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雨音時雨は、晴渡虹介を知らない  作者: 白ご飯
第三章 晴渡虹介

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第42話 小さな女の子


「でも……精神って、脳にあるものじゃないんでしょうか……?」


 俺は、頭を落とされた丸鶏の姿を思い浮かべた。


 あの鶏たちに、まだ精神が残っていたというのか……?


「私たちの常識で考えれば、確かにそうね。でも、そもそも『精神が何処にあるか』という問いは、現代の科学や哲学でも、まだ完全には解き明かされていない難問の一つなのよ」


 ……精神とは、心とは、何か。


 考えてみれば、俺たちはこうして肉体を離れ、時間を遡っている。


 今さら常識だけで説明できる話でもないのかもしれない。


「そんな……! それじゃあ、何度も実験を繰り返した、あのきび団子の巫女だって、何かしら影響を受けていたんじゃないですか!?」


 もしそうなら――。


「……何か、そういう記録は残っていなかったんですか!?」


 マママさんは、静かに首を横に振った。


「……なかったわ。少なくとも、私が目を通した記録の中にはね」


 馬鹿な……。


 じゃあ、偶然ワタルさんだけが、貧乏くじを引いたってことなのか?


 いや……そんなはずがない!


 きっと、何か理由があるはずだ。


 必ず……!


 ふと、ワタルさんの方へ目を向けた。


 …………。


 ……ん?


 いつの間にか、キッチンの戸棚から米を取り出し、皿に盛っている。


 ……生米だ。


 しかもワタルさんは、その生米をひとつまみすると、迷いなく口元へ運ぼうとしていた。


 まさか……!!


「ワタルさん!! それはダメだぁぁぁぁ!!」


 俺は全力でキッチンへ駆け寄った。


 そして、すんでのところで、ワタルさんから皿を取り上げる。


 ……危なかった。


 ワタルさんは、突然ご馳走を奪われたかのように目を見開いた。


 やがて、その表情にショックと恨みがじわじわと滲んでいく。


 「何するのよ……ッピぃ!!」


 小さな身体で、俺をじっと見上げている。


 …………。


 何だ……。


 その可愛い顔は……。




 ……ん?


 待てよ。


 この恨みがましい表情……どこかで見覚えがあるな。


 ああ、そうか……。


 ワタルさんが、お母さんから『心渡り』の祝詞を不完全な形で教えられていたと分かったときだ。


 あのときも、こんな顔をしていた。


 ……いや、もちろん、今とは比べものにならないほど深く傷ついていたはずだが。


 それにしても……。


 あんなことが分かった直後に、よく『心渡り』を実行できたものだ。


 俺は、術式を完成させることばかり考えていた。


 だが、ワタルさんは……?


 母親から教えられた祝詞に、重大な欠落があったと知ったばかりなのだ。


 それが故意だったのかどうかさえ、分からないまま。


 ……平気なはずがない。


 きっと、相当な精神的ダメージを受けていたはずだ。


 …………。


 精神的……?


 精神……。


 待てよ。


 もしかして――。


 精神の状態によって、異物の混入を受ける度合いが変わるんじゃないか……?


◇



 俺は、車椅子から恨めしそうに見上げてくる、小さな女の子を改めて見つめた。


「何見てるのよ…ピぃ!!」


 ひどく痩せた、華奢な身体。


 今、その中にいるのは十七歳のワタルさんだ。


 もちろん、この身体は別の世界のワタルさんのものだ。


 それでも、目の前の幼い姿を見ていると、彼女がこれまで歩んできた人生を思わずにはいられなかった。


 ……いったい、いつからだったんだろう。


 あの『時写し』を使うことが、彼女にとって当たり前になってしまったのは。


 ふと、初めてワタルさんから『時写し』について聞いたときのことを思い出した。


 彼女は、自分の残された命を、シャンプーの残り回数のようにたとえていた。


 まるで、使えば減っていくことが当然であるかのように。


 自分の命だというのに……。


「……グズ渡。返しなさいよ……ッピぃ」


 そんなふうに考えることに、どれほど慣れてしまっていたのだろう。


 そして、そんな彼女が、母親から教わった祝詞に重大な欠落があったと知った。


 どれほど傷ついたかなんて、部外者の俺が彼女の心を知ったかぶることは出来ない。


 でもワタルさんは何事もなかったかのように、再び『心渡り』を実行してくれた。


 ……俺のために。


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。


 気がつくと、俺はまだ恨めしそうに見上げているワタルさんの身体を、そっと抱きしめていた。


 小さい。


 あまりにも、小さかった。


 この子は、いったいどれほどのものを、たった一人で抱えてきたんだろう。


 強がりで、口が悪くて、いつも俺をグズ呼ばわりする。


 でも、きっと――。


 誰よりも、寂しがり屋な女の子なのだと思う。


 ……救いたい。


 この小さな少女の、傷ついた心を。


 ただ、そう思った。









ピぃ。

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