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雨音時雨は、晴渡虹介を知らない  作者: 白ご飯
第二章 時空ワタル

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第37話 絶対の俺

 

 絶対参照。


 それはExcelなどの表計算ソフトで、数式を別のセルにコピーしても、参照するセルの位置(番地)が変わらないように固定する仕組みのことだ。


「でも、表計算でもない俺達に、どうやったらその定義ができるんでしょうか……」


 マママさんは、考えを捻り出すように眉間に皺を寄せ、固く目を瞑った。


「んん……例えば、人と人との『縁』……かしら」


「縁……ですか?」


「ええ。人と人との縁って、同じものを誰かが簡単に作れるわけじゃないでしょう? たとえ同じ人同士でも、いつ、どんな経験をして結ばれた縁なのかによって、その形は違うはずなの……」


 マママさんは、俺とワタルさんを交互に見つめた。


「だから……今この瞬間のワタルちゃんと、グズ渡さんにしか結べない、特別な『縁』……いいえ、二人だけの『絆』を作ることができれば……」


 そこで、マママさんは言葉を止めた。


 縁……絆……。


 つまり、二人の心を繋ぐもの、か。


 んん……待てよ。


 俺はポケットにしまっていた、雨音神社で成り行きから買った健康祈願のお守りを取り出した。


「……マママさん。例えば、このお守りの中にある御神璽(ごしんじ)をワタルさんに渡して、俺が袋を持っていたら……それも『縁』になるんでしょうか?」


「どういうこと?」


「ほら、恋人同士が一対のピアスを分け合ったりするじゃないですか。元々は一つだったものを、二人で分け持つことで、特別な意味が生まれるというか……」


 俺は手の中のお守りに目を落とした。


「二人で一つ。離れていても、繋がっている証……みたいなものですよね」


 そう考えると、俺とワタルさんだって、ある意味、離れがたい関係にある。


 もちろん、恋人同士という意味ではないけれど。


「こじつけかもしれませんが……俺達も、このお守りを分け合えば、ただの『縁』じゃなくて、心を繋ぐ特別な『絆』になるんじゃないでしょうか?」


「そうねぇ……」


 マママさんは、ちらりとワタルさんの様子を窺った。


 ……ん?


 ワタルさん、なんだか顔が赤いな。


 体調でも悪いんだろうか……?


「……お、お、お守りって、そんな簡単に開けていいものじゃないわよ!!」


「でも、だからこそ、俺達二人の間に特別な『絆』が結ばれるんじゃないかな……?」


 他に妙案も浮かばず、俺はもう一度、手にしたお守りを差し出した。


「ふ、ふんっ! グズ渡のくせに! 生意気よ!」



「えっ……?」


 ……いや、ワタルさん。


 今の、どの辺りが生意気だったんでしょうか……。


「んっ!!」


「え……どうしたの、ワタルさん?」


 俺は、目の前に差し出された右手の意味を測りかねた。


「だから!! んんっ!!」


 ワタルさんは苛立たしげに、さらに右手を突き出してくる。


「……どうしたの?」


 俺は試しに、自分の左手をちょこんとワタルさんの右手に乗せてみた。


「もうっ!! 馬鹿かしら!! ホント、グズ!!!」


 ……何で怒られたんだ?


 そんな俺達のやり取りを見て、マママさんがクスクスと笑い出した。


「決まりね★」


 ……決まりとは?


「ワタルちゃん、グズ渡さんのお守りが欲しいみたいよ★」


「なっ……!! 違うわ! 欲しいなんて言ってない!! グズ渡の案に乗ってあげるって言ったのよ!!」


 え……そうだったのか?


