第十一話 ヨッシーの恋心
第十一話 ヨッシーの恋心
「タカシ、サンポ! サンポ!」
朝食の片づけを終えたところで、ヨッシーが騒ぎ始めた。
「はいはい。まだ朝の九時だよ」
「サンポ!」
「わかったって。そんなに急かさなくても、逃げないから」
そう言ってから、タカシは少し笑った。
逃げない、か。
この家に来たばかりのころは、朝起きても、今日一日をどう過ごせばいいのか、よくわからなかった。仕事が休みの日など、なおさらだった。
ところが最近は、朝から忙しい。
ヨッシーの世話をして、餌を用意して、リンゴを切って、散歩の準備をする。鳥用のハーネスを持ってくると、ヨッシーは落ち着かない様子で羽を小さく震わせた。
「はい。お出かけしますよ」
「オデカケ!」
「そう。お出かけ」
ヨッシーは、わかっているのかいないのか、得意そうに冠羽を立てた。
玄関を出ると、秋の空気が頬に触れた。
タカシはいつもの商店街へ向かって歩き始めた。八百屋の前を通れば、リンゴを買う。焼き鳥屋の前では、店主に挨拶する。ヨッシーを連れて歩くようになってから、道の途中に挨拶をする相手が増えた。
それは、少し不思議なことだった。
以前のタカシなら、休日に誰かと顔を合わせるのさえ、面倒に思う日があった。
「タカシ、ハヤク!」
「はいはい。歩いてますよ」
ヨッシーは、いつもよりせわしない。
八百屋を通り過ぎても、リンゴをねだらない。焼き鳥屋の前でも、いつもの「コンニチハ」が出なかった。
「……お前、今日はどうした?」
タカシが声をかけても、ヨッシーは前を向いている。
そして、ペットショップの看板が見えてきた。
ヨッシーの冠羽が、ぴんと立った。
「ああ」
タカシは、思わず声を漏らした。
「お前、ここに来たかったのか」
ヨッシーは返事の代わりに、店の窓をじっと見つめた。
いた。
白い羽に、黄色い冠羽。
あの日、ヨッシーが初めて見つめた、あのコバタンだった。
店の中で、相手の鳥もこちらを見ている。
ヨッシーが冠羽を立てた。
「コンニチハ!」
向こうの鳥も、何かを返すように鳴いた。
「……おお」
タカシは、二羽を見比べた。
前回は偶然、目が合っただけだと思っていた。けれど、ヨッシーはどうやら覚えていたらしい。
それどころか、今日の散歩は、最初からここが目的だったのかもしれない。
「ヨッシー。会えてよかったな」
「コンニチハ!」
「うん。挨拶はもうしたよ」
ヨッシーは、窓の向こうを見つめ続けた。
タカシは店の扉を開け、店員に軽く会釈した。
「こんにちは。この子、前にも見ていたんですけど」
「ああ、先日いらした方ですね」
店員は、ヨッシーに気づいて笑った。
「今日も会いに来てくれたのかな?」
「どうやら、そうみたいです」
タカシが答えると、店員はガラス越しに二羽を見た。
「鳥って、よく相手を覚えていますからね。ただ、仲良くなれるかどうかは、また別ですけど」
「ですよね」
タカシはうなずいた。
恋だの何だのと、こちらが勝手に盛り上がっているだけかもしれない。
ヨッシーに聞いてみたところで、返ってくるのは、いつもの言葉だ。
「リンゴ!」
「……まだ何も聞いてないだろ」
店員が笑った。
「リンゴが好きなんですね」
「大好きなんです。毎日、食べています」
「健康的でいいですね」
タカシは、窓の向こうの鳥をもう一度見た。
相手は、ヨッシーを見ているようにも見えるし、たまたまこちらを向いているだけにも見える。
人間だって、相手の気持ちは簡単にはわからない。
まして、鳥の気持ちとなれば。
「ヨッシー。そろそろ行こうか」
声をかけても、ヨッシーは動かなかった。
「ヨッシー?」
「コンニチハ!」
「それは、さっき言ったよ」
もう一度声をかける。
ヨッシーは、ようやくタカシのほうを向いた。
そして、はっきりと言った。
「リンゴ!」
「……はいはい」
タカシは、とうとう吹き出した。
結局、恋よりリンゴなのか。
それとも、リンゴはリンゴで、恋は恋なのか。
鳥に聞いても、答えはわからない。
帰り道、ヨッシーは満足したように静かだった。
タカシは、いつもの八百屋でリンゴを買った。店主に「今日はご機嫌ですね」と言われ、「どうも、恋をしているみたいで」と答えたら、店主は目を丸くした。
「えっ、ヨッシーが?」
「たぶん、ですけど」
「そりゃあ、応援してやらないと」
「いや、応援はいいんですけどね……」
タカシは、買ったリンゴの袋を見下ろした。
「これ以上、家族が増えると困るんですよ」
店主は大笑いした。
家に帰ると、ヨッシーはいつもの場所に落ち着き、さっそくリンゴをねだった。
「リンゴ! リンゴ!」
「わかった。切ってくるから」
タカシは台所へ向かった。
二羽が仲良くなったら、どうなるのだろう。
会うだけで満足するのか。それとも、もっと近づきたがるのか。
そもそも、あの子はヨッシーのことをどう思っているのだろう。
考えても、わかるはずがなかった。
リンゴを皿に載せて戻ると、ヨッシーは待ちきれない様子で身を乗り出した。
「リンゴ!」
「はい。お待たせしました」
ヨッシーがリンゴをついばむのを見ながら、タカシはスマートフォンを手に取った。
マナに話したいことが、またひとつ増えた。
『今日も、ペットショップに行ってきました』
そこまで入力して、タカシは少し考えた。
『ヨッシーは、あの子に会いたかったみたいです』
送信する。
しばらくして、マナから返事が届いた。
『ヨッシーにとって、楽しみな場所ができたのかもしれませんね』
タカシは、その文章を読み返した。
楽しみな場所。
そうかもしれない。
毎日同じ場所に行くことも、誰かに会えるかもしれないと思うことも、特別なことではない。
でも、そういう小さな楽しみがあるだけで、一日は少し違って見える。
タカシは、リンゴを食べているヨッシーを見た。
「明日も行くか?」
ヨッシーは顔を上げた。
「サンポ!」
「……まだ明日の話だよ」
ヨッシーは、もう一度リンゴをついばんだ。
タカシは笑いながら、スマートフォンを置いた。
明日も、散歩に行こう。
あの子がいるかどうかは、わからない。
けれど、行ってみようと思える場所がある。
今は、それでよかった。




