第6話 晴渡虹介の回想
――晴渡虹介の回想――
「はははは!! ねえ、虹介! 見て、この芸人! めっちゃ面白いんだけど!」
「え……どこが、そんなに面白かったの?」
「もう、虹介! ちゃんと見てた?」
「ごめんね。仕事のメールしてて……」
「もう……お家デートの意味ない……」
――ごめんね。
あの時、ちゃんと一緒にテレビを見ていればよかった。
*
――彼女が会社の資料を届けに来てくれた時。
「虹介……顔、怖いよ……」
彼女はそう言って、俺の顔を覗き込んだ。
「いくら仕事だからって……ほら、ほっぺた伸ばしてあげる。むに〜」
「やめろ!」
反射的に、その手を振り払った。
「今、大事な時なんだ。遊びに来たなら、さっさと会社に戻ってくれ!」
「…………」
彼女の表情が固まった。
「……虹介のバカ!! もう知らん!」
バタン!
勢いよく閉まった扉を、俺はただ眺めていた。
追いかけることもせずに。
その日から、一ヶ月。
彼女からの連絡は途絶えた。
さすがにまずいと思い、俺は彼女の家まで来ていた。
「はあ……何やってるんだ、俺……」
ちょっと謝るだけだ。
それだけなのに。
「……素直になれよ……」
情けない俺は、玄関の前を一時間近く、何度も往復していた。
その時――
ガチャ。
「……入って」
「……うん」
*
「虹介ってさ」
部屋に入るなり、彼女は俺の服装を眺めた。
「いつもいい服着て、いい靴履いて、いい鞄持ってるよね!」
「そりゃ……一応、社長だから。身なりは整えておかないと……」
「うんうん。そうだよね!」
彼女は大きく頷いた。
「社長様は、それもお仕事だもんね」
「……うん」
「でもさ」
彼女は俺の鞄を指差した。
「彼女の家に来る時まで、信用を身に纏うの?」
「…………」
「隙がなくて、息苦しい!」
「……ごめん」
「だから――」
彼女は、後ろから何かを取り出した。
それは――
生成り色の、安っぽいトートバッグ。
そこには、丸まった黒猫のイラストが描かれていた。
「罰として!」
彼女は、それを俺に突きつける。
「私がいいっていうまでは、このトートバッグで過ごすこと!」
「…………これを?」
「そう! これで許してあげる!」
彼女は、いたずらっぽく笑った。
「ふふっ」
俺は、そのトートバッグを見つめた。
正直、俺の普段の格好には――
どう考えても似合わない。
「……分かった」
「よし!」
彼女は満足そうに笑った。
その笑顔を、俺は――
今でも覚えている。
*
それから、世界的な水不足は、例外なく日本にもその影響を及ぼし始めた。
テレビをつければ、どのチャンネルも水不足のニュースばかりだった。
降水量は記録的な低さを更新し続け、雨は、いつまで経っても降らなかった。
やがて、川の水位が目に見えて下がり始めた。
ダムの貯水量も減り続け、各地で給水制限が始まった。
店頭からは水が消え、人々が我先にとペットボトルを買い求める。
農作物への被害も深刻になり、野菜や米の価格は日に日に上がっていった。
水を大量に必要とする生産業では、工場の稼働を止めざるを得ないところまで出始めた。
それは、働く場所を失う人間が増えていくということでもあった。
それでも、雨は降らなかった。
何日経っても。
何週間経っても。
そして――三ヶ月。
全国的に雨が降らないという、異常事態になっていた。
*
「え……もう、会えないって、どういうこと?」
突然、彼女から届いたメッセージ。
意味が分からなかった。
俺は、すぐに電話をかけた。
「だからね、もう、会えなくなるの……私たち」
「ちょ、ちょっと待って。まだ、あの時のこと怒ってるの?」
俺は必死に言葉を続けた。
「俺、ちゃんとあのトートバッグ使ってるでしょ?」
――君に会う時は。
「あはは! 本当にやってくれるとは思わなかった!」
彼女の声が、少しだけ明るくなる。
「虹介、そういうところ律儀で可愛いっていうか……」
「……ううん。違うな」
俺は、小さく息を吐いた。
「愛おしいよ……本当に」
「え……何、急に……」
「それじゃあね! 今までありがとう! 楽しかったよ!」
「ちょ、待ってくれ……!!」
ツー……。
ツー……。
ツー……。
俺は、がむしゃらにオフィスを飛び出した。
彼女の家へ向かう途中も、何度も電話をかけた。
何度もメッセージを送った。
けれど――
決して、彼女につながることはなかった。
息を切らしながら、彼女の住むアパートの玄関前へ辿り着く。
何度もインターホンを鳴らし、彼女の名前を呼びながら、ドアを叩いた。
時刻は、すでに二十三時を回っていた。
「うるさい!! いい加減にしろっ!!」
「警察呼ぶぞ!!」
隣の住人から、立て続けに怒鳴られる。
それでも俺は、そこを離れることができなかった。
その時――
北の方角。
地上から夜空を突き抜けるように、まばゆい閃光が走った。
それは、青白く光る太い柱となって夜空へ伸び――
やがて上空で弾けた。
無数の光が、まるで流星群のように夜空を流れていく。
そして――
その直後。
国民全員が、待ち望んでいた雨が降り始めた。
雨は、三日三晩にわたって大地を潤し続けた。
彼女の死を知らされたのは――
それから、一ヶ月後のことだった。