「じゃあ、他のにする?」


 マママさんが、こてんと首を傾げる。


「えっ……!!!」


 ワタルさんの顔に、明らかな落胆と焦りが浮かんだ。


 ……なるほど。


 生意気だと言っていたくせに、そんな簡単に開けてはいけないはずのお守りが、やっぱり欲しいらしい。


 思春期の乙女とは、かくも複雑で難解なものなり。


 俺はお守りの口を縛っていた飾り紐をするりと解き、中から御神璽を取り出した。


「……はい、これ」


 ワタルさんの右手を取って、その手のひらにそっと乗せる。


「…………」


 ワタルさんは、手のひらに乗せられた御神璽をじっと見つめていた。


 やがて、小さく鼻を鳴らす。


「……ふん」


 そう言って、御神璽を包み込むように、そっと指を閉じた。


 ……どうやら、気に入ってもらえたらしい。


 俺は空になったお守りの袋を手に取り、飾り紐を結び直した。


 元々は一つだったお守り。


 それを、今のワタルさんと俺が分け合った。


 このお守りが、『絶対のワタルさん』と『絶対の俺』を結びつける、確かなアンカーになってくれることを願うばかりだ。


 ……健康祈願のお守りだけど。



     ◇ ◇ ◇


 それから、マママさんが既存の祝詞を、パラレルワールドにも対応できるように組み立て直してくれた。


 もちろん、これでうまくいくという確証はない。


 それでも、きび団子の巫女――カナエさんが残した実験記録から、ある程度の希望は持てるんじゃないかと思っている。


 ……少し、楽観的かもしれないが。


 気づけば、時刻は二十時になっていた。


 確か、スーパーに行ったのは十八時頃だったか……。


 俺は、買い物袋に入れたままの丸鶏が少し心配になった。


 カナエさんの実験では、贄には『魂の残滓』が必要だったはずだ。


 ……鮮度は、魂の残滓に影響しないんだろうか。


「何、ぼーっとしてるのよ! やるわよ! グズ渡!!」


「グズ渡さん、お腹空いちゃった?」


 …………。


 とうとう、マママさんにまで『グズ渡』が定着してしまった。


 俺は、これでも社長やってます……。


 そういえば、御神体の前でなくてもいいんだろうか……。


 そんな疑問が一瞬頭をよぎったが、ワタルさんに急かされ、俺は考えるのをやめた。


 買い物袋からようやく取り出された丸鶏三羽が、テーブルの上に用意された銀色のバットに並べられている。


 一羽は、念のための予備だそうだ。


 テーブルの両端には榊立てが置かれ、青々とした榊が挿されていた。


 こういうものがさっと出てくるあたり、今さらながら、ここが神社の家系なのだと実感する。


「……始めるわよ」


 やはり、この瞬間は怖い。


 何度経験したとしても、きっと慣れることはないだろう。


「うん。……よろしく頼むよ」


 ワタルさんは静かに目を閉じた。


 そして、いつもより少し低い声で、祝詞を唱え始めた。


「掛けまくも畏(かしこ)き、時写(ときうつ)しの大神(おおかみ)。


 時空(ときそら)ワタルなる我が名を標(しるべ)となし、晴渡(はれわたり)虹介なる者を共に渡る者と定め給え。


 今この刻、分かち持ちし『雨音の守り』。


 一つより分かれし二つの証をもって、我らが心に結びし絆を、絶対(たしか)なる楔(くさび)となさしめ給え。


 過ぎし我らと違(たが)えず、されど混じえず。


 此の縁を結びし我らが心を、唯一(ただひとつ)のものとして留め給え。


 時流(じりゅう)の影を解き放ち、乞い願う刻(とき)へ導き給え。


 千重(ちえ)に散りし世の枝より、我らが求むる世を定め給え。


 彼(か)の世に残せし縁を辿り、帰るべき一枝(ひとえだ)へ道を結び給え。


 今ここに結びし縁をもって、二つの心を離さず、彼の刻へ共に導き給え。


 此の願い成就の代(しろ)として、我らに代わりし二つの肉身(ししくら)と魂(たま)を、贄(にえ)として御前に捧げ奉る。


 時を越え、世を渡り、我らが心を彼の地へ――。


 畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(まを)す。」



◇






そして、今、俺はスーパーの精肉コーナーの前に立っていた。









誠にありがとうございますッピ。

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