第42話 小さな女の子
「でも……精神って、脳にあるものじゃないんでしょうか……?」
俺は、頭を落とされた丸鶏の姿を思い浮かべた。
あの鶏たちに、まだ精神が残っていたというのか……?
「私たちの常識で考えれば、確かにそうね。でも、そもそも『精神が何処にあるか』という問いは、現代の科学や哲学でも、まだ完全には解き明かされていない難問の一つなのよ」
……精神とは、心とは、何か。
考えてみれば、俺たちはこうして肉体を離れ、時間を遡っている。
今さら常識だけで説明できる話でもないのかもしれない。
「そんな……! それじゃあ、何度も実験を繰り返した、あのきび団子の巫女だって、何かしら影響を受けていたんじゃないですか!?」
もしそうなら――。
「……何か、そういう記録は残っていなかったんですか!?」
マママさんは、静かに首を横に振った。
「……なかったわ。少なくとも、私が目を通した記録の中にはね」
馬鹿な……。
じゃあ、偶然ワタルさんだけが、貧乏くじを引いたってことなのか?
いや……そんなはずがない!
きっと、何か理由があるはずだ。
必ず……!
ふと、ワタルさんの方へ目を向けた。
…………。
……ん?
いつの間にか、キッチンの戸棚から米を取り出し、皿に盛っている。
……生米だ。
しかもワタルさんは、その生米をひとつまみすると、迷いなく口元へ運ぼうとしていた。
まさか……!!
「ワタルさん!! それはダメだぁぁぁぁ!!」
俺は全力でキッチンへ駆け寄った。
そして、すんでのところで、ワタルさんから皿を取り上げる。
……危なかった。
ワタルさんは、突然ご馳走を奪われたかのように目を見開いた。
やがて、その表情にショックと恨みがじわじわと滲んでいく。
「何するのよ……ッピぃ!!」
小さな身体で、俺をじっと見上げている。
…………。
何だ……。
その可愛い顔は……。
……ん?
待てよ。
この恨みがましい表情……どこかで見覚えがあるな。
ああ、そうか……。
ワタルさんが、お母さんから『心渡り』の祝詞を不完全な形で教えられていたと分かったときだ。
あのときも、こんな顔をしていた。
……いや、もちろん、今とは比べものにならないほど深く傷ついていたはずだが。
それにしても……。
あんなことが分かった直後に、よく『心渡り』を実行できたものだ。
俺は、術式を完成させることばかり考えていた。
だが、ワタルさんは……?
母親から教えられた祝詞に、重大な欠落があったと知ったばかりなのだ。
それが故意だったのかどうかさえ、分からないまま。
……平気なはずがない。
きっと、相当な精神的ダメージを受けていたはずだ。
…………。
精神的……?
精神……。
待てよ。
もしかして――。
精神の状態によって、異物の混入を受ける度合いが変わるんじゃないか……?
◇
俺は、車椅子から恨めしそうに見上げてくる、小さな女の子を改めて見つめた。
「何見てるのよ…ピぃ!!」
ひどく痩せた、華奢な身体。
今、その中にいるのは十七歳のワタルさんだ。
もちろん、この身体は別の世界のワタルさんのものだ。
それでも、目の前の幼い姿を見ていると、彼女がこれまで歩んできた人生を思わずにはいられなかった。
……いったい、いつからだったんだろう。
あの『時写し』を使うことが、彼女にとって当たり前になってしまったのは。
ふと、初めてワタルさんから『時写し』について聞いたときのことを思い出した。
彼女は、自分の残された命を、シャンプーの残り回数のようにたとえていた。
まるで、使えば減っていくことが当然であるかのように。
自分の命だというのに……。
「……グズ渡。返しなさいよ……ッピぃ」
そんなふうに考えることに、どれほど慣れてしまっていたのだろう。
そして、そんな彼女が、母親から教わった祝詞に重大な欠落があったと知った。
どれほど傷ついたかなんて、部外者の俺が彼女の心を知ったかぶることは出来ない。
でもワタルさんは何事もなかったかのように、再び『心渡り』を実行してくれた。
……俺のために。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
気がつくと、俺はまだ恨めしそうに見上げているワタルさんの身体を、そっと抱きしめていた。
小さい。
あまりにも、小さかった。
この子は、いったいどれほどのものを、たった一人で抱えてきたんだろう。
強がりで、口が悪くて、いつも俺をグズ呼ばわりする。
でも、きっと――。
誰よりも、寂しがり屋な女の子なのだと思う。
……救いたい。
この小さな少女の、傷ついた心を。
ただ、そう思った。
ピぃ。




