第41話 雑味
二度目の『心渡り』を実行した。
そして今、俺はスーパーの精肉コーナーの前に立っている。
夕飯の食材を買い求める客で賑わう店内。
スーパー特有の、軽快で耳に残るメロディーが流れていた。
……成功した、のか?
まるで瞬きをしたかのように、一瞬で目の前の景色が切り替わった。
あまりにも呆気ない。
意識ははっきりしているし、身体にも特に異常は感じられない。
一度目の『心渡り』とは、まるで違う。
あのときは、激しい頭痛と朦朧とした意識の中、鉛のように重い身体をどうにか起こしたものだ。
……といっても、あれは今朝の出来事なのだが。
前回の不調は、『心渡り』そのものの反動だったのか。
それとも、直前に飲んだ時空家の『秘薬』が原因だったのか。
あの薬は、死の恐怖を和らげるためのものだと聞いている。
今回、俺は秘薬を飲んでいない。
だからといって、薬が原因だったと決まったわけではないが……。
正直、ここまで違うと、少々拍子抜けしてしまう。
ともかく、俺は無事だ。
あとは――。
ふと、下の方から視線を感じた。
そちらへ目を向けると、ワタルさんが車椅子から俺を見上げていた。
目が合うと、彼女は小さく、こくりと頷いた。
……よかった。
ワタルさんも無事だ。
どうやら、二人揃って目的の場所に辿り着けたらしい。
「よかったわっ……ピぃ……」
…………。
ん?
……んん??
ワタルさんは、慌てて両手で口を塞ぎ、驚いたように俺を見上げた。
マママさんも何かに気づいたらしい。
「まあ……」
口元に手を当て、意味ありげな視線をこちらへ向けている。
……どういうことだ?
いや、待て。
ここで騒ぐのはまずい。
俺たちの動向は「監視」されているんだったな。
俺は不審に思われないよう、努めて平静を装った。
すると、マママさんは心得たように、ぱっと明るい声を上げた。
「まあ!! そんなに先生のお授業がよかったのね!! ワタルちゃんが喜んでくれて、マママも嬉しいわ★」
……なるほど。
どうやら俺たちは、あのお肉の授業が終わった直後に戻ってきたらしい。
正直、あの間の抜けた授業をもう一度やる羽目になるのかと心配していたので、少しホッとした。
……いや。
そんなことに安心している場合じゃない。
どうやら、新たな問題が発生しているらしい。
だが、今ここで騒ぎ立てても仕方がない。
ひとまずはマママさんの話に合わせ、何事もなかったかのように買い物を続けることにした。
俺たちは丸鶏を三羽購入すると、そのまま例の富豪マンションへと帰路についた。
◇
俺たちは1001号室へ戻った。
まずは、購入した丸鶏三羽をどうするかだ。
前回の反省を踏まえ、今回はマママさんに、ひとまずチルド室で保管することを勧めておいた。
……これで少しは安心だろう。
「未来の、ワタルちゃんたちなのね……?」
丸鶏を片づけると、マママさんは俺たちを見つめ、静かにそう尋ねた。
まだ事情を説明していないというのに、いきなり核心を突いてきた。
「ええ……今日の二十時から『心渡り』で飛んできたのよ……ッピぃ!」
…………。
……ッピぃ。
やはり、聞き間違いじゃない。
俺はワタルさんを見た。
スーパーでも、確かに語尾にいたやつだ……。
……まさか。
前回、丸鶏を冷蔵庫にも入れず、放置してしまった弊害が、何かしらの形で現れているのだろうか……?
マママさんは、ワタルさんの変化を茶化すことなく話を進めた。
「きび団子の巫女の話を、私がした後の流れを聞かせてもらってもいいかしら…」
俺たちは、ここに至るまでの経緯をかいつまんでマママさんに説明した。
話を聞き終えたマママさんは、しばらく黙り込んでいた。
そして、何か思い当たることがあるのか、ゆっくりと口を開いた。
「代替贄にも、何かしらのリスクがあるんじゃないかしら……とは考えていたのよ」
……確かに。
本来、『心渡り』は自らの肉体と魂を代償にする禁術だ。
それを丸鶏二羽で肩代わりさせて、何の代償もなく済むなんて……。
いくらなんでも、虫がよすぎる話なのかもしれない。
だが、もし本当に代償があるとすれば――。
俺は、隣にいるワタルさんへ目を向けた。
「身体は、別に何ともないのよ……ッピぃ。でも、何だか無性に穀物が食べたい気がするわ……ピぃ」
…………。
いや。
それは多分、何ともないとは言わない気がする!!
俺は思わずマママさんを見た。
その表情には、焦りの色が滲んでいる。
そして、何か恐ろしい可能性に思い至ったかのように、小さく呟いた。
「まさか……精神汚染……?」
俺は、あまりにも不穏な言葉に息を呑んだ。
「え……それって、どういうことですか……?」
ふと、隣にいたはずのワタルさんがいないことに気づいた。
見れば、いつの間にかキッチンの戸棚からコーンフレークを持ち出し、牛乳もかけずに、そのままカリカリと食べている。
……ワタルさん?
マママさんは、そんな彼女にちらりと目を向けると、静かに説明を始めた。
「そもそも『心渡り』は、術を使う者が自らの肉体と魂を差し出すことを前提とした禁術なの。だから、代替贄を使うなんて裏技は、もともとの術式では想定されていないのよ」
……確かに。
「だから、いくら術式で『渡る者』を固定しても、防ぎきれない干渉が起こる可能性はあるわ」
「干渉……?」
「ええ。これは私の推測だけど……神様にとって、精神はきっと、雑味のようなものなのよ」
……雑味?
「丸鶏さんの肉体と魂を召し上がったとき、そこに残っていた精神だけを、吐き出してしまったのかもしれないわね……」
…………。
俺は、ゆっくりとワタルさんに視線を戻した。
カリッ。
カリカリッ。
ワタルさんは、真剣な顔でコーンフレークをついばんでいる。
…………。
不謹慎だけど……可愛いと思ってしまった。
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