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雨音時雨は、晴渡虹介を知らない  作者: 白ご飯
第一章 雨音時雨

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第10話 サバ味噌コーヒー

 

 様子の怪しい私を見兼ねて、晴渡社長はコーヒーを出してくれた。


 そして晴渡社長は、一見するとおしゃれな大型冷蔵庫のような、黒光りする箱の背面パネルを工具で外し始める。


 私が持ち込んだ試作品を取り付けるため、手際よく作業を進めている。


「これ、開発中の家庭用ウォーターサーバーのプロトタイプなんです」


「ウォーターサーバー?」


「ええ。ただ、普通のものとは少し違います。水道管を繋ぐ必要もなければ、ボトルを交換する必要もありません」


「え? じゃあ、どこから水が……?」


「一度使った生活排水やお風呂の水。果ては、空気中の結露した水分まで回収して、純水として再生するんです」


「……え?」


「つまり、家庭の中で水を循環させ続ける。理論上は、一家の生涯に必要な水を、この一台でまかなえるんですよ」


「…………」


 私は、目の前の黒い箱を見つめた。


「たとえば――」


 晴渡社長は、何でもないことのように続ける。


「昨日のサバの味噌煮の水分が、今日のコーヒーになることだってあります」


「…………え」


 急に、目の前のコーヒーが信用できなくなった。


「もちろん、そのまま再利用するわけじゃありませんよ」


「そ、そうですよね……!」


「水の分子だけを通して、ウイルスや極小の不純物を徹底的に除去する。そのためには、特殊な結合パーツと超精密なフィルターが必要だったんです」


「それが……うちの会社の技術?」


「そう」


 晴渡社長は、取り付けた試作品を確認しながら、少しだけ笑った。


「君の会社の、あのパーツがなければ――これは、ただの鉄クズのままだったんですよ」


「…………」


「そして、ここからが面白いところで――」


 晴渡社長の目が、明らかに輝いた。


「特殊なナノ高分子膜と光触媒を組み合わせることで、分子レベルで不純物を――」


 そこから先は、早かった。


 いや。


 **速かった。**


 普段は落ち着いている晴渡社長が、珍しく早口になっている。


 ナノ高分子膜がどうとか、光触媒がどうとか。


 分子がどうとか、結合がどうとか。


 ……正直、一単語も理解できなかった。


 ただ。


 私にも、ひとつだけ分かったことがある。


 目の前にあるこの機械は――


 **世界中の水不足を、国に頼らず、家庭という最小単位から終わらせてしまうかもしれない、とんでもないバケモノ兵器なのだ。**


「……新興企業が、こんな……数十年先を行くような技術を、どうやって……」


 思わず、そんな言葉が口からこぼれた。


 すると晴渡社長は、少しだけ黙った。


「……泥水を啜るような努力、ですかね」


 先ほどまでの熱っぽさが消え、静かな声になる。


「血が滲むような時間をかけて。何年も、何年もかけて……ようやく、ここまで形にしたんです」


 そう言って、晴渡社長は完成したばかりの機械を見つめた。


 その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。


 そして――まるで、長い時間を共に過ごしてきた大切なものを愛おしむように、その機械へ静かな視線を向けていた。


 その時。


 私は、ふと引っかかった。


 **「何年も、何年も」**


 その言葉が、妙に耳に残った。


「あの……失礼ですが」


 私は、おそるおそる尋ねた。


「晴渡社長って……おいくつなんですか?」


「ん……?」


 晴渡社長は、少し考えるように首を傾げた。


「そうだな……」


 そして、こともなげに答えた。


「120歳くらい?」


「…………」


 私は、思わず固まった。


「……あはは」


 きっと冗談だ。


 そうに決まっている。


「あはは、またまた……」


 笑って流そうとした。


 けれど。


 晴渡社長の口元には微笑みが浮かんでいるのに――


 その目は、なぜか。


 **どこか寂しそうに見えた。**




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