第35話 欠落
「でも……俺達がスーパーから帰還したあと、過去に残した俺達の身体は、結局どうなるんでしょう」
今、俺が使っているのは、この世界に元々存在していた『身体A』だ。
けれど、その中にいるのは、別世界から来た『意識②』――つまり俺だ。
そして今から数時間前、スーパーにいた時間へ戻れば、その時の『身体A』には、すでに『意識②』が入っている。
そこへ、現在の俺――『意識③』が入ったら?
『意識②』は、どこへ行く?
そして俺達が現在へ帰還したあと、過去の『身体A』には――誰が残る?
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
「ごめんなさい。マママ、仮説ならいくらでも立てることはできるけど……グズ渡さんが安心できるほどの確証をもって、答えてあげることはできないの……」
マママさんの瞳には、珍しく不安の色が滲んでいた。
当然だ。
これから何が起こるかも分からない『禁術』に、自分の娘が挑もうとしているのだから。
俺なんかより、よほど不安に決まっている。
「すみません……余計に不安になるようなことを言ってしまいました」
マママさんは、静かに首を横に振った。
「……いいえ。でもね、ヒントはちゃんとあるわ。きび団子の巫女――カナエさんが残してくれた実験記録に」
そう言ってから、マママさんはワタルさんへ視線を移した。
「そして、ワタルちゃんの『心渡り』が、どうしてパラレルワールドへ繋がってしまったのか……」
一度、言葉を切る。
「ワタルちゃん。もう気づいたんじゃない?」
「…………」
マママさんの問いかけに、ワタルさんは苦しそうに顔を歪ませ、俯いてしまった。
そういえば――。
さっき、ワタルさんは唇を強く噛みしめていた。
あの時、何かに気づいたのか……?
「ええ……そうね」
しばらくして、ワタルさんが重い口を開いた。
「私が行った術式には……確かに、欠落している部分があったわ」
「不完全な形で、ワタルちゃんに伝わっていたのね?」
ワタルさんは、静かに頷いた。
「きび団子の巫女が、『心渡り』に必要な条件を指定してい箇所があるっていってるわよね――」
ワタルさんは、一つずつ確認するように口にする。
「一、誰が」
「二、いつ」
「三、どこへ」
「四、何を代償に」
そこで、ワタルさんの声が止まった。
「そのうちの、三つ目の“どこへ”――つまり、移動先となる世界線を指定するための術式のところ」
「世界線を……指定する?」
「ええ。世界線という『空間』を指定して、そこへ繋ぐための術式よ」
ワタルさんは小さく息を吐いた。
「でも……私に伝えられた祝詞には、その部分がなかったわ」
「え……?」
それなら――。
ワタルさんが本来とは違う世界へ飛ばされてしまったのは、偶然なんかじゃない。
そもそも、行き先を指定するための術式そのものが欠けていた……?
「でも、ワタルさんに……次代の巫女に、力の使い方を伝承したのは……」
「…………」
ワタルさんは俯いたまま、しばらく何も言わなかった。
やがて――。
「……ママよ」
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。
はは……ワタルさんのママは、かなりのうっかりさんなんだな!
冗談でも、そう言うべきだろうか。
けれど、そんな言葉で済ませていい話なのか、俺には分からなかった。
「……笑い草よね」
ワタルさんが、自嘲するように呟いた。
「まさか、そこまで私のことが嫌いだったなんて……」
その瞬間、マママさんがワタルさんを強く抱きしめた。
「ワタルちゃん……!」
ワタルさんは、何も言わなかった。
「……どうして、そんなことになってしまったのかしら……」
マママさんの声が、かすかに震えていた。
「でもね、これだけは信じて。たとえあなたが違う世界のワタルちゃんでも、マママはあなたが大切だし、可愛いし、心配なのよ……」
ワタルさんの瞳は、冷たく凍りついたように、何も映していなかった。
「こんなことを言っても、違う世界の私を庇っているようにしか聞こえないと思うけど……きっと、何か理由があったはずよ……」
ワタルさんは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
そして――。
「どんな理由があったにせよ、私は違う世界に飛ばされた。それが全てよ……」
ワタルさんは、マママさんの肩に手を添えると、ゆっくりとその身体を押し離した。
「私がされたことが、帳消しになるわけじゃないの」
その声は静かだった。
けれど、そこには、あらゆる言葉を拒絶するような、仄かな恨みが滲んでいた。
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