第37話 絶対の俺
絶対参照。
それはExcelなどの表計算ソフトで、数式を別のセルにコピーしても、参照するセルの位置(番地)が変わらないように固定する仕組みのことだ。
「でも、表計算でもない俺達に、どうやったらその定義ができるんでしょうか……」
マママさんは、考えを捻り出すように眉間に皺を寄せ、固く目を瞑った。
「んん……例えば、人と人との『縁』……かしら」
「縁……ですか?」
「ええ。人と人との縁って、同じものを誰かが簡単に作れるわけじゃないでしょう? たとえ同じ人同士でも、いつ、どんな経験をして結ばれた縁なのかによって、その形は違うはずなの……」
マママさんは、俺とワタルさんを交互に見つめた。
「だから……今この瞬間のワタルちゃんと、グズ渡さんにしか結べない、特別な『縁』……いいえ、二人だけの『絆』を作ることができれば……」
そこで、マママさんは言葉を止めた。
縁……絆……。
つまり、二人の心を繋ぐもの、か。
んん……待てよ。
俺はポケットにしまっていた、雨音神社で成り行きから買った健康祈願のお守りを取り出した。
「……マママさん。例えば、このお守りの中にある御神璽をワタルさんに渡して、俺が袋を持っていたら……それも『縁』になるんでしょうか?」
「どういうこと?」
「ほら、恋人同士が一対のピアスを分け合ったりするじゃないですか。元々は一つだったものを、二人で分け持つことで、特別な意味が生まれるというか……」
俺は手の中のお守りに目を落とした。
「二人で一つ。離れていても、繋がっている証……みたいなものですよね」
そう考えると、俺とワタルさんだって、ある意味、離れがたい関係にある。
もちろん、恋人同士という意味ではないけれど。
「こじつけかもしれませんが……俺達も、このお守りを分け合えば、ただの『縁』じゃなくて、心を繋ぐ特別な『絆』になるんじゃないでしょうか?」
「そうねぇ……」
マママさんは、ちらりとワタルさんの様子を窺った。
……ん?
ワタルさん、なんだか顔が赤いな。
体調でも悪いんだろうか……?
「……お、お、お守りって、そんな簡単に開けていいものじゃないわよ!!」
「でも、だからこそ、俺達二人の間に特別な『絆』が結ばれるんじゃないかな……?」
他に妙案も浮かばず、俺はもう一度、手にしたお守りを差し出した。
「ふ、ふんっ! グズ渡のくせに! 生意気よ!」
「えっ……?」
……いや、ワタルさん。
今の、どの辺りが生意気だったんでしょうか……。
「んっ!!」
「え……どうしたの、ワタルさん?」
俺は、目の前に差し出された右手の意味を測りかねた。
「だから!! んんっ!!」
ワタルさんは苛立たしげに、さらに右手を突き出してくる。
「……どうしたの?」
俺は試しに、自分の左手をちょこんとワタルさんの右手に乗せてみた。
「もうっ!! 馬鹿かしら!! ホント、グズ!!!」
……何で怒られたんだ?
そんな俺達のやり取りを見て、マママさんがクスクスと笑い出した。
「決まりね★」
……決まりとは?
「ワタルちゃん、グズ渡さんのお守りが欲しいみたいよ★」
「なっ……!! 違うわ! 欲しいなんて言ってない!! グズ渡の案に乗ってあげるって言ったのよ!!」
え……そうだったのか?
「じゃあ、他のにする?」
マママさんが、こてんと首を傾げる。
「えっ……!!!」
ワタルさんの顔に、明らかな落胆と焦りが浮かんだ。
……なるほど。
生意気だと言っていたくせに、そんな簡単に開けてはいけないはずのお守りが、やっぱり欲しいらしい。
思春期の乙女とは、かくも複雑で難解なものなり。
俺はお守りの口を縛っていた飾り紐をするりと解き、中から御神璽を取り出した。
「……はい、これ」
ワタルさんの右手を取って、その手のひらにそっと乗せる。
「…………」
ワタルさんは、手のひらに乗せられた御神璽をじっと見つめていた。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
「……ふん」
そう言って、御神璽を包み込むように、そっと指を閉じた。
……どうやら、気に入ってもらえたらしい。
俺は空になったお守りの袋を手に取り、飾り紐を結び直した。
元々は一つだったお守り。
それを、今のワタルさんと俺が分け合った。
このお守りが、『絶対のワタルさん』と『絶対の俺』を結びつける、確かなアンカーになってくれることを願うばかりだ。
……健康祈願のお守りだけど。
◇ ◇ ◇
それから、マママさんが既存の祝詞を、パラレルワールドにも対応できるように組み立て直してくれた。
もちろん、これでうまくいくという確証はない。
それでも、きび団子の巫女――カナエさんが残した実験記録から、ある程度の希望は持てるんじゃないかと思っている。
……少し、楽観的かもしれないが。
気づけば、時刻は二十時になっていた。
確か、スーパーに行ったのは十八時頃だったか……。
俺は、買い物袋に入れたままの丸鶏が少し心配になった。
カナエさんの実験では、贄には『魂の残滓』が必要だったはずだ。
……鮮度は、魂の残滓に影響しないんだろうか。
「何、ぼーっとしてるのよ! やるわよ! グズ渡!!」
「グズ渡さん、お腹空いちゃった?」
…………。
とうとう、マママさんにまで『グズ渡』が定着してしまった。
俺は、これでも社長やってます……。
そういえば、御神体の前でなくてもいいんだろうか……。
そんな疑問が一瞬頭をよぎったが、ワタルさんに急かされ、俺は考えるのをやめた。
買い物袋からようやく取り出された丸鶏三羽が、テーブルの上に用意された銀色のバットに並べられている。
一羽は、念のための予備だそうだ。
テーブルの両端には榊立てが置かれ、青々とした榊が挿されていた。
こういうものがさっと出てくるあたり、今さらながら、ここが神社の家系なのだと実感する。
「……始めるわよ」
やはり、この瞬間は怖い。
何度経験したとしても、きっと慣れることはないだろう。
「うん。……よろしく頼むよ」
ワタルさんは静かに目を閉じた。
そして、いつもより少し低い声で、祝詞を唱え始めた。
「掛けまくも畏き、時写しの大神。
時空ワタルなる我が名を標となし、晴渡虹介なる者を共に渡る者と定め給え。
今この刻、分かち持ちし『雨音の守り』。
一つより分かれし二つの証をもって、我らが心に結びし絆を、絶対なる楔となさしめ給え。
過ぎし我らと違えず、されど混じえず。
此の縁を結びし我らが心を、唯一のものとして留め給え。
時流の影を解き放ち、乞い願う刻へ導き給え。
千重に散りし世の枝より、我らが求むる世を定め給え。
彼の世に残せし縁を辿り、帰るべき一枝へ道を結び給え。
今ここに結びし縁をもって、二つの心を離さず、彼の刻へ共に導き給え。
此の願い成就の代として、我らに代わりし二つの肉身と魂を、贄として御前に捧げ奉る。
時を越え、世を渡り、我らが心を彼の地へ――。
畏み畏みも白す。」
◇
そして、今、俺はスーパーの精肉コーナーの前に立っていた。
誠にありがとうございますッピ。




