第34話 見落とし
マママさんは、先ほど買った丸鶏を袋から取り出そうとしている。
実験……。
それは、丸鶏を使った代替贄での『心渡り』を、今から試そうということなのだろう。
「ちょっと、ちょっと待ってください!!」
マママさんは、「なあに?」という顔で俺を見る。
「あの……念のために確認しておきたいことがあって……。実は、ここに来る前に俺、雨音神社に行ったんです。時雨が存在しているのかどうかを確認したくて……でも……」
「確認……できなかったのよね?」
マママさんは、まるで答えを知っていたかのように、俺の言葉を続けた。
俺は「はい……」と頷く。
「雨音神社の神主さんには、お子さん、いらっしゃらないのよ……」
「そう……なんですね……」
俺は改めて、ここが自分の生まれ育った世界とは別の世界なのだと痛感した。
人が何かを選択したり、選択しなかったり。
その積み重ねによって生まれた世界――。
そう、マママさんが言っていたことを思い出す。
不謹慎かもしれないが、俺は少しだけ安堵した。
もし、この世界でもあの干ばつが起きたら――。
雨乞いの巫女がいないこの国は、あの時以上の危機に陥るのかもしれない。
それでも……。
この世界に時雨がいないのなら、少なくとも彼女が人柱として犠牲になることはないのだから……。
我ながら、自分本位な考えが先に立つ自分に反吐が出そうになる。
しかし、今の俺には、仮にこの世界で干ばつが起きたとしても、どうすることもできやしない。
俺は喉が詰まるような思いで、胸元を握りしめた。
どうあがいたって、今はこの現実を受け入れるしかないじゃないか。
そんな俺の考えを見透かしているかのように、ワタルさんがつぶやいた。
「馬鹿かしら……」
何故だろう。
馬鹿と言われているのに、ワタルさんが言うと、全然違う意味に聞こえてくる。
切り替えろ。
当初の目的を思い出すんだ。
俺は時雨を救いたかったんじゃないのか?
だけど……。
パラレルワールドにいる人達だって、ここでは紛れもない現実を生きている。
ここにいる『俺』だって――。
……あれ?
ちょっと待てよ。
そうだ、俺だ。
今、この身体を動かしているのは俺だ。
じゃあ、この世界で二十二年間生きてきた『俺』は――?
このまま俺が『心渡り』をしたら、一体どうなるんだ!?
ここにきて重大な見落としに気づいた俺が、口を開こうとした時、
「ママ、私も確認したいことがあるの」
ワタルさんが口を開いた。
「このまま『心渡り』をしたら、ここの私はどうなるのかしら……」
「やん、流石に気づいちゃったのねぇ★ 流石ワタルちゃん! お利口なんだからぁ!!」
マママさんはワタルさんを抱きしめて、頬ずりする。
「ママ、やめ……アブブ……ぶふっ……」
マママさんの抱擁と頬ずりで、ワタルさんの言語能力が奪われている。
「結論から言うと、ソレは私にも分からないの。実験オタクの巫女でも検証されなかったことだから」
「ママ、お願いだから私のお腹に顔を埋めながら話を始めないで……」
「…………」
「ふう、仕方ないわね……」
マママさんは真剣な表情を浮かべ、ワタルさんのお腹に埋めていた顔を上げた。
「……正直に言うと……」
俺は固唾を飲んで、その続きを待った。
「ここの世界のワタルちゃんは、素直で照れ屋のドジっ娘ちゃんだけど、ツンツンなワタルちゃんもマママの大好物よ!」
一切の温もりを消し去った絶対零度の表情筋で、ワタルさんはマママさんをぶった斬る。
「ママ。真面目な話をしているの」
「きゃぁぁぁ★ マママおこられちったぁ★★」
マママさんは、自分の右手でコツン★と頭を小突き、ペロンと舌を出す。
「そうねえ。これは推測の域なんだけど……今のあなたたちって、一台のスマホに二つの電話番号が入ってるような状態なんじゃないかと思ってるのよ」
「二つの……電話番号?」
「そう。正確な例えじゃないけどね。一つの身体に、この世界で生きていたあなたの精神と、別の世界からやって来たあなたの精神。その両方が紐づいた状態なんじゃないかと思ってるの」
「デュアルSIMか……」
「十年後はそういう言い方になるのねぇ。変身できちゃいそうな名前でカッコいいわね★」
ワタルさんは、マママさんの感想には一切触れずに話を続けた。
「じゃあ……もし上手くいけば、元の私に身体を返してあげられるかもしれない……ということね……」
「ええ。そうだと私は思ってる。だから――数時間前くらいに一度戻って、帰ってきてみましょうか!」
「戻って、帰ってくる……そっか……」
ワタルさんは何かに気づいたのか、思考を整理するように話し始めた。
「今、時間は十九時ね……。例えば、スーパーで買い物をしていた頃まで遡ったとする。その間に私とグズ渡……しまった……晴渡の精神が抜けたあと、この身体に元の精神が戻るのかをママに確認してもらう」
グズ渡……。
「それから私たちは、十九時十五分あたりを目標に……この身体へ、もう一度『心渡り』で帰ってくる……」
「そうそう! スーパーから帰る時は、ちゃんと帰還用の丸鶏も忘れないでね★」
「二羽……でいいですよね?」
「ダメよ★ 広告の品なんだから! 三羽よ……」
………。
「でも……俺達がスーパーから帰還したあと、過去に残した俺達の身体は、結局どうなるんでしょう」
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