第四話 あなたの手
その日は月の最後の日で、平日だった。
昼の12時を少し過ぎたころ、私はキッチンで三脚の脚を一段ずつ縮めていた。カメラの高さを、作業台の天板に合わせるためだ。
インターホンは鳴らなかった。玄関の鍵は、朝のゴミ出しから開けたままだった。
「実穂ちゃん」
リビングの入り口に、涼花が立っていた。二日前と同じ服で、手にはスマホを握っている。
ソファでは実穂が、制服のスカートのまま脚を組んでいた。
「実穂ちゃん、進学校の子じゃないじゃん! このアカウント、実穂ちゃんでしょ」
突き出された画面には、写真SNSのページが開いていた。手書きのノートの写真が、何百枚も並んでいる。
色分けされた見出しに、余白の小さなイラスト。顔はどの写真にも映っていない。
実穂は腕を組んで、片方の眉を上げた。
「どうして分かったの?」
「字。冷蔵庫に貼ってあった買い物メモと、『す』の書き方が同じ」
涼花はスクロールして、一枚の写真を拡大した。
「あとこれ。ノートの横に写ってる窓、ここのリビングと同じ」
「窓なんて、どこも似たようなもんでしょ」
「カーテンの柄まで一緒じゃん。それに、この投稿の時間、実穂ちゃんが『学校』に行ってるはずの時間だし」
「二日で、そこまで見たんだ」
「見たよ。寝ないで見た」
実穂は、ふっと笑った。
「当たり」
「……当たり、って」
「そのアカウント、20歳のあたしがやってるよ。高校生なのは役の方」
「20……じゃあ、その制服も偽物なんだ」
「偽物じゃなくて、衣装。どこの学校のでもないってだけ」
涼花はスマホを持った手を下ろして、それから、キッチンのほうを向いた。
*
多恵さんは、ダイニングの端で指輪を外していた。
脇のテーブルに置いた箱入りのティッシュを一枚抜いて、石のまわりを拭いている。
「それから、恭平さんのお母さん」
「はい」
「その指輪、通販サイトの広告で着けてましたよね。ミセス向けの服の」
「よく見つけたわね」
「袖口を直すポーズのとき、手元が映ってた。私があげたのと、同じ幅のやつ」
多恵さんはティッシュをたたんで、指輪をもう一度はめた。
「ええ、あれは私。撮影にも使うけど、私が着けたくて着けてるの」
「好きで、着けてる……」
「そこは分けて聞いてね」
「広告のために、欲しいって言ったんじゃないんですか」
「両方よ。好きじゃなかったら、撮影でも着けないもの」
涼花は唇を噛んだ。手の中のスマホが、また光る。
*
最後に、彼女は恭平のほうを見た。
恭平はソファの背にもたれて、平日の昼間だというのにスウェット姿だった。それだけで、もう半分は答えになっている。
それでも涼花は、そこだけは確かめたいという顔をした。
「恭平さん。……恭平さんは、本物だよね?」
恭平は少し困った顔で、私を見る。私がうなずくと、彼はスマホを操作して、涼花のほうへ向けた。
ショート動画のプロフィール画面。暗い照明のなかで、シャツの前を開けた男が、音楽に合わせて体をくねらせている。
フォロワーの数は、たぶん涼花の会社の社員数より多い。
「これ、俺。開発の仕事は、してない」
涼花の目が、画面と恭平の顔を三往復した。
「前に涼花も見てるはずだよ。おすすめに出てくる、って言ってたでしょ」
「照明あんなに暗くて、分かるわけないじゃん! ほとんど影だよ、これ」
「まあね。冷蔵ケースのお肉と一緒で、ライトで全然違って見えるから」
「待って。その言い方、俺だけ何もしてないみたいじゃない?」
恭平がスマホを引っこめた。
「肌の手入れ、毎晩してるんだけど。照明だって自分で組んでるし」
「知ってる。だから褒めてるんだよ」
「褒めてないでしょ、今の」
恭平は涼花のほうに向き直った。
「店で会ったときは髪も下ろしてたし、眼鏡もかけてたでしょ。見せ方が違えば、人はまず気づかないんだよ」
「自分で言わないの」
涼花は、二人のやりとりを聞いていなかった。
首だけが、こちらを向く。
*
「晴実も?」
声が、思ったより低かった。
「40代っていうのも?」
「……」
「専業主婦も? 海外に行ってたのも?」
返事をしないでいると、涼花は一歩踏みこんできた。
「ねえ、全部?」
「32」
「……は?」
「年。私、32なの」
三脚の向きを直して、レンズのキャップを外す。涼花はその手元を見て、それから私の顔を見た。
「旦那さんも、娘も、お義母さんも、みんな……」
「家族の設定は、全部そう」
「じゃあ、お金は? あの部屋も、旅行も、月の……」
「キャラは嘘。でもお金は本物」
涼花の肩が、一度、大きく上下した。
「全部わざとだったんだ。私を家に入れたのも、恭平さんと二人きりにしたのも」
「…………」
「家族も全部嘘で……二日間、ずっと、どこまでが嘘なのか数えてた。数えても数えても、終わらないの」
彼女は一歩下がった。かかとが、ラグの端に引っかかる。
「何が目的なの。私なんか騙して、何になるの」
私は彼女の前まで歩いていった。
だらりと下がったままの涼花の手を取って、甲を、二回、軽く叩く。お茶の時間に、何度もそうしてきたのと同じように。
作業台の上では、カメラのレンズが天板のほうを向いていた。
「借りたいのは、あなたの手」




