたところで暇を持て余していた。
(そういえば尾張護廷家には蓬左文庫という蔵書があると聞いたな。そこに行きたいなぁ)
ぼぅっとそんな事を考えているうちに、ようやく日が傾き、ぼつぼつと下城し始めた武士をみかける。
ようやく帰れるなと、よその駕籠を眺めていると朱色の意匠が目立つ駕籠が現れて、大門前にとまる。
はて
なんとなく覚えがある。
そうこうしているうちに大門から羽織袴姿の美丈夫の年増が出てくる。
「あ」
林太はようやく気がついて、慌ててしゃがみ頭を下げる。
──瀬々佳乃様ではないか。瀬鳴弾正の姉上で壱ノ宮領主の。まずい、気づかれぬようにせねば──
だがその願いはとどかなかった。
佳乃が乗り込んだ朱色の駕籠はゆっくりすすみ、林太の前にとまる。
「その方、顔を上げよ」
凛とした声に心の臓が凍る。
林太は迷ったが諦めて顔をあげた。
「ひょっとして林太か」
「……御無沙汰をしております、瀬々様」
「どうしてここにおるのだ」
「は。高見林太郎はいま、尾張城下の瀬鳴屋敷にて仕えております」
「さくらの傅役は辞めたのか」
「は。ひと月ほど前に御役御免となりました」
「さくらはどうしておる」
「は。そのぅ……」
詰めるような問いに、林太は顔から背中に、全身から汗が噴き出しびっしょりとなる。
「詳しく知りたい。屋敷に来るがよい。弾正には話を通しておく」
「ははぁ」
死刑の沙汰を受けたほうが《《まし》》だと思った。
「待っているぞ」
それだけ言うと、佳乃の駕籠は屋敷へと向かうのであった。
遠巻きで見ていた瀬鳴家の担ぎ手たちは、何ごとかと林太に恐る恐る訊いてくる。
「白邸領にいた頃は、さくら姫様の傅役をしていたので伯母の瀬々様とは少しだけ知られていまして」
「お前、すごいな。領主様に知られているのか」
「しかも瀬々様とは」
「このあと呼ばれているのだろう。羨ましいのぅ」
口々に言うが、事情を知っている林太は何も知らないくせにと腹の中で毒づいた。
※ ※ ※ ※ ※
手回しがよく、その日の夜には弾正から許しを得て瀬々家の屋敷へと行くことになった。
瀬々家屋敷は結構離れていて、提灯片手に進んでいくと通用門に到着する。
「御免、高見林太郎と申す。瀬々様に呼ばれて来ました」
「話はきいております。どうぞ」
門番の女が通用門を開ける。林太は会釈をして入ると、そのまま屋敷へと案内してもらう。
(相変わらず女子ばかりか)
壱ノ宮領は白邸領の西隣にあり、尾張藩の北西一帯の領である。
その北西には木曽川が、領の北からぐぐっと南に曲がってなぞるように流れており、その向こう北西は隣の美濃藩となっている。
尾張藩の領主として瀬々佳乃は唯一の女性であり、宮司でもある。
なので瀬々家に仕えるのは武士ではなく、巫女であり、ほぼ女子で占められている。担ぎ手たちが羨んだのはこのせいであった。
だが林太はその実態を知っている。
美しく巫女姿で着飾っているが、その中身は油断ならぬ実力の持ち主ばかりだということを。
「高見様をお連れしました」
身分の差があるゆえ庭先に案内されたが、朱色の色氈が敷かれており、四隅には漆塗りの燭台で明かりが灯されていた。
「こちらへ」
履物を脱ぎ、色氈の上に乗り、屋敷に面して正座する。平伏して待っていると縁側の向こうの障子が音もなく開く。
「林太、久しいな。達者にしているようでなによりだ」
小袖を着てくつろぎ姿の佳乃が声をかける。
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